おふろブログ🛁2日目
さっそく、今日はなにも思いつかない。
今日はなにもしていないからだ。
そのくせ、ねむい。
今日は、良い日ではなかったな。
悪い日だったわけでもないけど、
どっちなのだろう。
そこまで考えて、判断するのをやめた。
元来「0か100か思考の人間」なので、少し前は、「思考に余白を持つ」というのが、出来ないし、解らなかった。そして、悶々と悩んでいた。
その頃、多くの大人達は、「若い」と言って「許して」いたのたが、ある許さない大人が、
「暇だから悩む」のだと教えてくれた。
その時は理解できず、怒りを覚えた。
いまはわかる、暇だから悩んでいたのだ。
「善or悪」や「0or100」の判断をつけることが、必要ないことに判断する必要はないのだ。
忙しい日々を体験していくと、「判断の必要がない事」の優先順位は下がり、結果、判断から逃げ、余白として残し、その判断の優先順位が上がった時点で、判断するようになった。
「若い」というのは、「そういう経験値が足りない」の意味だろうと感じる。
「身をもって知る」という経験だった。
しかし、未だに「グレーゾーン」は苦手だ。
表現としても、しっくりこない。
「余白」と「グレーゾーン」
「グレーゾーン」である限り、白と黒の判断の軸から逃れられない。固執して悩もうと思えばいくらでもできてしまうし、「グレーゾーン」は「幅」があるので、「幅」の解釈を間違えていると、判断すべきときに間違える様におもう。
一方で余白は判断の軸にその事象を置くのを止める事ができる。
判断すべきときに置き直すため、間違いも少ない様におもう。
これも、まだ「若い」から「身をもって知る」時を待とう。とおもう。
そろそろ、本当にねむい。
今日は(余白)い日だったな。