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吉野くんが心中に付き合う話(前編)

【登場人物】
吉野 托(よしの たく):大学生。男。頼まれたら断れない性格。
女の子:大学生。吉野くんと同じ大学に通う。


―――――

オレは昔から頼まれたら断れない性格だ。
物心ついた頃からそうだった気がするし、大学生になった今もこの性質は治る気配がない。自分がそれに困っているのかすら、オレにはよくわからなかった。

「吉野くん、わたしと一緒に死んでくれる?」

こんなことを言われたら、絶対に断るべきだと思うのに。

「いいよ」

どうしてオレは、笑顔で応じてしまったんだろう。


夏休みに入ったばかりの8月。暑い日差しの中、その人と二人で知らない田舎の車道をガードレール沿いに歩いていた。死ぬのに荷物なんていらないなと思って、小さな斜めがけのショルダーバッグにスマホだけ入れて来た。
事前に調べた山奥の橋まではまだまだ歩かないと辿り着かない。電波が繋がらなくなりそうだからと、途中の売店で買った地図を広げる。

「今どのへん?」

地図を広げたせいか、隣を歩く彼女が尋ねてきた。その人は小さなリュックを背負って、オレの腕に身体をくっつけてくる。地図を買った売店の人に「カップルでこんな田舎に観光かい?」と言われたから、きっとこれは付き合っている男女に見えるレベルの距離の近さなんだろう。

「えーと、この辺かな」
「そっかあ。やっぱり遠いね、車ないと」
「うん」

オレも彼女も免許を持っていなかった。途中まではバスがあったけど、この辺りはもう車さえもあまり通らない。

「……でも吉野くん、本当に来てくれると思わなかったなあ」
「それは、キミに頼まれたから」

笑顔を浮かべて返す。実際それ以外に理由がなかった。

「本当に頼んだら断らないで引き受けてくれるんだね。まるでヒーローみたい」
「そうかな」
「そうだよ。吉野くんも死にたかったの?なんてね」

オレも?

「……吉野くん?」

無意識に立ち止まっていた。自分で自分に動揺する。どうしてドキッとしたんだろう?
自分が死にたいかどうかなんて考えたこともなかった。ただ一緒に死んでほしいと頼まれたから、いつもみたいに一緒に死んであげるだけ。他人の命令に従うのは当然なんだから。

「なんでもない、ごめん。……こっちの道みたいだ」

気を取り直して右を向き、彼女の質問を軽く無視して、車道をはずれた獣道一歩手前の山道を指さすと、

「なんか靴汚れそうなとこだね」

特に気にしてない彼女が軽口のような文句を垂れて、足を踏み入れた。


山道は舗装されておらず、かなり歩きにくい。どれくらい歩いただろうか、だんだん日が落ちてきて、少しだけ暗くなってきた。街灯がないから足元がよく見えなくて、スマホのライトをつける。まだかろうじて明るいけど、これ夜になったら山道は真っ暗だな。
息を切らしながら二人で黙々と歩く。辺りにはオレたちの足音のほかに、時折獣が通る音や風で木が揺れる音が響いていた。疲れてきたのか、彼女がオレに話しかけてくる。

「なんかさあ、死ぬ前にこんなに歩いて疲れるの、嫌じゃない?」
「そうかな」
「だってさ?人生の最後につらい思いして幕を下ろすなんて。
最後は美味しいもの食べたり、面白い映画を見たり?楽しい気持ちで死にたくない?」

言いたいことはなんとなく理解できた。

「吉野くんは、何か最後にこれやって死にたいとかある?」
「……オレ?えーと」

どうしよう、何も思いつかない。しいて言えば、

「頼まれてたことができなくなったって、連絡しなきゃ、とかかな」
「ああ、死んだらできなくなっちゃうね?」
「……うん」

そうだ。明日にはもうオレがこの世にいないのなら、頼まれていた事がいくつかできなくなる。その連絡をしなきゃいけないはずだ。連絡をしなきゃい
けないはずなのに。どうしてオレは誰にも何も言わずにこんなところへ来てしまったんだ?

「吉野くんは連絡する人がいていいね。わたしにはそんな人、いないから」

辺りがだんだん静かになって、木の枝や葉を踏み歩く足音だけが雑然とした森の中で響く。ついに完全に日が落ちて、来た道を振り返ってももう何も見えなくなっていた。

「あ!ねえ吉野くん、あれじゃない?橋」

彼女の指さした方へスマホのライトを向けると、確かに山道が途切れて古い橋のようなものが見えた。

「ほんとだ……無事着いてよかった」

命を絶つ場所に選んだ橋は古く苔生していて、人二人が並べるくらいの板が数十メートル先まで伸びていた。橋自体はそこまで大きくなく、最近誰かが歩いたような形跡もない。

「うわあ、実際に見ると高いのか低いのかわからないね」

橋を歩きながら彼女が言う。確かに、橋の下が真っ暗で距離感がつかめない。確実に死ぬことができる高さか判断がつかなかったけど、1メートルは一命取るとも言うし、高さはあまり関係ないのかもな。

「よいしょっと。ねえ、準備しよ?」

持っていた小さなリュックを下に置いて、彼女がゴソゴソと何かを取り出した。取り出したのは、長いロープ。

「……えっ」

オレと向かい合った彼女は、ロープをグルグルとオレと彼女の腰に巻いてきつく縛った。

「これで二人で一緒に死ねるね。……びっくりした?」
「……うん。こういうの持ってきてたんだ。オレ、思いつかなかった」
「ロープが外れても大丈夫なように、落ちるときは手も繋ごうね」

風で木が揺れる音がザワザワとうるさい。風の音なんかじゃなくてオレの耳鳴りなのかもしれない。

「こんな夜にこんな山奥、一人じゃ絶対来られなかったなあ。ありがとね。吉野くんが居てくれたから来れた」
「……そっか」
「……最悪だったなあ。わたしの人生。だけどね、最後だけは自分で終わりを決められてよかったと思うんだ」

独り言のようなその人の言葉に、何も返せなかった。
風の音は相変わらずゴウゴウと響いて、眩暈のような感覚に陥って身体の中心がブレる。オレ、今からこの人と一緒に死ぬんだ。そう自覚すると周囲の景色から現実味が無くなって、まだ落ちてもいないのに浮遊感で気持ち悪くなった。
どれくらい時間が経っただろう。やがて彼女がゆっくりと橋の手すりに近づいた。そのまま手すりによじ登る。腰のロープに引っ張られてオレも一緒に登った。
ひどい耳鳴りと眩暈がする。それにどうしてこんなに冷や汗が出るんだろう?頼まれたことをやるだけなのに。
二人で手を繋いで、手すりの上でゆっくりと立ち上がった。目の前に真っ暗な闇が広がる。
手すりは足を置くには細くて、本当に落ちそうになって耐えかねてオレは慌ててしゃがんだ。低姿勢になったから視界が下がって、彼女の足元が見える。彼女の足は、微動だにしていなかった。
おかしいな。あんなに死にたがっていたのに。

「……吉野くん、わたし」

静寂のあと、彼女が口を開いた。小さな声だった。

「……怖くなっちゃった」

その先に続く言葉がなぜかわかってしまって、鼓動が早くなる。
それ以上言わないでほしいとさえ思った。だって、その言葉に自分がどう対処するのかが決まっていたから。

「……お願い。連れてって……底まで」
「……うん。わかった」

習慣になった笑顔を浮かべたオレに、彼女は苦しそうな顔で「……ありがと」と呟いた。
再び手すりの上で立ち上がる。彼女の懇願のような命令を聞いた途端、あんなにうるさかった耳鳴りがシンと止んだ。
頼まれたことをやるときの、ロボットになったような感覚が身体に落ちる。いつも通りのオレだ。眩暈も浮遊感も消え失せて、自分でも驚くほどの平常心で、前方の暗闇を見据える。
彼女と手をつないだまま、ロープで腰をつながれたまま、彼女を引っ張るように、足をつけていた橋の手すりを一歩踏み出して、


踏み出した先は、手すりなんて無くて。
ただ真っ暗な暗黒がオレと彼女を吸い込んだ。


(つづく)



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