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隙間に入り込む負の思考の話。

元気な時は良いんです。落ちている時こそ書きます。

仕事が忙しくて、と言いますか、毎日出社になってしまったので必然的に「仕事」「通勤」「家」の大きくどれかにしか時間を割けなくなったものですから、あんまり暇な時間が無いです。

あまり言いにくい話ですが、家で仕事をしていた時には、気分が乗らなくなったら勝手に休憩してボーッとしたり好きな音楽を聴いたりして暇な時間を作れていたのですが、会社ではそんなことは出来ないんですよね。

「ああ、集中できないな、疲れたな」と思っても、非喫煙者の私にとってはせいぜいトイレに立つくらい。会社に居る間は、否が応でも仕事のことしか考えられなくなります。

通勤時も、暇じゃないです。もうやることたくさん。満員電車で心が死なないように自分を守ることで必死。

前にも書いた気がしますが、ずっと本を読んでます。耳にはイヤホン。基本、語学の音声聴いてます。そうしているうちに一時間強なんてあっという間に経つので、なんとか乗り切る感じです。

帰宅してからなんてなおさら。家での時間は、ご飯を食べて、洗い物して、お風呂入って、寝るだけ。

途中、子供たちがワーワー騒いでいるのに対して、一緒にワーワー騒いで遊んだり、彼らの度が過ぎていればちょっと叱ったりします。

つまり「家」の時間はすべて家族と一緒に過ごしているので「家(家族と過ごす)」と呼ぶほうが適切かもしれません。夜も、ほぼ子どもたちと同じタイミングで床に就きますから。

こうして見ると、何かを考えるとか、そういうことをする時間が悉く無いのです。暇じゃなくなった、と言うとちょっと語弊があるかも。忙しい、とも違う。何でしょう、言ってみれば「余暇」が無いんです。

余暇があれば、要らんことをグダグダ考えることができるわけで。過去を悔やんだり羨んだり、未来を不安に思ったり希望を胸に抱いたり、そういうことが出来るのは、紛れも無く余暇があるからなんだと思うのです。

今の私の生活にはそういった余暇は無いのです。

でもだからと言って、不幸かと言われると、そういう気もしなくて。もちろん「じゃあ、余計なことを考えなくて良いなら幸せだろ」と言うわけでもないのですが、状態としてそういうのもというだけで、何かそれに対して不満があるとか納得しているということではないのです。

一体私が何を言いたいか、ちょっと自分でも迷い始めてきましたが、もう少し頑張って結論まで持って行きます。

こういう生活の中で過ごしていると、フッと思考を支配される瞬間があるんです。愉しい思考ならまだ良いんですけど、そうじゃない負の思考の時が問題。

冒頭にも書きましたけど、元気な時は、余暇が無いわけですからその気分に目一杯浸って時間を過ごすだけで良いんです。「良いことあった、良かった」と反射的に行動するだけですから。考える必要が無い。

ですが、たまにあるんですけど、退勤した後も厄介な仕事のことが頭から離れなかったり、「何でこんなくだらないことに時間を取られないといけないの」と思うような自治会の面倒な仕事を押し付けられたりすると、途端に気分がズーンと落ちて行くのを感じるんです。

今まで余暇のある生活であれば、自分を落ち着ける時間を持って、何か具体的な対処を検討して、それでいてグダグダと悩む時間も割きつつ、何とかやり過ごせていました。

思考のプロセスを辿るなら、「ああ、嫌だな。逃げたいな。でもやらなきゃな。じゃあ、こうしようかな。だめかな。うーん、でも仕方ないな。まあなるようにしかならないかな。うん、もうこれでいいか。グッジョブ自分」というように、最終的には開き直ることができたんです。

しかし今は、そういう回り道をする思考プロセスを取るだけの余暇がありませんので、一旦問題を先送りにするんです。「ああ、今そんなの考える余裕無いから、あとあと」って。そうすると、大抵は、時間が解決してくれたりもします。だから対処としては最適なんだと思うんです。

ただ、そうやって何も考えないでただ行動する時間を過ごしていると、「仕事」「通勤」「家(家族と過ごす)」のどれにも入らない隙間時間、たとえば今のような家族が寝静まって自分だけ目が覚めているような時に、ふと考えてしまうんです。ああ、あれめんどくせえな、ああ、あれやるの嫌だな、って。

せっかく、一人のこんな自由な時間があるのに、それをご褒美的に考えられず、負の思考に支配されてしまうのが何とも勿体無いと感じてしまうのです。それが問題。

で、ちょっとまだ頭の中で整理しきれてないですけど、と言うか整理するだけの余力を割くことができてなくてもどかしいんですけど、こういう負の思考は経験上幾つかレベルがあるように感じるんですよね。

・高レベル(非常に重大)
・中レベル(割とモヤモヤ)
・低レベル(どうでもいい)

これに上手い言葉をつけるのにまだ成功してないですけど、低レベルのものは片付けなくてはならない問題で些細なもの、たとえば子供の学校や学童の書類を準備して提出しなきゃなとか、まあ急ぎじゃないんだけどいつかやらなきゃなというものだったりします。それは、放っておいても、そこまで面倒じゃないし、やる時はやったらすぐ終わるもの。

高レベルは、かなり重大な問題だったりして、仕事してようが家に居ようがそれが発生した時にはもうすぐさま対処しなきゃいけないので、いきなり最優先になるものなので実はあんまり悩むなんてことはしないもの。たとえば、家族が病気になったとか親類に不幸があったとか、会社で大きなトラブルが発生したとかも。それは、一旦思考云々よりも、まずは行動。だからやっぱり悩みはしません。

問題は、中レベル。そこまで大きな件じゃないけれど先送りしても解決しないもの。今私が考えてしまっているのは、自治会のことなんですよね。

以前から記事で何度か書いているような気がしますが、住んでいる町の自治会に所属していますが、正直やる意味を感じられずに居ます。今年は役員なので何とか色々やらなきやいけないことはこなしますけど、ちょっと将来的にこの自治会に入り続けるのもどうなのかな、という気がしているんです。考えちゃうと、割とずっとモヤモヤしちゃうわけです。

まあどうでもいいことと言ってしまえばそうなんですけど、せっかく一人の自由な時間にこういう問題を考えてしまうのが、何とも勿体無いのです。自治会なんてものに頭を悩ませたくない。色々考えたとしても、結局はこれもやるしかないんですけど。

そういうわけで、今回は結論も何も無くて恐縮ですけど、日々の生活が充実(?)している時こそ、せっかくの隙間時間に入り込んでくる負の思考をどのようにしたら如何に効率的に処理できるものかな、ということを考えてます。まだ答えは出ない。でも何とか出そうと思います。対処法を編み出す。それまでモヤモヤ。おわり。

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