【物語】二人称の愛(下) :カウンセリング【Session68】つづき
※前回の話はこちら
■2016年(平成28年)09月08日(Thu)
こうして二人は新宿駅に向かい、新橋駅で電車を降り、銀座8丁目の方に歩いて行った。周りのひとから観ると、おそらく二人は恋人同士に見えたのかも知れない。そして銀座8丁目にある「喫茶キャッツ♡あい」のところで二人は別れたのだった。
その間、学と彩の口数は少なかった。しかし言葉にしなくても二人の距離はぐっと縮まっていったに違いない。別れ際、学は彩にこう言ったのだ。
倉田学:「彩さん。誘ってくれてありがとう」
木下彩:「何時もの倉田さんですね。わたしを見失わないでください」
こう二人は言葉を交わし、それぞれのお店に向かって行った。学は彩の言った「わたしを見失わないでください」と言うフレーズがとても気になった。しかしこの時、彩が学に何を伝えたかったのか、なんとなく想像がついた。
こうして学は、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』に入っていった。するとお店の入口のところで、学はみさきと鉢合わせになった。
みさき:「こんばんは倉田さん、お待ちしていました。のぞみのさんの様子を見に来たんですか?」
倉田学:「はい、そうです。のぞみさん、体調の方はどうなのかなぁ?」
みさき:「最近、調子いいみたいですよ。わたし達スタッフがのぞみさんをフォローしてますから」
倉田学:「そうですか。それは良かった」
みさき:「そー言えば、お盆のときはありがとう御座いました。わたし南相馬の実家の前で、動けなくなってしまったから」
倉田学:「僕は思うんです。みさきさんのこころの中に、家族全員でもう一度あの場所に向き合いたいと言う思いがあるんじゃないかと」
みさき:「そうかも知れませんね。倉田さん、トランプ弱いのに、そう言うところはわかるんだから」
倉田学:「いちおう、プロの心理カウンセラーですから。こころは読めませんが・・・」
みさき:「相変わらず倉田さんらしいですねぇ。それと、弟の勇気の件も宜しくお願いします」
倉田学:「はい、わかりました」
こうして学はみさきの案内で、美山みずきのお店『銀座クラブ SWEET』のフロア奥にある部屋に通されたのだ。そこには今日の主役ののぞみと、このお店のママであり経営者の美山みずきが、学の来るのを待っていた。そしてこんな会話を学は二人と交わしたのだ。
倉田学:「こんばんはのぞみさん、みずきさん。それとのぞみさん、先週の9月2日はお誕生日でしたよね。おめでとう御座います」
のぞみ:「ありがとう御座います、倉田さん」
美山 みずき:「倉田さん。わざわざその為に来て頂いたんですか?」
倉田学:「いえいえ。ところでのぞみさん、体調はその後どうでしょうか?」
のぞみ:「おかげ様で、みずきママやスタッフが前より協力してくれるようになったので、本当に助かってます」
倉田学:「そうですか。それは良かった。僕たちカウンセリング業界でも最近、『合理的配慮』って言葉が良く出てくるようになったんだけど、まだまだ世間一般では認知されていないみたいだし」
美山みずき:「倉田さん。その『合理的配慮』って何でしょうか?」
倉田学:「そうですねぇ。この定義ってかなり行政や団体により受け取り方が違うんですが、そもそも困っているひとがいて、そのひとが助けを求めたら手を貸してあげると言った単純なことです」
美山みずき:「それって、当たり前のことではないのですか?」
倉田学:「僕にも良くわからないけど、今の世の中って寂れた世の中なんじゃないかと。僕は心理カウンセラーだから、特にこころが寂れていっているように感じてならないんです」
美山みずき:「何となくわかります。わたし石巻から東京に出てきて、その時感じたのは東京のひと達ってなんだかギスギスしていて、とても冷たく感じたから」
倉田学:「この『合理的配慮』って言うのは、障害者に対して指すケースが多いんです。でも実際は誰もがこころ病んでいるかも知れないし。逆に、こころ病んでると思い込んでいるひと達の方が多いのかも知れません。のぞみさんは、この『合理的配慮』って言葉聴いたことありますか?」
のぞみ:「ええぇ、まあぁ。でも『合理的配慮』をしてくれるかどうかは、わたしは社会の問題だと思います。わざわざ『合理的配慮』と言わないと、配慮できない世の中ってことですよね。今の社会は、倉田さん?」
倉田学:「・・・・・・」
学は、こののぞみの問い掛けに答えることが出来なかった。それは学自身、カウンセラーをしていて、こころ病んで学のカウンセリングを受けに来るひと達の話を聴いていると、日本社会全体がとても窮屈で、悲鳴をあげているように感じてならなかったからだ。そんなことを考えていると学たちのいる部屋に、ゆきとみさきが入ってきた。そして一週間遅れで、のぞみの27歳の誕生日を学たちで祝ったのだ。
最初に、ゆきとみさきがシャンパンを用意して振る舞った。するとその時、ひとりの男性がみずきのお店の入口から入って来た。その男は樋尻透であった。のぞみは実は、先月の樋尻透のお店『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』で行われた透の誕生日パーティーに出席し、自分が誕生日を迎えることを告げていた。
そして今日、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』で行われる自分の誕日パーティーに招待していたのだ。ビシッと黒のスーツでキメた背の高いその男は、お店の中に入ると、ゆきに話し掛けて来た。
樋尻透:「こちらで、のぞみさんの誕生日パーティーがあると伺って招待された者ですが・・・」
ゆき :「すいません。どちら様でしょうか?」
樋尻透:「すいません。申し遅れました樋尻透と言います。のぞみさんとは幼なじみです」
ゆき :「そうですか。ちょっとお待ちください。いま、のぞみさんを呼んできますから」
ゆきは内心こう思っていた。
ゆき :「誰だろう。背が高くて、高そうなスースを着て。それにのぞみさんの幼なじみって」
そう思いながらも、ゆきはのぞみの所に行き、そして幼なじみである透という男性が、お店に来ていることを知らせたのだ。するとのぞみは嬉しそうな表情をゆきに見せ、お店のフロアに居る透の元に近づいて行った。そしてのぞみは透にこう話し掛けたのだ。
のぞみ:「透くん。わたしの誕生日、覚えててくれたんだ」
樋尻透:「もちろんだよ。僕の誕生日パーティーの時は、ちゃんと話せなかったから」
のぞみ:「ありがとう透くん」
樋尻透:「さぁ一緒に、のぞみの誕生日を祝って乾杯しよう」
こう透がのぞみに言うと、二人はみさきからシャンパングラスを受け取り、そのシャンパングラスには二人の今日の姿が映っていた。シャンパングラスに映った二人の表情はとても嬉しそうで、マスカット色をした瑞々しいシャンパンから小さい泡が気泡となって、二人の今日のこころの中の鼓動を現している様にも感じた。
そして時折弾けるその泡の音が、まるで二人のこころのリズムとなって奏でているようにも思えるのだ。こうして『銀座クラブ SWEET』のママであるみずきの掛け声のもと、乾杯が交わされたのだった。その時ののぞみと透は小学生時代の頃にタイムスリップして、まるで恋人のような眼差しでお互い見つめ合っていた。ちょうどその時、再び入口からひとりの男性がお店に入って来た。そしてその男性はこう言った。
峰山一樹:「あれぇー、もう始まっちゃったの? 学くん、ちゃんと時間教えといてよ」
そうだ、その男こそ学の大学時代の唯一の友人である峰山一樹である。一樹は近くで飲み物を用意していたゆきを見つけ、こう尋ねた。
峰山一樹:「ゆきさんだったかな。学くんは来ているよねぇー」
ゆき :「ええぇ、来てますが。今日はどうされたんですか?」
峰山一樹:「あれ、僕のこと学くんから聴いてなかったかな?」
ゆき :「ええぇ、特に何も」
峰山一樹:「相変わらず薄情なヤツだなぁ、学くんは。ゆきさん、僕ものぞみさんの誕生日を祝いに参りました」
ゆき :「はぁー、そうですか。何かプレゼントとかでも持ってきたんですか?」
峰山一樹:「まあぁーねぇー。その前に学くんにお仕置きを」
そう言って、一樹が学のいる方へ進んで行こうとしたとき、目の前でのぞみと透が乾杯しながら語り合っているのが一樹には見えた。一樹は、学が自分の来ることを伝えてくれていなかったことに対する不満があったので、目の前ののぞみにアピールしようと思って、こんな言葉をのぞみに投げ掛けたのである。
峰山一樹:「のぞみさん、お誕生日おめでとう御座います。君は情熱の薔薇みたいなひとだ!」
この言葉を聴いたのぞみは、少し戸惑いながらお礼の言葉を一樹に言った。
のぞみ:「ありがとう。峰山さんもいらしてたんですね」
峰山一樹:「まあぁーねぇー。僕はある意味、学くんの保護者だから」
のぞみ:「それと峰山さん。今言った情熱の薔薇って確か・・・」
峰山一樹:「あぁー、歌手のTHE BLUE HEARTSの歌ね。その歌の歌詞に注目してみてください」
このやり取りを観ていた透は、内心こう思っていた。
樋尻透:「こいつ、何者だ!」
そして一樹が、のぞみに言った「君は情熱の薔薇みたいなひとだ」と言うフレーズが気になり、すかさず一樹に突っかかって来たのだ。
樋尻透:「お前は誰だ! それに今言った情熱の薔薇ってなんだよ!」
峰山一樹:「申し遅れました。僕は峰山一樹と申します」
樋尻透:「あんた何者だい。それに情熱の薔薇ってのを説明しろよ」
峰山一樹:「僕ですか! 僕は学くんの友達でC大学の『教授』をしております。それと情熱の薔薇ね。自分で調べてください」
そんな二人のやり取りに気づいた学は、慌てて二人の元に近づいて来たのだ。そして学は、二人の間に割って入り何とか収めようとした。すると今度は、学が集中砲火の如く、一樹と透から責められる羽目となった。
倉田学:「一樹くん、来てたの? それに一樹くんも樋尻さんも、今日はのぞみさんの誕生日パーティーです。せっかくの誕生日パーティーなんだから、皆んなで楽しくお祝いしましょう」
峰山一樹:「君は相変わらず薄情な男だねぇー。学くん」
樋尻透:「なんだお前か! オタクくん」
峰山一樹:「そうだそうだ。オタクくんからモテ期くんに昇進し、今やモテ男くんと二回級昇進で調子に乗りやがって」
倉田学:「僕は調子になんか乗ってない。それに僕は、オタクでもモテ期でもモテ男でもなぁーい」
こんなくだらない男同士の口喧嘩を観たみずきは、三人に向かてこう言ったのであった。
美山みずき:「あなた達、今日はのぞみの誕生日パーティーなんです。喧嘩するなら、わたしのお店の外でしてください。このお店は大切なお客様と、わたしの大切なスタッフのお店です。お客様とわたしのお店のスタッフを大切に出来ないひとは、このお店から出てってください」
こうみずきは珍しく声を張り上げ、学たち三人に投げ掛けた。するとこの言葉を聴いた三人は意気消沈し、みずきに向かってこう言ったのである。
倉田学:「すいません。みずきさん」
峰山一樹:「すいません。調子に乗りすぎました」
樋尻透:「すいません。もうしません」
この後、透は傍にいたのぞみに、透が来る途中に買ってきた誕生日プレゼントを手渡したのだ。そしてこう透はのぞみに言った。
樋尻透:「27歳の誕生日おめでとう。これ、のぞみのために用意したんだけど、受け取ってくれるかなぁ」
のぞみ:「ありがとう透くん。いま開けてもいいかな」
樋尻透:「もちろんだよ」
そう言って、のぞみが透から受け取ったプレゼントを開けると、その小箱の中にはピンク色のイヤリングが入っていたのだ。のぞみは嬉しそうに透の顔を観て、そしてこう言った。
のぞみ:「透くん。もしかして、わたしが金属アレルギーだって知ってたの?」
樋尻透:「いやぁー、会ったときピアスじゃなくて、何時もイヤリングだったから。ひょっとしたらと思って」
のぞみ:「実は、わたし発達障害を抱えてて、それでその二次障害で、いろいろとストレスとか抱えているの。金属アレルギーもひょっとしたら発達障害の二次障害の可能性があるんじゃないかって」
樋尻透:「発達障害って生まれつきの病なの?」
のぞみ:「先生からそう言われたけど」
樋尻透:「それだったら、僕の知っているのぞみと、今も同じのぞみなんだよねぇ」
のぞみ:「ええぇ、まあぁ」
樋尻透:「こう見えても俺もさ、昔と同じ透だから」
こう透がのぞみに告げると、のぞみは透の瞳を見つめ、透のこころの中を瞳を通して覗き込もうとしたのだった。一方の透はと言うと、のぞみの女性らしい仕草や表情が、透の昔観たのぞみの姿と同じか重ね合わせて確認していた。しばらく二人の世界が二人を包み込み、その時間はゆっくりと二人だけで分かち合うことが出来たのである。
そこに颯爽とひとりの女性が、お店の入口から入って来た。そして透を見つけると、一目散に透に近づきこう言った。
今日子:「ここにいたのね。探したんだから」
樋尻透:「急にどうしたんだ。こんなところまで」
今日子:「あなたにとって、バッドニュースよ」
樋尻透:「わかったから。ここじゃちょっと」
今日子:「そうね。隣のあなた、席外して貰えないかしら」
のぞみ:「わたしですか? わかりました」
樋尻透:「ごめん、のぞみ」
こう言うと、透と今日子はお店の外に出て、二人でこんな会話を交わした。
今日子:「前に話した、あなたのおばあちゃんだけど」
樋尻透:「確か心筋梗塞で病院に運ばれたって」
今日子:「そう、そのあなたのおばあちゃん。今日、病院で亡くなったわ」
樋尻透:「それは本当か!」
今日子:「本当よ。あなたに知らせるか迷ったんだけど、依頼された内容じゃないから。あなたからお金取れないし」
樋尻透:「わかった。ありがとう。この件は、あとは俺の方で。お金はいくら振り込めばいい?」
今日子:「そうねぇー。あなたの好きな誠意でいいわ」
今日子は内心こう思っていた。
今日子:「わたし、前のわたしとちょっと変わったのかも」
こうして透と今日子は、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』から、それぞれ別れ去って行ったのだった。その頃お店の中では、学がこの夏の「東北被災地の旅」で描いたペルセウス座流星群の絵を、のぞみにプレゼントしていた。これも学からのぞみへの「形のないプレゼント」なのかも知れない。それを観ていた一樹は、今度は自分の出番とばかりに、こんなことを学やのぞみ、そしてみずきたちに向かって言ったのだ。
峰山一樹:「学くん、君がこう来ることは僕には読めていたんだよ。だから僕は違う方法で攻める」
倉田学:「何だよ一樹くん。僕は君と張り合ってる訳じゃ。プレゼントに勝ち負けなんて」
峰山一樹:「勝ち負けはなくても『価値』と『蒔け』はある。『価値』あるものは、たくさん『蒔いた』ほうがいい。つまりだ、良いものはたくさん蒔いたほうが良い芽を吹く。これは芸術も学問も同じだ」
この何とも一樹らしい蘊蓄を聞かされながら、一樹が手に下げて来た四角いケースをパチッと広げると、そこには立派なヴァイオリンが収まっていた。それを一樹は手際よく取り出すと、のぞみとみずきに向かってこう言ったのだ。
峰山一樹:「では、僕からのぞみさんへの誕生日プレゼントを渡したいのですが。みずきさん、このフロアをウィーンの街にしても良いでしょうか?」
のぞみ:「ええぇ、わたしは構いませんが。もしかして峰山さん、ヴァイオリンを弾かれるんですか?」
峰山一樹:「ええぇ、まあぁ。こう見えても僕は幼い頃から弾いてましたから」
美山みずき:「わかりました峰山さん。せっかくですから、今日集まって頂いた皆様にも聴いて貰いましょう」
峰山一樹:「おまかせください。僕は本場ウィーンで音楽もやってましたから、芸術に国境はない。学くん、君も日本だけじゃなく世界を観なさい」
この一樹のイヤミな言葉を聴いた学は、こころの中でこう呟いていたのだ。
倉田学:「なんだよ君は! 結局、美味しいところを持って行きたいだけじゃないか。僕は君の前座じゃないんだから。それに勝ち負けはないとか言って、自分の種を蒔いてるだけじゃないか」
学はそう思いながらも、一樹がどんなヴァイオリンの演奏をするか気になった。そしてフロア会場に居る皆んなも、一樹のヴァイオリンの演奏の腕前を固唾を飲んで見守っていたのだ。一樹はと言うと、ヴァイオリンの弓の張りの調子を確認しながら右手に弓を持ち、左手にヴァイオリンを手にして、本体下部の顎当ての場所に自分の顎をそっと添えたのであった。そしてひと呼吸して、ヴァイオリンを弾き始めたのである。
とても優雅で深みのある華やかな音色で、会場に居たひと達を魅了させたのだった。一樹が弾いた曲は、一曲目がヨハン・パッヘルベルの「カノン」と言う曲であった。バロック時代中世に作曲されたこの曲は、パッヘルベルのカノンとしてとても有名であり、フロア会場に居るお客さん達から演奏が終わると、どっと拍手が沸き起こった。
次に一樹はのぞみの為に、ピョートル・チャイコフスキーの組曲であるくるみ割り人形の「第13曲 花のワルツ」を弾いたのだった。そして演奏を終えると一樹はのぞみにこう言った。
峰山一樹:「のぞみさん。お誕生日おめでとう御座います。のぞみさんは『エトワール』だから、この曲を弾かせて頂きました」
のぞみ:「ありがとう御座います。峰山さん」
のぞみは一樹が何を言いたかったのか直ぐにわかった。それはのぞみが幼少時代、バレエを習っていたからである。そして勿論、学も一樹がこの曲を選曲した意図はお見通しだった。だから学はこころの中でこう思っていた。
倉田学:「相変わらず君のやることは本当にキザなんだよ。でもそれが時として仇となるんだよ君の場合は」
こう学は内心思ったが口には出さなかった。こうしてこの夜ののぞみの誕生日パーティーは更けていったのだ。またこの日が、日本国と連合国の平和条約(サンフランシスコ平和条約 戦後65年)と言うことなど誰ひとり気づくはずもなかったのである。
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