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子供が親に似ているとか似ていないとかいう話。

小学一年の、親愛なる息子の話。
先日、息子と一緒に美容院へ行ってきた。15〜30分くらいで簡易的にカットをしてくれるリーズナブルなお店だ。

私の髪は、毛量が多いというか、放っておくとボリュームがすごいことになってしまう。なかなか直毛なので、たとえるならそう、タワシの毛の一本一本がどんどん伸びていって、上に横にバッサーッと広がっていく感じだ。少し長いくらいじゃ気にならないが、ボリュームが大きくなってモッサリしてくると結構大変だ。洗うのも乾かすのも時間がかかる。そして寝起きは、かなりの確率で髪型が爆発している。なので、対処法として、美容院ではいつも、結構な量の髪をすいてもらっている。そして貧乏性なので、せっかく切ってもらうのであればと、大抵ガッツリ短くもしてもらう。散髪後に椅子の周りに広がる髪の毛をまとめたら、恐らく小動物一匹分くらいのモッサリ感はあるのではないかと思う。しかし、今の季節にあんまり短くすると寒いので、長さはキープしつつ毛量だけ減らしてもらうようにお願いすることにした。

失礼。私の話はどうでもいいが、息子も、前髪が最近ちょっと伸びてきたらしく(そんなに長いようには見えないが)、ずっと「前髪が邪魔だから切ってくれ!」と、あまりにうるさいので連れてきた。

そして、美容院に着いて席に通され、私と息子は隣同士の席に座ることになった。今の時代は席を区切るかたちで、アクリル板のような透明なシートが我々の椅子の間に挟まれている。

私と息子はそれぞれ別の美容師さんに担当してもらったが、息子と美容師さんとの会話が、透明なシートごしに何やら聞こえてくる。彼は、さぞ楽しそうに、持ち前の人懐っこさで、学校の勉強のことや今遊んでいること、特に最近は縄跳びとか跳び箱を外でやっているだとか、「ねえ、俺が好きな季節を教えてあげようか?それは冬だよ。俺は冬に生まれたからね。寒いのが好きなんだ。だけど夏も嫌いじゃないよ。その理由は二つあってね、一つは夜になるまでの時間が長い。遅くまで外で縄跳びをできるでしょ。もう一つはプールに入れるから。俺スイミングに通ってるからさ…」とか、まあ聞かれてもないのに色んなことを喋る喋る。「前髪が邪魔なんだよね。もう前髪、全部切っちゃっていいよ(笑)」みたいな冗談(彼にとっては本気かもしれないが)なども話していた。とても今日初めて会った間柄には見えないくらいだ。

他方で、私の方はというと、「ボリュームが多いので全体的にすいてもらえますか。長さは変えなくていいです」と最初に言ったっきりで、それ以外は特に美容師の方と会話もせずにカットは終了にまで至った。

この違いは一体なんだろう。
私も幼い頃はあんなに饒舌だったのだろうか。それともやはり息子が単にコミュ強なだけなのだろうか。あまりに私のコミュ力の低さが露呈されるようで辛いんだが。妻も特にお喋りというわけでもないし、訊けば、どちらかというと子供の頃は人見知りだったという。
いずれにせよ、彼の社交性はすごい。余計なことを考えずに、純粋にその場の会話を楽しんでいるところが良い。

この前、歯医者に連れて行った時もそうだ。歯のメンテナンスの最中、ずっと息子は歯科衛生士のお姉さんと楽しそうに話していた。時に冗談を言い、そしてお姉さんに褒められれば、人懐っこい笑顔で照れながら微笑み返していた。あまりにお喋りに夢中で口を開けたままにしてくれないから、若干お姉さんが困っていたほど。

法事で親戚が集まった時もそう。会食をしていたが、ふと気付くと自分の座っていた席を離れて、色んなテーブルに顔を出して、自分の話をしたりしていた。特に面識がある親戚に限らない。誰か彼のことを気にかけてくれる人が居れば、喜んで交流しに行く。私が思う彼の良いところは、子供特有の変な動きとかひょうきんな言動ではなく、あくまで「トーク」を楽しんでいるところだ。彼のする話によってちょっと誰かがウケたりすると、彼は本当に嬉しそうな表情をする。まるでボケもおこなうバラエティ番組のMCのようだ。それがとても可愛くて微笑ましい。そして大勢の前で話すことが苦手な私にとっては羨望の思いさえある。

思い返せば、保育園に通っていた時の彼はシャイで、初対面の人とはまず話すことなんてしなかった。その頃は「ああ、この子も私と同じで人見知りなのだな。でもいいんだよ、無理することはないから」なんて、上から目線というか先輩ヅラしてその様子を微笑ましく見ていた。
それが、小学校に上がるくらいの頃になって、彼はいつしか、物怖じしない、人好きな子になっていた。いつのまにか、私なんかよりもずっと先に進んでしまって、置いて行かれてしまったようだ。自分には無いものを持っている。

あんまり息子の話ばかりしてもあれなのでこの辺にしておくけれど。
実は、息子の下にもう1人、こちらも親愛なる長女(4歳)もいるのだが、実は、彼女もなかなか親に無いものを持っている。
私も妻も、それほど派手好きでもないし、正直なところ、あまり身なりに気を遣う方ではないのだけれど、彼女のファッションはすごい。普段は保育園に行くために(嫌々ながら)ズボンを履いているが、帰宅すればすぐにスカートに着替える。キラキラだったりフリルがたくさんついたものだ。ドレスを着る時も多い。休みの日は朝から、まるでプリンセスが舞踏会にでも出掛けるような格好になっている。
彼女に関しては息子と同じかそれ以上にたくさんのエピソードがあるが、それはまたの機会にする。

子供たちは「自分に似ているなぁ」と思う部分もすごく多いけれど、こういった「全然似てないな」という部分も結構ある。似ている部分は可愛いが、似ていない部分はそれはそれで本当に面白い。
似ていなくて良い部分はどんどん伸ばしてあげたいなと思う。
似ていなくて悪い部分があるなら、そこは直さなきゃと思いがちだけれど、「じゃあ自分(親である私)はそんなに胸張って偉そうなことが言えるような生き方してんのか?」と自問すると脂汗が出そうなので、ほどほどにしよう。目に余るようならそれは言わないとだけれど。

ただし、「似ている」の部分はちょっと気を付けておかないとなと思う。
つい忘れがちだけれど、子供には子供の人生があって、親の人生とは違う。そりゃ小さいうちは親の支えがなければ生きてはいけないだろうが、段々と成長していくにつれて、親の存在など不要になるだろう。そうなれば、もはや一人の人間の人生、やがては一人前の大人の人生なのだ。
似ている=自分と同じ、ではない。だから今から、その辺に気を付けて接していかないとなと思う。つい「自分の頃はこうだったから、この子もこうしてあげたらいい」と思いがちになるけれど、必ずしもそうなるとは限らないと肝に銘じたい。むしろ一人の人間が歩む道は他人と同じなんてことはないのだから、きっと結果は異なる。それは気を付けたい、自分の生き方を強要しないように。なかなか難しいけれど。

余談だけれど、本当に何も教えていないのに、自分が幼い頃にやっていた癖や遊びと全く同じことを、子供もやっていたりすると、「遺伝子ってマジですごいわ」と思う。

支離滅裂な記事ですが、以上で。

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