おふろに入る前にブログ🧺🛁4回目
あーーーーー!寝てしまった…
昨日、おふろから上がり、すぐに眠くなり、寝てしまっていた。
4日目にして、早速さぼりだ。
今日は始めて5日目の書くのが4回目だ。
認めたくないのだが、
多分、わたしは「書くことが性」ではない。
書くことで思考し、書くことで消化し、
という書き手ではなく、
考えあぐねた思考結果をフレーズ的に落とし込む。最早、「書き手」ではないのかもしれない。
わたしは、言葉がすきだし、
思考過程をまとめた形で言語化し、
アウトプットすることはすきだが、
思考過程をそのままに、なぞるようなアウトプットできない。
それは、わたしは思考が一本道ではないからだ。
思考が一本道だと、思考過程は文になる。
思考が複数経路だと、思考過程は図になる。
先日、国語の先生をやっている方と、
機会があって、お話した。
授業内で仕上げる作文が苦手だった話をしたら、
受験戦争が激しくなった30代から下の年代は、
みんな多かれ少なかれ苦手だそうで、
作文指導も、色々工夫し、ある種の技を教えて、書かせる事もあるそうだ。
その「技」の一つに、
「書く前に作文設計図を書かせる」技があり、
わたしは、文章を書くときこのやり方で書いてきたことを認識した。
そして、「わたしの書き方」は「技」である事もその時、認識した。
考えてみれば、たしかに、受験の筆記対策として「わたしの書き方」を思いつき、ずっとその「技」をつかい書いてきて、
特別、苦労もせず書いてこられたために、
「書くことが得意。書くことがすき。書くことが性」という勘違いを起こしたのだろう。
その先生曰く、中には書きながら設計図を立てていくことのできる人もいるという。
訓練で可能になる側面もあるとおっしゃっていたが、わたしには、その書き方は才能のように思えた。
「書くことが性でないわたし」を否定せず、
「考えを纏めて、アウトプットするのが性なわたし」として、このブログをどういう風に書いていこうか。
書くことを続けて、考えていきたい。