らいおんまんと私

私は、「らいおんまん」という名で、ゲーム実況をやっている。

始めた当初は、なんとなく恥ずかしくて、いわゆる”身バレ”しないように、極力隠していた。
そんな当時から、私をらいおんまんだと知っている人は、地元の友人ただ一人だった。彼は私が実況をやろうかと考えている時に後押しをしてくれた人でもある。

しかし、やり出して一年を過ぎ、そもそも別に恥ずかしいことをやっているわけでもないし、恥ずかしい内容を話しているわけでもないのに、なぜ隠そうと思うのか、ということを考え始めた。
決してゲームがうまいわけではない。うまく実況ができているとも思わない。編集なんてほとんどしないので見やすい動画を作れているわけでもない。
人に知られたくない点を上げればきりがないのだが、それでも私自身として、人に恥じることをやっているとは思わない。
知られたくない要素はあるけど、恥ずかしくないという何ともアンバランスな感覚を覚え始めたわけだ。

いっぱい本を読んでそうと言われる私というキャラがゲームをやっている、実況をしているというのはどのように映るのだろうか。
それを考えると恥ずかしさよりも興味の方が前に出る。
私はそういう人間だ。
だったら隠すのではなく出してみよう。
それが今回のnoteを書くきっかけとなった。

らいおんまんという実況者は、割といろんなゲームをやっている。
ゲームをやっている感覚そのものを見せたいから、極力編集はしない。
あえて誤解のないように表現している。
あえて編集はしない方針にしているのだ。
そしてもう一つ、あえて言っておくと、編集ができないわけではない。
諸々の意図を乗せて、ほぼ無編集で動画を上げている。
まさに、むき出しの私そのものだ。
こういう書き方をすると自己顕示欲の塊のように見えるが、実況者をはじめ、Youtuberと呼ばれる人たちは、多かれ少なかれ自己顕示欲の塊だと思っている。

自己顕示欲の塊であることは別に悪いことでも良いことでもないと思っている。
しかし、あるいは、ひょっとしたらつつましやかな日本人という点からいうと恥ずかしい存在なのかもしれない。
とはいえ、それはそれ、これはこれ、だ。

私は、ゲームをするということを楽しいと思うし、その楽しさをいろんな人に知ってほしいと思っている。
非日常の、架空の世界に没頭することは、良いストレス発散にもなる。
ヒロイックな体験をすることは、誰しもが持つ人には言えないささやかな夢をかなえてくれる。
最近はオンラインで他人と一緒にゲームをすることもできるようになり、達成感を共有することもできる。

所詮はゲームの世界、現実ではないという意見もあるだろうが、上手に息抜きしながら生きるのは、自分の人生を大事に生きることができているということでもあるのではないだろうか。

恰好をつけるわけでもなく、思うままを書いているが、このようにゲームをすることをとても肯定的にとらえている。
加えて、実況をするということは、私にとって新たなゲームの楽しみ方だと最近になってやっと気づくことができた。

正直に言えば、話しながら、話すことを考えながらプレイをするということは、すごく大変だ。
面白いことを言うとか、そういう次元の前に、まずは何を話すかという点がすごく難しい。
それでも、いざやってみると、これが面白くてたまらないのだ。
一応、収録したものはアップ前に大まかに確認している。時々だけど。
トークの内容はいたって普通だが、楽しそうな雰囲気は自分で聞いていても伝わってくる。
やり出した当初の動画は、見るのも恥ずかしいレベルで、一生懸命面白いことを、あるいは攻略的なことを言おうとしている。
雰囲気を作ろうと声を変えたりしている。
実に私らしい。

しかし、時期を追うごとに、だんだんと力が抜けて、話さない時間なんかもできて、自然体になっていった。
それと同時に、ゲームをやりながら話すことが楽しくなっていっているのが分かる。
こういう変化は実況者にならなければ知ることはなかったし、その楽しさにも出会うことはなかっただろう。

私の勝手な思い込みかもしれないが、地域づくり界隈の人で、ゲームをする人は少ないと思う。
だから、私がゲーム実況をしているとしても、興味にはつながらないのかもしれない。
ただ、知らない世界を知らないままにしておくのではなく、ちょっと覗いてみるきっかけが私の動画であったなら、それはとても嬉しいことだ。

ちなみに言っておくが、収益化はもうあきらめている。
やり出して1か月ほどで、私の動画では無理だと感じた。
だからと言ってがっつり編集をするという選択肢は選ぶ気にはなれなかった。
だから、収益化についてはどうでもいいと思っている。
ただ、私の動画を見て、何か思いつくことがあったり、やってみようと思うことがでてきたりすればいいなと思ってる。
あるいは、くだらないなと思いながら、鼻で笑う時間を作れたならそれでもいい。

結局、ふるかわという人間も、らいおんまんという実況者も、考えているところは同じだったのかもしれない。
だから、二つの人格であることへの抵抗感を感じたりもしたんだろう。

6月9日という、似たような形の数字が向き合っている今日という日が、この二つの人格を結びつけるのに最適の日だろうと、今思った。

noteのプロフィールのところにリンクを貼っている。
Youtubeで「らいおんまん」で検索しても見つけることができる。
興味がある人は一度見てみてほしい。

こんな感じで、表裏のない私自身を今後もnoteに記していこうと思う。
地域づくりについて思うことを書こうと思って作ったアカウントが、まさかこのような形になるとは、過去の自分は思ってもいないだろう。
そういう自分の意外性をうれしく思いながら今回は終わりとする。

長文、お付き合いありがとう。

追記(6月10日)
現在公開している、あるいは収録済みの動画内では、まさか本名を見せるとは思っていない自分がいるので、変なこと言ってると思うけど、それはそれということでお願いします。

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