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情報を入れたくない話。

なんだか、いっぱいいっぱいです。

メインは愚痴。そんな話です。


担当していたプロジェクトが延期になりました。

社内の外的な要因で、やむなく延期という形。
プロジェクト内部の問題は山積みだったけれど、建前としては一応外的要因とのことでした。

ただ、中止ではなくいつかは再開するらしいです。
あくまで、延期。再開時期は現時点で未定。

私の勤め先の会社では、結構そういうことが多いのです。

契約の直前になって費用対効果を改めて考えて「やっぱやめとこう」とか、一度導入はしてみたけど思ったより効果が上がらないとか社内にあまり浸透していないとかで「やっぱ無しにしようか」とか、そういう決断がスピーディーに行われます。

それは、誰かの思いつきとかワガママな上の人が振り回した結果とかでは決してなく、当然経営判断に基づくものなので、事業継続のためには必要不可欠でかつ合理的な決定なのでしょう。・・ですよね?

ですから、末端の末端の末端である私のような人間にとっては「はい、左様でございますか。偉い人たちが決めたことでしたらそれに従う以外ございません」と受け入れてそれに従って行動するしかないのです。

善く言えば、無駄なコストに縛られずに、次々と新しい環境に柔軟に対応できているのかもしれません。経営層がそう判断し、下々のものが同じ理念を持ってそれに従う。組織体として何とも理想的な形です。

ただ、現実問題、全ての従業員がそのように行動できるはずもなく、大多数は「ああ、また方針変わったのね」と諦めて次のアクションに乗っかるだけの人も多く、逆に言えばそれに乗っかることのできない人たちは「ついていけない…」と去っていく人も居ます。

私はというと、一応前者ではあります。そのスピード感や朝令暮改的な動きには慣れはしています。もうこの会社に10年弱は在籍していることになりますから。社内の、ちょっとやそっとの方針転換ではもう驚きません。

たとえば今回のように大型のプロジェクトが延期になるとか、そういうことは今までもありました。すると、どこか安心している自分も居ます。

ああ、足を突っ込まずに済んで良かった。こんなおかしな方向に準備不足のまま突っ込むなんて危険だと思っていたから、踏みとどまれて良かった。

そんな思いがあります。

「ダメならダメで次に行ける。一度踏み込んでドップリ浸かってしまうと、後々抜け出す時のエネルギーが半端じゃないだろうな」そんなふうに思うと、スパッと諦めることができる環境はありがたいのかもしれません。

ですが、さすがに、こんな状況のことを10年近く経験し続けていると、次第に自分自身の内面が疲弊してきている感じはあります。

ああ、またか。悪く言ってしまえば、振り回されている。そこに乗っかることで、正直この先の未来が見えてくるのか不安だったりするわけです。そうやってアッチコッチに振り回されて、言われた通りに右に左に向きを変えて、最終的に自分はどこに辿り着くのかなという気もします。

この会社に入った10年前の当時と今とでは、いったい自分はどう変われたのだろう。どう成長できたのだろう。その現実に目を向けたくないと思ってしまっている自分が居ます。

主体性を持って、会社に貢献して、内側から組織を回していく側になる?
そうなれれば多少は違うのかな?

たしかにそう思うのですが、実際、会社内の偉い人たちの中に居る大多数の偉い人を見ていると、恐らくそこまで単純な話でもないのかなと思います。

この会社では、どんなに偉い人たちであっても、一部のもっとすごく偉い人の意見には誰も逆らえないようです。そして、どんなに出世したとしても、残念なことに、その「すごく偉い人」になることはできないという組織的な構造になっています。

そうなると結局は、そのすごく偉い人の決めた方針に従いつつ、その中で許された裁量の範囲内で少しでも自分の思い通りに事を進める、と。その辺りが、特段飛び抜けたスキルも何も持ち合わせていない私のような平凡サラリーマンにとっては、関の山という感じがします。

以前は私も、志高く、会社のためにというか仕事に活かすためならばと、色々な領域の勉強意欲もあったものですが、最近はどうにもやる気が出ません。

こんな仕事に就いている以上、先端技術とか最新ニュースは気にしたほうがいいと頭では分かっているのですが、正直言って、すっかり食傷気味です。

もう情報という情報を入れたくない。そんなふうに感じてしまっています。

いっぱいいっぱい。

言わば、お腹いっぱい。でも、お腹いっぱいなんだけど、別に何か美味しいものを食べたわけではない。まるで、食べたくもないインスタント食品だったり、美味しいとはとても思えないようジャンクフードで腹を満たしてしまっている状態。ですから、たとえ目の前に大変なご馳走があったとしても、全く食指が動かない状況です。

趣味であるはずの読書も、字面をただ目で追っているだけの時もあり、実際何のためにやっているのか分からなくなります。ただただ時間が過ぎゆくだけです。読了しても、頭には当然何も残りません。

むしろこの頃は、本を読むことすら億劫になっているように感じます。このゴミのような思考がたくさん溜まってしまった頭では、何か有用な情報であっても、その価値が分からないくらいにまで機能不全に陥っているのかもしれません。

どこかの誰かがとても役立つことや良いことを言っていても、そのどれも受け入れるだけの余裕が無いわけです。耳に入らない。全て上滑りして流れていくようです。

とにかく、何も見たくない。何も取り入れたくない。

いっぱいいっぱい。

恐らくそれは仕事上に限った話ではなく、私生活でも色々考えたり子供のこととかで(私が勝手にですが)腹を立てたりして、もうどうにも疲れてしまっていることも関係しているのかもしれません。

本当は、妻と子供たちが元気で居てくれるだけで幸せなことだと頭では分かっているのに、多くを求め、ハードルを上げ、期待をし、その思いが満たされないことで、勝手にフラストレーションを溜め込んでいる節があります。

おまけに、その不満を、上で書いたような仕事で感じている閉塞感や疲労感によってさらに輪をかけて膨らませ、本当にタチが悪いものになっています。

これはいつになれば終わるだろう。
この行き場のない徒労はどのように処理すべきか。

ほとほと、疲れました。

色々なことに振り回されすぎたのか、そのことに慣れすぎたのか、酷く鈍感になってしまったような気がします。そうなると、新たな刺激に反応するだけのワクワク感とかモチベーションとかそういう意欲みたいなものが湧かなくなってくるわけです。

疲れた。もう何も自分の中に取り込みたくない。
そんな思いです。

とは言え。

ここで愚痴ったところで日常は続いていくわけで、ましてや自分から歩みを止めたいとは思わないわけです。まだ子供たちの成長も見たいし、妻と過ごす老後も楽しみだし、人生に絶望したわけではありません。

ただ、疲れただけ。
いっぱいいっぱい。

そういう状況だよと記しておきたかったのです。
こんな、荒んで、鈍って、クタクタな状態。

分からないですけど、もしかしたらこれを笑って済ますことのできる日がいつか来るかもしれない。逆にこの先自分(または他の誰か)がまた同じような経験をして辛く思った時に、少しでもその気持ちを和らげることができたり気分転換になるかもしれない。そういう時のために、今はただ思いのままを記録してみているのです。

あー、いっぱいいっぱいだなぁ。
いつか爆発する前に、どこかでガス抜きできたらな。

そんなことを思いながら目を瞑り過ごします。おわり。

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