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【物語】二人称の愛(中) :カウンセリング【Cast add】

※この作品は電子書籍(Amazon Kindle)で販売している内容を修正して、再編集してお届けしています。

《あらすじ》 
 主人公で心理カウンセラーの倉田学と解離性同一性障害(二重人格)の病を持つ木下彩を中心に、銀座ホステスのママやお店の子(ホステス)、そして新宿歌舞伎町ホストクラブのホストなど、それぞれ自分の過去を引きずり生きている。またそれは主人公で心理カウンセラーでもある倉田学も同じだ。
 この話は心理カウンセラーの倉田学を中心に、解離性同一性障害(二重人格)の病を持つ木下彩とのカウンセリングを中心に話が展開していく。そして彼女の中のもうひとりの人格は彩とはまるで違い、学も最初は彼女の豹変に驚き戸惑った。なぜなら彩に対する学の最初の印象が、『明朗でおしとやか』な女性だったからだ。
 一方のもうひとりの人格はと言うと、『計算高くかつ大胆』と言った頭のキレる女性だった。昼間はOLをしている彩だが、夜になると幼なじみであり新宿歌舞伎町ホストクラブ ACEの経営者&No1ホストの樋尻透からあるトリックにより、もうひとりの人格の綾瀬ひとみに人格が入れ替わり、夜のおとなの街 銀座クラブでホステスとして働くこととなるのだ。
 しかし学は次第に、最初に彼女に会った時の『明朗でおしとやか』と言う彩に惹かれて行く。そして、もうひとりの人格のひとみに対して、自分の手で木下彩の人格と綾瀬ひとみの人格をカウンセリングにより統合させて行くことに対し、こころ苦しい気持ちが沸き起こっていった。
 さて、ここから倉田学と木下彩、綾瀬ひとみは今後どのような展開を見せるのであろう。
▼Prologue
Prologue05
▼Cast add&Index
・Cast add
・Index

※前回の話はこちら

【Cast add】

■若いホステス/れいな(銀座クラブ マッド 先輩ホステス)

れいなは若い頃、両親との仲が悪く色々と問題を起こしていた。そして不良グループの仲間とつるみ、たびたび警察沙汰になり両親から見放される(16歳 - 18歳)。

高校はなんとか卒業できたものの、仕事をせず友達の家にしばらく居候して生活を送っていた(18歳 - 20歳)。

れいなはその後、友達から生活費をせがまれ、仕方なく夜の世界で働くこととなるのだ。最初は新宿歌舞伎町にある「ガールズバー」で働き出す。しかし、ある時から「ガールズバー」の経営者が変わり、遅刻・欠勤に「罰金制度」が導入され、遅刻・欠勤による罰金の金額が重なり、「ガールズバー」だけでは生活出来なくなっていく(20歳 – 23歳)。

そしてれいなは、その「ガールズバー」の店の経営者から借金返済を求められ、仕方なく「キャバクラ」で「キャバ嬢」として働き出すのだ。しかし「キャバクラ」のお客さんが「キャバ嬢」に求めてくるのは「若さ」「可愛さ」と言う単純な理由であった(23歳 – 25歳)。

また「キャバ嬢」をして稼いだお金で、『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』に通っていたれいなは、今度は「キャバクラ」の経営者から「風俗嬢」ならお金が稼げると言う話を持ち掛けられたのだ(25歳)。

既に大きな借金もあり、「風俗嬢」として働く道しか無いと思っていた彼女は風俗関係の仕事を探し出した。その当時『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』のホスト&『銀座クラブ マッド』のスカウトをしていたのが樋尻透であった(25歳)。

れいなは『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』の経営者がじゅん子ママであり、そしてじゅん子ママが実は『銀座クラブ マッド』の経営者でもあることを透から聴き出したのだ。そして彼女は透が『銀座クラブ マッド』のスカウトをしていることを知り、じゅん子ママに合わせて欲しいとお願いするのだった(25歳)。

最初は断られるが、れいなはじゅん子ママが経営する『銀座クラブ マッド』に乗り込んで直談判した。じゅん子ママは最初断ったが、彼女の根気に負け条件をクリア出来たら雇ってもいいと言ったのだ。その条件とは、三ヶ月以内に本指名を三十本取ると言うものだった(25歳)。

最初は全然指名が入らず、彼女は持っている全ての財産を自分の知識や勉強、そして「自分磨き」のために費やし努力した(25歳)。

そして最後の一ヶ月で、三十本の本指名の殆どを取ることが出来たのだった。彼女がじゅん子ママと約束した最後の日、なんと彼女は五本の本指名を得ることができ、そして条件をクリアしたのである(25歳)。

れいなにとってこの三ヶ月間は、彼女の人生の中で最も大切な時間であった。それは女として「自分磨き」とはどう言うものか知ることが出来たからだ。彼女は「本当のおもてなし」と言うものがどう言うことか知ることができ、そして今も「自分磨き」と「本当のおもてなし」と言うことに対し真剣に向き合っている(25歳 – 31歳)。

■はるか(銀座クラブ マッド 先輩ホステス)

はるかは裕福な家庭に育ち何不自由なく暮らしていたのだが、リーマン・ショック(2008年09月15日)ではるかの父親の会社が破綻する(21歳・大3)。

その頃、ミッション系の有名女子大学に通っていたはるかは、海外の大学に留学する予定でいたが、大学を中退せざる負えなくなった。そしてはるかは就職先を探すことになるのだが、父親の会社が有名企業であった為、逆に就職先がなかなか決まらなかったのだ(21歳・大3)。

またはるかは、今まで何不自由なく暮らして来たので、博識や教養はそれなりにあるものの、自分自身で自分の身の回りのことをあまりして来なかった。お手伝いさんが常に彼女の雑務的なことを行って来たからだ。その為、自身で生活すると言う「生活力」に欠けていた。そしてそれがはるかの就職先が決まらない原因のひとつでもあった(21歳)。

そこではるかの父親は、じゅん子ママにこのことを相談したのだ。はるかの父親はじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』の古くからの常連のお客さんであり、じゅん子ママにはるかを『銀座クラブ マッド』で働かせて貰えないか相談していた(21歳)。

こうしてはるかはじゅん子ママの面接を受け、雑用や雑務をこなし生活態度が悪ければすぐに解雇すると言う条件のもと、働かせて貰えることとなったのだ(21歳)。

はるかは三年間の間、じゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』で雑用や雑務をこなし、やっとフロアに立たせて貰えるまでに成長したのだった(21歳 - 23歳)。

そしてようやくはるかは、この頃から「本当のおもてなし」とはどう言うことか気づき始めたのである(23歳 – 30歳)。

■初老の男性/山村(山村ファンド 創立者)

日ソ共同宣言(1956年10月19日)の日に生まれ、若い頃から33歳までは日本の証券会社に勤めていた(23歳 - 33歳)。

しかしその間、ブラックマンデー・暗黒の月曜日(1987年10月19日)を経験し、大量の不良債権を抱えることとなる(31歳)。

山村はブラックマンデー(暗黒の月曜日)の株価暴落で抱えてしまった不良債権の処理に追われるのだ。その間に山村はじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』で、外資系の証券会社の重役に何度も接待や交渉を行ってきた(31歳 – 33歳)。

そしてある外資系の証券会社のアメリカ人の重役から、一緒に働かないかと誘われたのだ。山村は、今まで日本経済の発展の為に証券マンとして働いて来たことに誇りを持っていたので、アメリカの外資系の証券会社で働くことに最初は躊躇したのだった(33歳)。

しかし今の日本経済や日銀(日本銀行)、そして日本政府が日本国民を幸せに出来るとはとても思えなく感じたので、アメリカの外資系の証券会社の日本支店で働くことを決意した(33歳)。

そしてその証券会社で十年程勤めた後、自分のファンド会社(山村ファンド)を設立するのだ(43歳)。

『山村ファンド』が目指したのは世界規模の安定した資産運用と、クライアントの資産を常に安全(秘密)に運用することであった。その為、クライアントの要望に合わせた資産運用(サービス)を提供していたのだった(43歳 – 59歳)。

その為には、日本の銀行では信用出来ないのでスイス銀行を母体とし、クライアントの要望に合わせてタックス・ヘイブンを行う為、クライアントの「租税回避」で租税の安い国にペーパーカンパニー(ダミー会社)を設立し、その手続きの一手を引き受け運用していた(43歳 – 59歳)。

日本経済や政治には関心があるが、日銀(日本銀行)や日本政府の不甲斐なさを観て憂いでいるのである(43歳 – 59歳)。

■吉岡響(新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE 店長)

吉岡響はじゅん子ママが経営する『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』の店長であり、また樋尻透の先輩でもある。

透がまだ『宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』に勤めていた頃、既に響は『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』の店長をしており、透は先輩の響のことを慕っていた。そして透はよく響先輩とつるんでいたのだ。

だが、透が『新宿歌舞伎町ホストクラブ ICE』の部長まで登り詰めた時、響に相談無しに透はじゅん子ママに自分のお店を持ちたいと相談し、透は自分のお店である『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』を持つのだった。

そのことに対し響は内心、自分のお店『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』を構えた透に嫉妬しているのであった。

■古澤勇気(埼玉県 上尾市の県立高校に通う)

福島県 南相馬市出身 東日本大震災(3.11)により福島第一原発事故を受け、埼玉県 上尾市で姉のみさきの両親と避難生活をしている(12歳 – 16歳・高3)。

勇気は病を患いながら高校へ通う。自分が福島第一原発事故で「甲状腺がん」になったに違いないと思っており、東京電力や日本政府を恨んでいる(12歳 – 16歳・高3)。

また自分の夢だったプロのサッカー選手になる夢が病気により絶たれたことに対して、自分の両親や家族に対してもこころを閉ざしてしまうのである(12歳 – 16歳・高3)。

■古澤敏夫(みさき・勇気の父親)

福島県 南相馬市出身 東日本大震災(3.11)により福島第一原発事故を受け、家族で埼玉県 上尾市で避難生活を送っている。

敏夫は2016年7月12日に避難解除されたので、避難解除された故郷の福島県 南相馬市に戻りたいと思っている。

■古澤初枝(みさき・勇気の母親)

福島県 南相馬市出身 東日本大震災(3.11)により福島第一原発事故を受け、家族で埼玉県 上尾市で避難生活を送っている。

初枝は2016年7月12日に避難解除されたが、避難解除された故郷の福島県 南相馬市には勇気の「甲状腺がん」のこともあり戻りたいとは思っていない。

■峰山一樹(C大学 人文学部 准教授 哲学専攻)

東京都 練馬区在住で、倉田学の大学時代の同級生。

学とは大学時代の研究室のゼミが同じで、坂本教授の下で学んだ。その当時の学の唯一の友人とも呼べる人物である(21歳 - 22歳・大4)。

一樹はJ大学哲学科を卒業し、同大学の修士を修める。その後、欧米に留学しドイツの大学で博士号を取得する。その後も幾つかの大学に留学などを経て、現在はC大学 人文学部 准教授として哲学を教えている(22歳 – 35歳)。

■八沢幸宏(スピリチュアルカウンセラー)

東京都 目黒駅の傍にサンクチュアリ(聖域)と呼ばれる神殿のような建物を持っている。

幸宏はスピリチュアル・パワーを持つと言われるカウンセラーで、スピリチュアル・グッズなどの奇跡の石(スピリチュアル・パワーストーン)を売っている。



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