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旧海軍工廠造兵部で栄えた横須賀・皆ヶ作のカフェー街跡 2005年9月
・竹の湯の向かいの路地を入ると皆ヶ作と呼ばれた旧赤線地帯だった。現存の竹の湯のほかに清水湯、大黒湯、白川温泉と4軒の銭湯があった。
・ 近くの旧田浦町役場(大正15年築)もアールデコ調の建物で今も残っている。残っている建物の中では最も端正な感じの建物。
・皆ヶ作親交組合員之証
・当時の建物は減ったけど、BARとして余生を送る建物も何軒か残っていた。
・旧田浦町役場(大正15年築)。
※旧田浦町役場 横須賀市HP
・船越隧道の新旧。明治26年、大正12年。傍らに関東大震災の殃死者群靈寶塔が建っている。
・関東大震災の殃死者群靈寶塔
・バラックが残っていた。
※皆ヶ作1
※皆ヶ作2
※竹の湯
(船越の商店街)※横須賀市HPより
旧海軍工廠造兵部(現在は東芝ライテック)は、創立当時工員数わずかに20名であったが、昭和10年代になると3万人を越すようになる。さらに近くの防備隊(現在の田浦中の位置にあった)、海軍水雷学校(関東自動車工業、海上自衛隊第2術科学校付近)、航空廠(追浜)や長浦軍需部などの大工場を加えると軍施設に勤める軍人と工員は、数万人に達していたという。それにともなって、船越の商店街も発展してきた。昭和8年頃の地図をみると戦前は、医院や料亭、銭湯、自転車屋などが多かったことがわかる。
※船越の商店街
・旧海軍時代の建物。