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【物語】二人称の愛(中) :カウンセリング【Session47】

※この作品は電子書籍(Amazon Kindle)で販売している内容を修正して、再編集してお届けしています。

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※前回の話はこちら

2016年(平成28年)05月28日(Sat)

 今日は朝から雲ひとつ無い青空が広がっていた。学はお昼ご飯を英雄伯父さんの家で食べた後、英雄伯父さんと友美伯母さんに別れを告げ家を出た。そして広島市の中心部にある平和記念公園へと路面電車で向かった。そこは昨日、安倍総理大臣とオバマ大統領がいた場所だ。
 学がこの場所に来たのは高校時代の修学旅行以来である。その頃の学には広島と言う場所が、日本の第二次世界大戦の終焉を迎える大きな分岐点となった場所で、アメリカによる原子爆弾投下と言う日本にとって忘れることの出来ないとても重要な日であると言う認識は薄かった。
 しかし自分の誕生日のことを思い出すと、この広島市への原子爆弾投下のことも自然と思い出されるのである。それは学の誕生日が、広島市への原子爆弾投下の日と同じ8月6日であったからだ。学にとっては、これが偶然では無く必然だと感じた。それはおじいちゃんが大切にしていた物が、この広島にあることを知ったからだ。そして学もおじいちゃんから教わった大切な物を、次の世代に伝えて行かなければならないと感じていたからである。

 そんな想いで、学は平和記念公園に訪れた。学は昨日までオバマ大統領がいたと思われる「原爆死没者慰霊碑」の前に立ち、そしてここに来る途中に花屋で買った花束を献花代わりにそっと置いたのだ。そして瞼を閉じ、おじいちゃん、おばあちゃん、そして亡くなった全てのご先祖様や戦争や災害、犯罪で亡くなった全てのひとの魂(霊性)が安らかでありますように祈ったのだった。そのことを思うと学は生命(いのち)の尊さと儚さを感じ自然と涙が流れたのである。
 僕たちは、これからの世界の平和にもっと真剣に向き合って行かなければと・・・。そんなことを考えながら瞼を開けると、「原爆死没者慰霊碑」のアーチの向こうに平和の灯が見えた。学にはその平和の灯が希望の灯のように感じた。そしてその灯りは学の涙により霞んでいたのだった。僕はたとえ全てのひとを敵に回そうと、正しいと思う真実を貫こうと誓った。

 こうして学はこの後、「原爆の子の像」を観たのだった。この像は佐々木 禎子がモデルで、原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子のために1955年11月8日に、新聞で禎子の死を知った男の子から「禎子さんをはじめ、原爆で死んだ子の霊を慰める石碑を創ろう」と禎子の同級生らの提案があり、その設置に関する活動が始まったのがきっかけである。
 そして禎子や禎子が入院していた多くの入院患者たちは、折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じて鶴を折り続けたのだ。その折った折り紙は1000羽を超えるも、病気は回復することなく白血病で禎子は亡くなった。死後、禎子が折った鶴は葬儀の時に2、3羽ずつ参列者に配られ、棺に入れて欲しいと呼びかけられ、そして遺品として配られたのだ。

 学はこの「原爆の子の像」の石碑に込められ想いを決して忘れてはいけないと、こころに誓ったのである。そして学はそこから少し歩き、平和の鐘が置いてある場所へと移動した。それは原爆ドームを思わせる形をしており、そのドームの中に大きな鐘が吊るされていた。この鐘は毎年8月6日の「平和記念式典」で、世界の平和を願って鳴らされる鐘であるが、学はまだ一度もこの鐘の音を聴いたことが無い。
 それは学の誕生日にこの鐘の音を聴くと、恐らく学にとって学の過去の両親からの辛い経験を思い起こすことになるかも知れないと学は思っていたからだ。そして自分の誕生日を本来であれば嬉しく思うはずが、とても辛く嫌な想い出を思い起こす日になるかも知れないと学は思っていたからだった。だから学は今までこの鐘の音を聴くことを避けて来たのだ。そんなことを思いながら学は次の場所へと移動した。

 学が向かった先は「広島平和記念資料館」だった。そこには昨日、オバマ大統領が捧げた4羽の折り鶴が飾られていた。その折り鶴はオバマ大統領自身が折ったとされる折り鶴で、ピンクと青の2色の千代紙を使い丁寧に折られていた。それを観た学は、おじいちゃん、おばちゃんから教わった折り紙のことを思い起こしていた。
 学はおじいちゃん、おばあちゃんから「折り鶴」「手裏剣」「風船」などの折り方を教わり、今でもその折り方を覚えている。しかし学はこれを伝えることはしていない。学は改めて自分が何を大切にして生きていかなければならないか、オバマ大統領の折り鶴を観て教えられたのだ。そして学は自分のカバンからスケッチブックを取り出し、オバマ大統領が捧げた折り鶴の絵を描いた。こうして学は「広島平和記念資料館」を後にし、路面電車を乗り継ぎリムジンバスで広島空港へと向かったのである。

 広島空港に着くと学は、お土産に定番のもみじ饅頭を買った。そして夕方の便で広島から羽田空港へと向かったのだ。学の乗った飛行機は予定通りに羽田空港に着き、そこから学の住む川口市へと電車を乗り継ぎ最寄駅の川口駅に到着した。ちょうど太陽は西に傾き、お月様が見え始める時刻だった。学はキャリーバックを引きながら川口駅の高架下に降り立った。
 すると見慣れた女性がギターを抱えて歌っていたのだ。その女性はエリだった。彼女はまだ観ぬお父さんとの再会を夢見て、ストリートシンガーとして活動していたのである。彼女の周りには何人かのひと達が彼女を暖かい眼差しで観ていた。そして彼女は自分のオリジナル曲を数曲歌った後に、その観客の皆に丁寧に挨拶をして次の唄を歌いだした。その曲は中島みゆきの「泣きたい夜に」と言う唄だった。

 学は彼女が歌う唄を遠目から眺めていた。そしてさっきまでいた広島のことを思い出したのである。とても懐かしい、そしてとても遠い昔の出来事だったように学には感じられた。学はこの唄を聴いて、自然と涙が溢れて来たのだ。それはもう、おじいちゃん、おばあちゃんに一生会うことが無いんだと言うことがわかったからだ。
 そのことを考えると、学は涙を抑えることができなかった。自分の感情がこれ程まで揺さぶられ、そして切ない思いにさせられるとは思っていなかった。学にとっておじいちゃんの存在がこれ程まで大きく、大切なものだと言うことを改めて思い知らされたのだ。こんなに苦しく切ない思いはもう一生したくないと学は思い、そして空を見上げ涙がおさまるまでぐっとこらえ瞼を閉じたのである。






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