見出し画像

君と君の沼に向けて、お手紙かいた。


 げんき? 
   まだあの人のこと好きなの?
   

   そっかあ。



 今日は久しぶりに、好きだった人のことを書くね。



 長らくわたし、その人に向けた想いを本人に伝えることはせずに、このような場で、さまざまな形容を用いて発信してきた。彼以外にはありえない。彼以外の男は無に等しい。彼こそが世界の神様だ。そんなあまりにもひどいバイアスを持って。そのような切れっ端を持って、わたしはわたし自身のことを懸命に支えてきたんだよね。今となっては、ばかばかしくてどうしようもなかったなあ、と思うけれど、そのときは彼の実存が世界のすべてだった。あなたがあの人に感じているのと同じように、彼がわたしの前からいなくなるということは、この世界の崩壊を意味していた。


 わたしにとっての「あの人」は、山田という。


 山田は、大学時代の同級生だったの。わたしは大学1年生のころから社会人3年目まで、6年間も山田のことが好きだったんだ。なぜ? そんなの、 理由はない。特に何かをされたわけでもない。理由なんてないのだ。ただ山田のことが、山田がそこにいてくれること自体が、うれしくてうれしくてしかたがなかったのだ。山田がきちんと実存しているということにどうしようもなく焦がれていたのだ。こうして言葉にして表すと、愚かなことだと、恥ずかしいことだとわざわざ教えてくれる先生みたいな人もいるけれど、承知の上で書いている。わたしの書いた文章はひとつ残らず山田に言うべきことだったことは、わたしがいちばんよくわかっている。それでももう、山田に会えるすべもなくなってしまったのだから、いつものように書くしかない。それで救われると言う女の子たちが少なからずいたのだから、やっぱり書きたいと思うのよね。

    

 まずは好きになるまでの過程を振り返ってみる。繰り返しになるだろうけど、初めて無料で山田のことを書いてみるから、ぜひ読んでいって。


 山田とは同じ学科だったの。同じ職業を目指す仲間のひとり。喋ったことなんてなかった。学科のみんなで行った宿泊イベントのキャンプファイヤーで、たまたま隣り合わせただけ。みんなで「今日の日は〜さよう〜なあら〜」を合唱するときに手を繋いだことがあるだけ。それだけ。それだけで好きになった。好きになっちゃった。身体ががっしりとしていて、節々の筋肉が大きくて。ついでに態度も大きくて。いつも堂々として、男の子たちの輪の真ん中で仕切っているような、そういう類の男の子。誰にも媚を売らないところが素敵だった。卒業式にやっと思いで話しかけて、顔を真っ赤にして頼んだツーショット。山田は取り立ててモテるわけじゃなかったし、むしろ女の子に意地悪なことばかり言うから嫌われている方で、まさに男に好かれる男と言った感じ。でも初めてのまともな会話、初めてのツーショットがうれしくてうれしくて、卒業式が終わったあともずっと見ていた。わたしが山田のことを好きだといううわさがすぐに広まったのは弊害だったけど、もう卒業しちゃうんだし、それはほんとうのことなんだから否定しなかった。こうして山田とのツーショットは、人生でいちばんの思い出になったわけ。



 社会人一年目の夏、多忙な日々に山田のことなぞすっかり忘れていたころに、メッセージが届いた。インスタグラムのDM。相手は見覚えのあるユーザネーム。山田だった。仕事が辛いというメッセージだった。珍しかった。弱気な側面なんか感じさせないような人だったから。今考えてみれば、彼は仕事が好きで、休日も返上して働いているのだからこれも本音ではなかったはず。わたしにメッセージを送る建前の言葉だったのだろう。わたしと山田はやりとりをして、その後にLINEを交換して(四年越し!)、電話をした。山田の声は、知らなかった。だってぜんぜん喋ったことがなかったんだもん。だから新鮮だった。山田は実家暮らしだからか、外へ出て散歩しながら、電話をしてくれた。夜の小道を歩きながら、ちょうどディベート相手を詰めるように、わたしを口説いた(そういえば公開ディベートでわたしと山田が同じチームとして選ばれてしまったことがある。向かってくる反論に慌てているわたしを可哀想だと思ったのだろうか、山田はとんでもない圧力で相手チームを打ち負かした。山田はディベートと喧嘩をするために生まれてきたような人間で、思えばそれがキャンプファイヤーでの出来事で感じた甘やかな気持ちを後押ししたのかもしれない)何度かデートを繰り返した同期の人と連絡が途絶えて落ち込んでいた当時のわたし。いつの間にかわたしたちは会っていて、いつの間にか吃らずに話せるようになっていて、いつの間にか裸を見せ合う関係になっていた。ほんとうにいつの間にか。いつの間にかそうなっていた。


 はじめてキスしたことを思い出す。緊張して固まりながら、黒い安物のソファに座っているわたしのすぐ後ろに、山田はごろりと肩肘をついて横たわった。わたしは耳まで真っ赤になってしまって、一度お手洗いにいき、深呼吸して戻った。山田は座ってスマホゲームをしていたので、そっと近づいて膝の上に乗った。こわごわ抱き合うと、山田の身体が硬いことを、ずっと密やかに空想して実行してみたいと思っていたことを、きちんと確かめることができた。胸が高鳴って死にそ〜と思った。それを口に出すのも照れ臭くて、ここじゃあ狭いよと言ったら、そのままベッドに運んでくれた。


  そこからは繋げる言葉に迷ったし、山田の顔が近かったから恥ずかしくなって、そんな自分の顔も見られたくなくて、とりあえずキスしようとした。でも山田はなかなかさせてくれなくて、ちょっとしょんぼりした。そうしたらにやにやしながらもちゃんとしてくれた。山田の舌は硬くて、緊張しているのがわかった。前戯はうまくいかなかった。山田の指が太くて、痛いと言ってしまった。後から聞いたのだけど、前戯のテクニックに相当の自信のあった山田はわたしの言葉でしばらく落ち込んだようだ。わたしは前戯をするセックスをあまりしたことがなかったから、ゴツゴツとしたもので広げられるような感触に驚いただけだったのだが。挿入はうまくいった。山田はあまり声を出さなかった。一方、「おれは喘ぎ声に弱い」と前もって聞いていたわたしはかわいい声をあげようと、頑張って声帯を機能させた。互いが互いを気にしながら二度ほど終えて、無言で帰った。電車の中で、すごくよかった、あの時は言えなかったけど、とメッセージが届いたときは恥ずかしくて、でも幸せな気持ちでいっぱいになった。古橋ちゃんの声が可愛くてがんばった。おれは照れ屋なんだよな。追って山田はメッセージをくれた。




  山田を好きになるのには時間はかからなかった。当然だ。何せ大学の頃からずーっと好きだったのだから。わたしたちは身体の相性がよかった。それはわたしが山田を好きだったことが大きいと思うけど。山田も、わたしの性器を褒めた。だからなんとなく、わたしたちはお互いに相性がいいのだと言い合い、思い合い、信じ合うようになった。それがこういう関係を長く続けていくために必要な言葉だった。山田はわたしと同じ職種だっだけれど、都内で働いていた。わたしは東京からは遠くないけれど、それでも山田からは少し離れた地方で働いている。23歳。山田はどうか知らないけれど、少なくともわたしは今後の交際と結婚とを結びつけて、恋愛することを意識していた。同じ職場の人と結婚して、地方でのんびり快適に暮らす。そんな両親の願いとビジョンをそれとなく知っていたから、山田と交際をする、結婚をする、という関係にならないことは、ぼんやりわかっていた。セフレとして続けようか、という話に進んだ。大丈夫かな、好きになってしまわないかな。わたしが尋ねると、「おれは、大丈夫。感情ないし」と山田は言った(感情ないしって!どこの主人公だよと後ほど友人は言った)。「ほんとうに?」と返すと「大丈夫。……だと思う」と言った。だと思う、という言葉がこれだけ嬉しかったことはない。このときはこれから2年も、この関係が続くとは思わなかったし、これから2年も、山田のことを好きでいるとは思わなかったし、これから2年も、好きになってもらえないことを、わたしは知らなかった。



 そのうち山田のことがほんとうに好きになってしまった。とてもとても好きになってしまった。仕事があまりにも忙しくて、なかなか友人とも会えなかった。苦しくて、思いを吐き出そうと思って、始めたエックス。山田のことを呟くためのSNS。古橋という名前で、呟きを始めた。山田っていうのは、もちろん仮名だ。山田は、髪型や歯並びがちびまる子ちゃんの「山田」に似ていた。だから女の子たちからは、陰で「ダジョー(ちびまる子ちゃんの山田は、語尾に〜だじょーと言うのだ)」と呼ばれていた。そこからとって、山田。山田のことを文章にしていくと、余計に好きになるように感じた。文章の力はすごい。山田という言葉、山田という発声すらも、とてもとても好きになるように、仕組まれているみたいだった。そのうち200文字で留めることができなくなって、noteを始めてみた。山田が好きという単純な5文字を、さまざまに言い換えて、時には卒論か?ってくらいの大仰な文字数で語った。自己満足だった文章は、いつしか人に読まれ、物語にもなっていき、「古橋」として、居場所が確立されるようになっていた。けれどわたしが読み手を意識して改変したり、うそをついたりしたことはいっさいない。最初から、山田が大好きだった。ほんとうにそれだけだった。それだけの気持ちでここまで書いてきた。だからその分、山田がわたしを大好きだと思ってくれないことが、むしろ、好きではないというふうに振る舞ってくることが、死にたくなるほどかなしくてつらかった。これはもうたくさんnoteに書いてきたから、あんまり深堀はしないけれど(はずかしいし)、とにかく山田との関係性を何がなんでも恋人、というものにしたかった。セフレとして関係を保つことに同意していたはずなのにね。気持ちは変わるもので、山田の特別になりたいと願ってしまった。というかもう山田になりたかった。山田を愛して、同じくらい山田に愛されたかった。そしてだんだん愛されないことがわかってきて。最終的には愛されなくても、山田のそばにいられればそれでいいやって感じるようになっていた。好きで好きで仕方がなかった。毎日山田のことばかり考えていた。ずっとずっとずっとずっと、山田のことばかり考えていた。こちらが好きになったって、相手が好きになってくれるとは限らないのに、好きでいた。


 告白をしようと決めたのは、セックスフレンドになってから2年がたったころ。さすがにつかれてきてしまった。あなたも伝わればうれしいけれど、見返りのない愛を与えていると、だんだんつかれてきちゃうんだよね。山田が同じように返してくれないことが、それどころかわたしを突き放そうと意地悪を言ってくることが、これまではなんとも思わなかったのに、急につらくなってしまって。いやずっと気がつかないふりをしていただけだから、正常な感覚に戻ってきた、と言う方がただしいのかもしれないけれど。だから告白をしてもう終わりにしようと思った。好きだったんだよ、山田!  わたしあなたのことずっと好きだったんですよって。わたしにとって告白とは、爆弾のようなものだった。梶井基次郎もびっくりの檸檬爆弾。告白をすれば、山田は身動きが取れなくなるはずだと思った。付き合うことになればいちばんいいけれど、付き合わないことになったとしても、それは山田に、「あなたは身体だけを目的に都合の良いときだけ呼び寄せてくる最低な人間ですよ」という事実を押し付けることができる攻撃だった。どちらにせよ、想いを伝えることは彼自身に大きな衝撃を与えるのだと信じてやまなかった。だってこれまで山田が突き放すたびに、わたしは平気な顔をして、笑って肯定してきたんだもん。お前に早く好きな人ができるといいな、と言われた時も、鼻の奥がじんとして熱くなったけれど、「できるといいよねえ」と頑張って頑張って、顔を引き攣らせながら笑ってきたんだもん。山田って、わたしが山田を好きなことを、ぜんぜん知らないんだ。だからこそ言う。言ってやる。谷川俊太郎の詩のように、根所鷹四の告発のように、「ほんとうのこと」を言ってやる。「ほんとうのこと」は爆弾になり得ると、わたしは本気で考えていた。そのように決断する直前は、じつはもう物理的に殺そうと思っていた。殺して私のものにしようとまで考えて、凶器をカバンに入れたまま、山田の性器をくわえていた。けれど実際にそれを実行した人に諭されて、優しい彼女の思いやりを受けて、やめた。代わりに言葉で殺そうと決めたのだった。まあいろいろな言葉でこねくり回しているけれど、要はセフレに「好きだ」と伝えようとしたのね。


 伝えようとしたあたりに、会えないと言われてしまった。このときのことは最後のnote『さようなら、私の山田! すべてよし!』に書いている。本人の言い分としては、仕事の役員になって、病気もしてしまって、性機能としても役に立たないし、セックスをする余裕がない(からもう会えない)、というものだった。ほんとうにそうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれなかった。でも、理由がどうであれ山田がわたしとのセックスを辞めたいと感じているのは確かだった。わたしの存在が彼を疲弊させているのは確かだった。したくないと考えているのは確かだった。つらくなるから、そのときは他の可能性は考えなかった。ただ事実として、山田と会えないことを、そうなんだなあ、と受け止めた。6年が経っていた。わたし自身も、社会人3年目になった4月は、2年前とは比べ物にならないくらい働かされていた。職場の多忙と人間関係からすっかり適応障害、鬱病、不安障害を診断されたわたしは、山田からの最後のメッセージに涙が止まらなくなって、コンビニに車を停めて、頓服の精神安定剤を飲んだ(さすがにはみがきさんのようにワインはがぶ飲みしなかったが…)セフレに振られただけなのに、ダサいよねえ。けれどもそのセフレが死ぬほど、彼との心中を本気で考えるほど好きだったわたしは、とんでもないダメージを負ったのだった。一度でHPがゼロになる感覚。ラスボスに攻撃されて一発で棺桶だらけになったパーティを見ている感覚。自分のHPが一突きで消費されて、赤色HPになり、十字架のマークがつく瀬戸際。もう無理。もう無理よ。江国香織が「デューク」の冒頭で書いていた、美しい表現。「びょおびょお」泣くとは、まさにこういうことなんだろう。わたしは文字通りびょおびょお泣いて出勤して、大人なのに全くその日は集中できなくて、唸りながら隣のデスクの40代男性に愚痴をこぼす、そんな恥ずかしい一日を過ごした。



 山田に振られたのが四月の後半だから、振られてもう四ヶ月くらい経つ計算になる。会っていない期間を含めて数えると半年以上だと、これを書いていて気がついた。少し間を置いて、気がついたことがあった。


 山田は、わたしのことを好きではなかった。そしてわたしは今まで、それは山田が自分のことを好きだからだ、と認識していた。だって山田はいつも自分の話ばかりしていたんだもん。わたしはいつも聞き役で、山田はいつも自分のことばかり。そして鏡張りのラブホテルの部屋が取れた日には、ずうっと鏡の中の自分ばかり見ている。気持ち悪いなあ、自分大好きな山田くん。けれどもそれは見当違いだったのかもしれない。山田は山田のことが好きではなかったのかもしれない。


 彼は自分に自信がなかったんじゃないか、と考えるようになった。だからわたしのことも好きにならなかった、いや好きになることができなかったのではないかと。わたしは山田の話に真剣に耳を傾けたことがなかった。それは山田が、自分の話ではなく、誰か他の人……たとえば自分の優秀な兄弟とか、父や兄の勤め先とか、巨根で絶倫の友達の話とか、絶対に裏切らない親友の話とか(絶対に裏切らない人間なんてこの世にいるんだろうか、とわたしは思ったが、これも山田の「裏切りませんように、ひとりになりませんように」という祈りそのものだったのかもしれない)そういう自慢話ばかりをするからだった。思えば山田は、山田自身の話をすることがなかった。どんな哲学を持って、どんな苦悩を持って生きてきたのか、語ったことがなかった。山田は山田のことを上手く話せなかったんだ。それは山田が、照れ屋だからではない。それだけではない。言葉や会話の方法を知らなかったから。表現の仕方を知らなかったから。自分が構築した世界の濃度を、上手に伝えるすべを獲得できていなかったからではないか?



 そんな山田のことをふくんで、少しでも寄り添うことができていたのなら、未来は変わっていたのかもしれない。もう少し私が大人になって彼を見つめることができたのなら、彼は彼自身の世界を焦らず、誰にも引き目を感じることなく、言葉にしていくことができたのかもしれない。そういう意味で自分のしてきたことは幼かった、と友人にこぼしたら「そんなことをする必要はない」と言われてしまった。それではお母さんになってしまうではないか。山田の弱さを受け入れ、見守るのはあんたの役割ではないんじゃないか。そうなのだ。じつはずっと、わたしは山田のお母さんになりたかったのだ。口では彼の弱さを受け入れてそんなところも愛していくと叫んできた(実際はそんな自分に酔っていただけだったけれど)でも最終的には本物のお母さんではないため疲れてしまって、辞める決心をしたのだった。その選択は間違っていなかったと思う。それは前に進むための、大きな一歩だったと思う。それでもときおり考えてしまうのだ。ほんとうに、ほんとうに、わたしは心の底から山田を理解しようとしていたのだろうか? 理解することはできなくても、近づこうとする努力をしていただろうか? 結局わたしもわたしの気持のよい方向に動いて、山田を窮屈にさせていただけではなかったか? わたしには、山田が何に苦しんでいるのか、何に怯えているのか、尋ねて、考えて、歩み寄ろうとする姿勢が欠けていたのではなかったか……



  
 山田のことを考える。それは振られたいまでも変わらない。最初のうちはさびしくてさびしくてたまらなくて、いつも泣いてばかりいた。嫌なこともたくさんされたけれど、それらをすっかり忘れて、笑顔になったときに見える八重歯とか、腕の真ん中にあるほくろとか、新しい服をかわいいと言ってくれたこととか、午前中に美容室に行ってきたと話すととても嬉しそうにしてくれたこととか、ずっとこうしたかったと抱きしめてお姫様抱っこしてくれたこととか、そういう都合のいいことばかり思い出していた。でも最近はそうでもない。いいことと同じくらい、いいことでなかったことも思い出せる。どうせおれのこと下手くそだと思っているんだろう。どうせ演技しているんだろう。おまえも3Pとかしてみたいだろう。おれよりもちんこのデカい男はいたんだろう。おれだって探せば他の女なんてすぐに見つかるんだ。おれに呼び出されてホイホイついてきて、おまえの両親も泣くだろうな。いろんなことで傷ついて泣いてきたけどいまでは辛かったこともかなしかったことも、そんなこともあったな〜と思い出せるようになってきた。それは、自分の周りの環境が変わってきたのもあると思う。自殺未遂が癖になったのがきっかけだろうか、両親が結託するようになった。わたしのことをすてきだと言ってくれている人と、月に1、2回、出かけるようになった。けっして大きな、崇拝のような感情ではない。けれどもじんわりとやさしい眼差しを受けることは、心地がよかった。これまではそういうふうに感じたことは一度だってなかったのに。同じ気持ちを返せないことにばくぜんと罪の意識があって、鬱陶しい、苦しい、逃げ出したいと思って避けてきたはずなのに。山田から離れて、急に受け止められるようになった。それはわたしがわたしであることを、「山田のいないわたし」が今ここに存在できていることを、自分で認められるようになったからだった。時間が経つにつれて、自分のことをだんだん好きになってきたのだと思う。これでいいんだ、これが自分なんだ、頑張らないのも自分なんだって。だからこそ相手の慈しんだ眼差しに気がつくようになった。相手の愛情を素直に受け止めて、ありがとうと言えるようになった。



 もし、わたしの思う通り、山田が自分のことを認められない人間なのだとしたら。それはとても寂しかったろうと思う。寂しいと感じる人にいくら好きだと繰り返しても、底の空いた袋に砂を入れるように、さらさらと身体から落ちていってしまうはず。山田はわたしの好意を苦しく感じていたのかもしれない。それは息の詰まるものだったのかもしれない。わたしが山田と一緒にいる期間に、他の男の人から大切にされて、むず痒くなっていたように。どうせわたしの身体目当てでしょと無下にしてきたのと同じように。どうせ、の呪いを、山田も被っていたのかもしれない。
  いつだったか、山田が「好きって何」と尋ねてきたことがあった。同じように「おれのこと好きな女の子、そのへんにいないかなあ」とこぼしたことも。(そのときわたしはここにいます!と手を挙げたのに、しらっと無視された。おかしみのある思い出だ)どちらもそのときは、こんな中学生みたいなことを言うなんてばかだなあと思っていたけれど、いまなら言える。好きって言うのは、あなたに対する思いやりのことだよ。そしてその思いやりっていうのは、きっと自分のことを大切にできて初めて相手に与えられるものなんだよ。認められたければ、認めなくちゃ。好かれたいなら、好きにならなくちゃ。愛されたいなら、愛さなくちゃ。そして相手を認める、好きになる、愛することは、わたしはこれでいいんだ、このままで実存して構わないんだっていう実感があって、土台があって初めて、成り立つものなんだよ。自分はこれができる・できない、これが人より優れている・劣っているなんて、そんなくだらない指標で自分自身を束ねないで。どうかそのままの存在でいいんだと、捉えられるようになって。わたしがわたしを捉えられつつあるように、山田も山田の世界を丸ごと自分の身体で肯定してあげて。楽だよ。そっちの方が。自分のことが好き。そしてそれは嫌っていたの裏返しだったんだねえ。そう、今だったら山田に言える。


 山田のこと、今度はきちんと、ほんとうの意味で愛していけると思う。でも、もうわたしにそうする気力は残っていない。山田のお世話をするのに疲れてしまったし、なにより、わたし自身が山田のコンプレックスを埋めるための道具になるのを嫌がっている。わたしはわたしの好きなときにセックスがしたいし、わたしはわたしを好きな人と、穏やかに落ち着いて過ごしたい。それだけだから。そんな自分ファーストの人生を望めるほど、山田よりも先に進んでしまったから。だから山田のごっこ遊びにはもう付き合っていられない。これでいい。これがいいのである。


 わたしのnoteを読んでくれている子は、みんな、同じような境遇ばかりだ。誰かを好きになって、好きになって、好きになって、その思いをどこへぶつければいいのかわからない、かわいい人たちだ。彼、彼女たちは口を揃えていう。私たちは大丈夫になる。いつかきっと大丈夫になる。全部これでいいんだって思えるようになる。そうだよね。でも、もう、なる、じゃない。するんだよ。自分で大丈夫にするんだよ。大丈夫にして平気なんだよって、伝えたい。あの人のそばにいるだけでいいんだよね。あの人の人生を近くで感じているだけで、幸せな気持ちになれるんだよね。でもそばにいることだって、自分で決めてきたことなのよ。けっして相手のため、という理由でそばにいるわけではないのよ。自分がしたいことだから、しているの。いつの日か愛される順番が来ることを望んで、していることなの。だから、だからこそね。やめたくなったらやめていいんだよ。自分で決めていることなんだから、自分でやめ時を決めたっていいんだよ。そういうこともできるんだよ。みんなみんなあなたが選んでいっていいんだよ。わたし、これまで山田のために生きているんだと思っていた。山田をあらゆる困難から守ってやりたいと本気で思っていた。山田をいかなるときも肯定して、彼の精神世界に少しでも近づいてサポートできればと思っていた。でもそれは「山田のため」じゃない。山田が豊かに人生を送れるようにするため、と言い聞かせてきたけれど、実際ら「山田のため」じゃなかった。それはほんとうは、自分が山田に尽くしているのだと実感するため、いつかは感謝されるんじゃないか、彼女にしてくれるんじゃないかと期待していたため。自分が気持ちよくなるだめだった。でもつかれちゃうのよ、そのうち。つかれちゃうときが来るかもしれないのよ。そのときは絶望的にならないで、自殺なんかしないで、どうか選んでね。どうか自分を愛せる方を選んでね。それでもあの人と一緒にいる選択をするなら、それでいい。反対にあの人から離れて内省するのでも、もちろんいい。わたしみたいに山田を好きなまま、鬱々としながら未練たらたらの思いを吐露していくのでもいっこうに構わない。どの選択が優れている、なんてないんだから。選択に優劣はない。わたしだって山田に一生ついていくんだと思っていた。こんなに言葉にしてきたんだからわかるでしょ? でも終わっちゃった。終わらせちゃった。自分で決めて、自分で離れて、自分で連絡しないまま、半年が経っちゃう。半年が経っちゃうような選択をしてきたの。



 だからね、つまりね。あなたも好きなように生きていってね。好きなように選んでいってね。自分の行動のすべては、相手のためじゃなくて、自分のためにやっていることなんだから。それを逆手にとって自由に、あくまでも自由にしたいことを選んでいってね。頭じゃなくて胸に手を当てて、素直な気持ちで選んでいってね。そうしてちょっとずつ選択を重ねていったとき、わたしたちは前よりも少しだけ前に進んでいることに気づくんじゃないかな。

 わたしもそうなんだけどさ、沼に落ちているポストって、ばかにされがちだよね。ばかまんこだっていわれるけれど、知ったこっちゃない。言われ慣れている。でも一人の男を長い間好きでいるなんて滅多にできることじゃないと思うのよ。わたしは脱退した。山田教を脱退して古橋改め急何教!を始めることにした。あなたにもきっとそういうタイミングがくるかもしれない。どう選択してもいいの。自分でこうするって決めて、自分で言い張っていくことが、大切だと思うのよ。

 どうしてあんな男を好きだったんだろう、と思えるようになれば、成長したと言えるんだって。でもそういうふうには、わたしは思いたくない。だって「あんな男」である山田を好きだった、過去の自分を否定したくないもの。でも、「あんな男」を好きになって、たくさん喜んで、たくさん傷ついて、自分を知ることができた。自分がどういうことに心を躍らせ、どういうことに傷つくのかをわかるようになった。それはたしかに己の糧にはなったような気はする。好きでもない男と好きでもない交際をして安楽な場所で日々を過ごすよりも、よっぽど糧になったんじゃないかと思う。無駄じゃなかったよ。だから大丈夫。前を向けないなら斜めを向けばいい。これは最近好きな言葉。ほんとうにそう思うよ。斜めに進んでも、それは道になっていく。新しい自分になっていく。わたしの一生をかけた恋は終わったけれど、今、わたしは静かに満足しています。もちろんとっても寂しいけれど、わたしが考えて、わたしのために選択した「いま、ここ」なのだから、満足しています。人間って強いわ。

 あなたがしたいからしてきたこと。そしてそれは、あなたがしたくなくなったなら、疲れてしまったなら、綿毛をふうっと吹くくらいの軽い気持ちで、やめてもいいことだ。続けなければいけないことなど、この世にひとつもないんだから。アーティストを聞かなくなるように、ふわっとやめていけばいいよ。あたし山田がいなくなって死ぬかと思ったけど、実際こんなに健やかに息をしているんだから、大丈夫。強かに、しなやかに、軽やかに忘れていきましょう。日本屈指のメンヘラが言うんだから間違いありません。人間の忘却システム舐めんな、卍。



 飽きたらやめる。それだけのことにこんなに文字数を使ってしまった。ごめんね。



 今日もわたしはげんきだよ。
 気圧の変化が激しくて、気持ちもアンバランスになりがちです。どうか気をつけてお過ごしくださいね。


 あなたの選択のすべてを、つねにわたしは肯定するよ。



 読んでくれてありがとう。またお手紙書くね。


 かわいい古橋ちゃん より🫶💌



















いいなと思ったら応援しよう!