山かけそばに見る器の小ささの話。
本日、祖父が亡くなりました。
noteを書いている場合じゃないのかもしれませんが、今、少しだけ落ち着いて、一人の時間です。
だから少しだけ、許していただきたいのです。
少しだけまだ、日常から遠ざかっていたい気分なのです。
連絡を受けたのが、今日の昼頃でした。
実家は、葬儀の準備やら何やらで人手が足りないので、急遽仕事を早退して、私一人で帰省しました。
来客の対応をしたりしながら、ようやく通夜や告別式の日取りが決まりました。実家にも叔父が残ってくれるというので、私は、一応はお役御免となりました。
そのまま高速をかっ飛ばして直帰しても良かったのですけれど、少し疲れました。なので、途中のサービスエリアに寄りました。
そういうわけで現在、こうして休憩中です。もうこの時間なので、家に帰っても家族は夕飯も済ませているだろうし、私も食べて帰ることにしました。
このサービスエリアはレストランが多く、メニューのバリエーションが豊富で、選び放題です。いつもは、子連れで食事するのである程度の忖度はしてしまいますが、今日はその必要もありません。とんかつでも、ラーメンでも、唐揚げ定食でも、好きなものを選んで食べていいのです。
では、私は、何を食べたでしょう。
正解は、山かけそば、でした。
ものすごく久々の一人で外食、晩ご飯。なのに、味噌とんかつでもなく、濃厚醤油ラーメンでもなく、塩麹唐揚げ定食でもありません。シンプルで、ヘルシーなお蕎麦です。
お腹いっぱいジャンクなものを食べたい気持ちはあるけれど、心が追いついていきません。いや、肉体も追いついていっていないのです。
パンチのあるガッツリ飯よりも、出来るだけお腹に優しくて消化の良いものを、なんて考えてしまうのです。ハイカロリーなものを摂取することで、太りたくない、胃もたれをしたくない、明日に影響を残したくない、そんな守りの思いが働いています。
こういうところに、私の器の小ささが出るのでしょう。
仕方ないので、サッサと食べて帰って、日常に戻るとします。通夜と告別式が終わるまでは、当然ですが、なんとなく気が抜けません。
ちなみに、祖父は生前、よくトロロを食べていました。
注文した時にはそんなことは忘れていましたが、食べている最中に思い出しました。
もしかして、だから山かけそばを注文したのでしょうか?潜在意識なんだか何だか分かりませんが、何ともお節介なやつです。
昔は、祖父の、すりおろした山芋を啜る音がどうにも苦手で、いや正直に言ってしまえば汚く感じて嫌だったのに。今では自分が好き好んで、トロロを食べているのだから、どうしようもないですね。
だけど、何だかな、今日の蕎麦は、そこまで美味しくないです。お店のせいではないのです、確実に私のせいではあるのでしょう。
何だかな、虚しい気分です。祖父不孝な孫です。ごめんね、おじいちゃん。
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