筋トレ再開の流れなのか??
何気なく持ち上げたダンベルが運命をわけることだって、あるのかもしれないね。
正直に言って、飽きていた。この錘を挙げ続けることに、どんなにギリギリだとしても挙上可能な重量を向上させ続けることに、そこに拘ることにどんな意味があるのだろう。そんなことを考える段階で既に、燃え尽きとまではいかなくとも、ウェイトだけを信じて成長し続けることのできるサイクルからは大きく外れていたのだろう。もはや、そのことが目的となってしまっていたのだから。ある日、右上背部に鋭い痛みが走り、ギックリ腰の片側版のような状態になって以降、記録によると2ヶ月間、ウェイトに触ることすらなくなってしまった。
代わりに、休みに休んだ。もとい、痛まない姿勢でもできることをやっていた。
捻ると痛いが、特定の範囲まで動かさなければ全く平気だったので、自転車に乗ることは全く問題なくできた。また、歩いたり走ったりといったことも、後方確認で背中を捻ることには慎重になったが、可能だった。つまり、LSDならできたというわけだ。不幸中の幸いというやつであろう。
また、興味のままにポールワーク、ラダーやミニハードルやミニコーンを使ったアジリティ、メニューの半分はエンジェルジャンプとタックジャンプで構成されたプライオメトリクス、スケート選手が氷上にいることのできない時に行われる(?)ドライランドと呼ばれるトレーニング、そして、単なる子どもの遊びであるかのようなイメージを持たれる割に超絶過酷なトレーニングであるところの縄跳びを取り入れた。これらは側から見ると地味なのだろうが、クイックに動くことの重要性、それを達成できるだけの体幹と手脚の連動性を得るメリットは想像以上に大きく、素地になることを痛感した。要は、大きな重さを挙げることができるようになるというのは副産物なのであって、身体の連動性を高め、スピードを上げることこそが運動神経というやつなのだ。
できることだけやった結果として、身体をじっくり回復させながら、飽きをときほぐすこともでき、更に、これは全く想定外だったのだが、以前の追い込み重量に迫る、または上回る重量を余裕を持って挙げられるようになってしまった。
「なんなんだこれは? 私はなにも、追い込むようなことは一切やってないぞ……??」
疲労をおして無理をしながら続けても、結局はこれまでより大きな力(パワー×スピード=フォース)が発揮できないならば、超回復を得られるだけの刺激が筋肉および神経系に加わらない。また、前述の式でいえば、パワーだけ追い求めてもスピードが上がらなければ、最終的な出力であるところのフォースは、上達するにつれてどんどん頭打ち感が強くなる。ジムやウェイトルームで打ち込むだけでは一枚落ちるのだということが、実際に体験することによってストンと理解できた貴重な療養期間だった。
つづく??