日常とドラマの話。
次回の話が気になりますね。
録画はしていたんですけど、ずっと観る時間が取れなくて。先日ようやく2話まとめて一気見しました。
何をって、ブラックペアン2の話です。
https://www.tbs.co.jp/blackpean_tbs/
私はシーズン1もテレビで観てましたし、原作の小説も買って読みました。続編が放送されると聞いて急いで録画しました。日曜の21時はもう寝てますから、リアルタイムでは観られないです。
というわけで観ました。
特に医療モノが好きってわけではないですけど、ブラックペアンはシーズン1が放送されているときにたまたま見かけて、観出したらハマりました。渡海と佐伯教授の水面下の腹の探り合いみたいなのがワクワクして面白かったんですよね。
今回も色々なシーンがありそうですけど、きっと最後まで観ると思います。ネタバレは嫌なので、極力ネットで調べたり原作を探して読んだり、っていうのはドラマが最終回を迎えるまではやりません。感想も控えておきます。黙ってストーリーを追うのが楽しいので。
さて、今回言いたいのは、ドラマと日常についての話。
今ではあまり観なくなってしまいましたけど、私は結構テレビドラマが好きです。今回も作中で、色んなシーンが出てきて「おお、どうなるかな」「ああ、そう来たか」みたいにドンデン返しが次々にやってきてワクワクするんですよね。
ただ、ここでちょっと思ったことがあります。
別にブラックペアンがどうだとか言うつもりは無くて、私はテレビドラマが好きではあるんですけど、はて一体何が楽しみで観ているのだろうなと。
こういう医療モノのドラマだったりすると、たとえば渡海とか天城みたいに常人のレベルを超えたハイパースキルを持っている人物が居て、その人が華麗にオペをやり遂げたりするわけですけど。
ふと考えると、客観的に見ると、医者が手術をしている、という行為があるだけなんですよね。もちろん、そこには超絶スキルがあって一般の人にはまねできないワザがあるとしても、やっていることは手術ってだけです。
他の例で言えば、私は踊る大捜査線とかもとても大好きです。
特に小説版を何回も読み直すほどなんですけど、これって警察が犯人を捕まえる、というのが話の中で大きな目的としてあったうえで、その目的を達成するために立ちはだかる障壁として、犯人との頭脳戦だとか警察組織のドロドロだとか、そういうのがあるんですよね。
でも、これも冷静に考えれば、悪いことをした人がいて、その人を警察が捕まえる、という行動があるだけに思えます。もちろん、その界隈で上で述べたようなゴタゴタがあるんですけど。
何が言いたいかというと、結局やっていることは、仕事なんですよね。
そして私はそういう「仕事」にかかわるドラマが好きで観ているんですけど、じゃあその仕事の中身に興味があるかというと、案外そうでもないなと思っていて。
どんな手術をやるのかとかその技術のスゴさとか、そういうのも興味が無い。犯人が警察に追われて捕まえられる。そういう事実についてもそこまで関心は無い。
だけど、観てしまう。なぜか。
それは、恐らくですけど、そのドラマを引き立てている「演出」が好きなんだと思うんです。
いえ、演出なんて言葉を使ってしまいましたけど、私は舞台に関する知識も無いですし、正しい意味で使えていないかもしれません。もう少し詳しく説明をするなら、人が仕事をするうえでブチ当たる問題とか、そういうのを脚色して、どうやって乗り越えていくか。そういうストーリーみたいなのを追うのが好きで私は観ているんだと思いました。
そしてそれらこそが、警察組織内のゴタゴタだとか、天才医師が周りを振り回しながら行動する様だとか、そういう物語の主軸(「手術して患者を助ける」とか「無事に犯人を捕まえる」とか)ではないところにある、言わば周辺にある出来事を見て楽しんでいるのだなと。そう思ったわけです。
だって、もしドラマがメインの目的だけをクローズアップするのであれば、
・医療モノ ⇒ 医者が患者を助ける ⇒ 終了
・警察モノ ⇒ 警察が犯人を捕まえる ⇒ 終了
で話が終わってしまうわけです。
すごく地味なわけです。
しかし、実際のテレビドラマはそうでは終わらない。その話の周りの部分がアレコレと脚色されて、その余談みたいなのが面白いわけです。なかなかメインの目的を達成できなくて、なおさらそれが楽しいのです。
青島があっさり犯人を捕まえるのを観ても楽しくないですけど、彼が人間くさく苦しんだり、旧態依然の組織の中で室井を信じながら何とか頑張る姿を観るのが楽しいわけで。
渡海がサラッと患者を救うだけならそんなに面白くなくて、医学会の地位を上り詰めようとする佐伯と渡海の過去の確執とか、渡海という天才に振り回される世良の奮闘ぶりとかが物語を盛り上げているわけですよね。
そうかなるほど、と思ってすぐに、さらに別の考えが浮かびました。
じゃあ、今、自分が生活してこうして行なっている仕事と何が違うんだ、と。
私の仕事は社内システムの開発・保守ですが、言ってみれば、地味です。パソコンに向かってカチャカチャとキーボードを打ち続けることもあれば、会議に出席して一言二言話すためだけに一時間じっと我慢したりするということも多々あります。地味です。
それなら、システム開発ってドラマにならないの?と言われれば、きっとそうでもないと思うのです。私は知りませんし興味は無いですけど、そういうのをテーマにした話はあると思います。
たとえば、ハッカー(専門的には「クラッカー」と呼ぶかと思いますが)とかそういうセキュリティを破る人が主人公だったり悪役だったりするドラマもありますよね。それは何を意味するかというと、やはり本当はそういう仕事自体は地味ではあるはずです。だってコンピュータでハッキングしているだけですよ。地味です。
でも、ドラマになると劇的に面白くなる。なぜか。それはその人の仕事そのものよりも、その仕事にまつわる余談のストーリーが面白いからです。セキュリティが破られてアタフタする人が居たり、それを勇敢に立ち向かって守る人が居たり、そういう周りの人たちの出来事によってドラマが面白くなっているだけだと思うのです。
で、本題なんですけど、私のやっている仕事、もっと言えば、どんな仕事でもそうなんですけど、地味は地味なんだよなと。
スポットライトを浴びて、大勢の人がキャーキャー言ってくれて、それで誰かの何かを気持ち良くさせることができてお金が貰えるなんて仕事、多分そう多くないんだと思います。
そのほとんど全部が、地味で、泥臭くて、誰からも感謝なんてされなくて、苦しくて退屈で、カッコ悪いようなものばかりなんでしょう。
ですけど、もしかしたらそれをドラマにできる(面白くできる)か否かというのは、周辺を含めたストーリーとの向き合い方なのかもしれないと思うわけです。
その点で、テレビドラマ(もちろん原作が小説ならその題材含めて)というのは、本当に余談の部分を面白くすることが素晴らしいです。どうやったらそんな発想(というか視点)が出てくるのかと、私は脱帽してしまいます。
テレビドラマと現実世界の日常。本当はどちらも地味はなず。でもそこに面白みを感じるか否かというのは、案外、人のちょっとした見方の違いだったりするのかななんて思います。
そう考えると、じゃあ今の自分にとっては・・?
頭に来るほど嫌な物言いの取引先だったり、仕事を丸投げする同僚、普段から業務の様子なんて見ていないのに一丁前に評価の時期だけありきたりな説教を打ってくださる上司。
そういった登場人物は、私の仕事をドラマ化してくれる貴重な人たち?
・・なーんてふうに思えたら、もうちょっと仕事を含めた生きることが楽しくなるのかななんて妄想しました。多分まだまだ私には修行が足りないかなぁ。おしまい。