悪魔のようなものの話。
私は未熟者です。
子供を持つ親ではありますが、まるで大人とは思えないほど精神的に未熟な人間です。具体的に言えば、家庭と仕事のオンオフが下手くそすぎるのです。
仕事で上手くいかないことがあればつい不機嫌になり、家庭でも明るく振る舞えません。本当は、仕事でたとえどんなに辛いことや嫌なことがあったとしても、プライベートはプライベートとして切り分けて家族に優しく接していたいと思っているのに、行動が伴わないのです。
他方で、仕事で何とか無事にタスクをこなせたり嬉しかった出来事があれば、その感情を家に持ち帰ってしまいます。それで家族に優しくなれるなら良いかもしれませんが、そんなふうに仕事の出来によって期限が左右されるような自分の行動は嫌なのです。
さらに厄介なことに、では反対に家で何か揉め事があったら仕事まで憂鬱な気分になるかというと、そういうわけでもないのです。あるいは、プライベートで良いことがあったとしても、そのおかげで仕事まで楽しい気分になるかというと、そういうわけでもありません。
仕事は仕事で基本的にプラスな気分でスタートすることは無くて。いつもゼロかマイナスから始まります。「はぁ、仕方ない、働くか」と。そこに前日までの積み残しがあればため息が大きくなるだけですし、積み残しが無いのならせいぜいそのため息が小さいという差があるだけです。
つまり、仕事面で抱く感情に、私生活の運営が大いに左右されてしまうということです。
ある意味でそれは仕事人間とかワーカホリックと呼ばれるような人であればマトモな姿なのかもしれません。
しかし、私は、そういった感情の機構が嫌で嫌でたまらないわけです。以前は違いましたが、今では仕事が嫌で退屈で苦痛で仕方ありません。そのような負の感情を持ちつつ、私生活にまで仕事の息がかかっているのが許せないのです。
実は最近も、それを痛感するような出来事がありました。
ちょうど妻が終日外出しており、私一人で子供たちの面倒を見なければならないという日でした。
私は家で仕事を進めていましたが、退勤時刻間近になってトラブルが発覚。すぐに対処しようとするも、なかなか上手くいきませんでした。子供を学童保育に迎えに行く必要があったためその日は残業できず、仕方なく仕事をそのままにして退勤することにしました。
そして子供たちを迎えに行き、公園で遊ばせたり、近くのファミリーレストランで夕飯を済ませたり、翌日の食材の買い物などに寄りました。その間、私はずっとモヤモヤしており、やはり仕事のことを考えてしまうのでした。「ああ、どうすればあの問題は解決するのだろう」と。
不機嫌にこそなりませんでしたが、子供たちから何か訊かれても上の空。少しでも油断すると仕事のことを考えて憂鬱になりますから、とにかく目の前のことに向き合って、そうやって自分の感情を抑えることに必死でした。
それから、ようやく家の用事も済んだところで、少し時間が取れたので仕事を再開してみました。すると、多少の手直しでその問題の箇所はあっさり解決しました。
その瞬間、私はまるで、それまで自分の頭の上を覆っていた黒く厚い雲が晴れるように、なんとも清々しく心地良い気持ちになりました。
気分はウキウキのまま、その勢いで子供たちの入浴を終え、歯磨きの仕上げをし、あとは寝るだけの状態にしました。そのまま就寝すれば、気持ち良く一日を終えることができそうでした。
しかし、冷静になって考えました。やはりそれは変なのです。変と言いますか、そのような思考や行動は、私にとって嫌なことでした。「また、仕事に支配されている」と気づいたためです。
こうしてみると、仕事とは、私にとってまるで悪魔のようなものだと思いました。
甘い蜜のようで苦い。苦いのに実は甘い。どうして人は人生のうちに、こんなに長い時間働いているのか。それは社会の構造も大いにあるでしょうが、もしかすると人間はその労働の虜になっているのかもしれないと想像しました。労働することの対価、その味を占めてしまったから、やめたくても、やめられないのではないかと。
けれど、一つ断っておきたいのは、前述の通り私は仕事人間でもワーカホリックでもありませんから、たとい表面上は仕事の魅力に取り憑かれているかのように見えたとしても、そのような自分が嫌でたまらないわけです。
できれば働きたくない。
できれば仕事なんかしたくない。
でも働かないと生活費が賄えない。
生活するお金が無ければ家族の生活を守れない。
だから働く。
せっかく働くからには、
苦手なことより得意なこと、
嫌な作業より好きな作業がいい。
そうやって、エゴをたんまり混ぜ込んで、自分を騙しつつ日々の仕事をこなして行く中で、どんどんと思考と行動は仕事に毒されていくのかもしれません。いつしか、仕事そのものに是非の評価を下すようにもなっていきます。
本当は、ライスワークでしかなかったはずなのに、やれ「やり甲斐だ」とか「自己実現だ」とか「自己研鑽だ」とか。収入だのスキルだのキャリアだのそういうオマケみたいなものがいつしか主役を張るようになってきました。気が付けばライフワークなどという言葉で、人生のメインがそれであるかのような顔をするようになってきました。そうなるにつれて、悪魔としての仕事は人々の心にどんどんと深く入り込み、一体化していくようでした。
色々書きましたけど、やはり私は未熟ということに尽きます。
やはり仕事に左右されてしまう。でも本当はこんな自分は嫌なので、なんとか少しずつでも家は家、仕事は仕事、として切り離して思考と行動をマッチさせていきたいと考えています。
私は、こんな悪魔に魂まで売り渡したいとは思わない。そして悪魔ならこちらも使い倒すだけ使い倒したい。最近は、そうやって日々の葛藤を生きてます。おしまい。