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「パンデミック恩赦」?            物語をさらに強化するもの

パンデミック恩赦シリーズの4回目です

要約

・パンデミック恩赦を主張する論者のスタンスは、皆同じである
・パンデミック政策の失敗は、誤った善意が原因であり
 間違った判断をしたのは、すべて情報が足らなかったせいである
・しかしオスター氏言う恩赦の対象には、パンデミック政策
 懐疑論者は入っていない。
・仮に懐疑論者が間違っていて、彼らの謝罪が本心だとしても、
 糞食らえだ

2022.11.2 OffGuardian by Kit Knightly

パンデミック恩赦を宣言しよう

数日前のハロウィンの日、Atlantic誌は経済学者エミリー・オスター氏による意見書に、この見出しを掲げた。

これと副題の、「私たちは、Covidについて何も知らないときにしたこと、言ったことをお互いに許す必要がある」というのが、インターネット上で話題になっている。

一般的な認識では、これはある種の敗北の告白であり、おそらく「パンデミック」は現実のものではなく、この物語を推し進めた人々が間違っていたことを認識し理解や許しを求める真の嘆願であるとされている。

しかし、この見出しはそのように見えるかもしれないし、実際、そのような印象を与えるように注意深く選ばれたかもしれないが、実際にはそのようなものではない。謝罪でもなければ、Covid以前の古い現実に逆戻りしたわけでもない。単なる物語の補強に過ぎないのである。

私たちは、以前にも同じようなことを見たことがある。

今年2月、The Guardian紙は、「Covidをめぐり科学者たちが誤りを認める」とする記事を掲載した。

その「誤り」とは何だと思う?死に至る可能性のある、しかも全く不必要な「実験的」ワクチンの大量接種を、(政府に)売り渡し、(国民を)屈服させたことであろうか?とんでもない。科学者たちはただ、(政府が用意した)シナリオを十分に信用しなかっただけなのである。

ある後悔した科学者は言う。
「だから、2020年のクリスマス前に最初の臨床試験が行われ、この素晴らしい贈り物(ワクチン)を手にしたときには、完全に驚かされました。私が期待していたよりもずっと効果的だったのです。」

別の人はこう言っている。
「 マスクは思ったより効果がありました...」と。

「過ちを認める」という枠の中にありながら、これらの考えは明らかに、おなじみの古い公式の嘘を別の角度から売り込んでいるに過ぎない。新しいことでも、正直なことでもない。ただ今になってみれば、改心した罪人が光を得るために神を賛美するのと同じことなのだ。

Atlantic誌の記事も全く同じである。
「私たちは外に布製のマスクをつけていました」とオスター氏は後悔し、それが何の役にも立たなかったと今では気づいていることを明らかにした。(しかし、室内でプラスチック製のマスクはまだ有効です、もちろん)
「学校を長く休ませすぎました」と彼女はさらに嘆くが、休ませる必要がまったくなかったことには触れず、恐怖と孤立を生み出すために冷笑的に行われたことも認めている。

そして、最大の失策は?
「ワクチンが発売されたとき、ジョンソン・エンド・ジョンソンのワクチンとファイザーやモデルナのmRNAワクチンの相対的な効果に関する決定的なデータがなかったのです。mRNAワクチンは勝利したのです。しかし、当時、公衆衛生関係者の多くは中立的な立場か、J&Jを好む姿勢を示していました。この失策は悪意があったわけではありません。不確実性の結果だったのです。」
ああ、申し訳ない。ファイザーのワクチンがこれほどまでに素晴らしいとは思わなかった。

これでもまだ、Covid政策懐疑論者がずっと正しかったという事実の、真の認識だと思いますか?
結論に飛びつく前に、記事全体を読んでみてはいかがだろうか?

実際、本物のCovid政策懐疑論者にとっては、この欺瞞に満ちた戯言に耳を傾ける価値さえない。

これは、過去2年間の否定的な結果を、一連の事故やその場のパニックに陥った「誤った判断」として弁解し、それらがすべて善意で行われたと主張しながら、ある部分ではシナリオを補強し、ある部分では別のごまかしを行っているだけなのです。

「しかし、ほとんどの間違いは、社会のために真面目に働いている人たちが犯したものです。」と言いながら、最後にこう結んでいる。「私たちは、深い不確実性に直面して複雑な選択をしたことを認め、そして、元に戻し、前進するために協力し合いましょう。」
これはいつも起こることである。剣を持った強者の次に来るのは、スポンジを持った弱者だ。

彼らは恩赦を求めるのではなく、2年半の間、外野で過ごすことに疲れ果ててしまった懐疑的な人たちに恩赦を与えているのだ。妥協案だ。

「もしあなたが私たちに悪意がなかったと言うなら、私たちについて(部分的に)真実を語ったことを許してあげましょう。」「そして、もし許しや平和的合意が達成されたとしても、そこには、(Covid政策懐疑論者、これを読んでいるあなた、これを書いている私、そして悔い改めないその他の罪人は)含まれないのです。

オスター氏は、その事実を苦心して指摘している。「実際の誤報を意図的に提供する者は(恩赦から)除外していいのです。」

そう、私たち(Covid政策懐疑論者)のことである。当然ながら、この恩赦はわれわれには及ばない。私たちは救いのない異端者なのだ。

(恩赦に値するのは)柵に囲まれた人々や半信半疑の人々のことである。まだ体制側に片足を踏み入れている者で、必死になって体制側に戻る口実を探している者、そして、居心地の良い小さなごまかしを受け入れるように説得できる者のことだ。

1.Covidは現実の問題であり、それに対処するための重要な
「公衆衛生対策」が必要だったのである
2.これらの措置で生じた損害は、純粋に偶発的なものであり、
 誤った善意の結果であった
3.上記の2つを認めれば、過去にどれだけ政府の作ったシナリオと
 闘ったとしても、主流派の庇護のもとに戻ることができるだろう

しかし、私が実際に間違っていたとしよう。
これが、より多くの金と権力を求めて世界を半壊させ、今になって許しと忘却を求める人々の代表としての真の謝罪であったとしよう。

それなら、彼らは地獄に落ちればいい。


考察

すでに、人々の感覚の中でパンデミックが終了しているアメリカでは、政府や医学界、マスコミが協力して行ってきたコロナ政策の検証を行う時期に入っているようです。
マスク、ロックダウン、ワクチンなどの感染予防対策がいかに的外れであったか、それによって国民が被った被害の責任は誰が負うべきなのか、といった議論が活発化していることが窺えます。

だからこそ、「恩赦」を訴える動きが始まっているのではないかと推察できます。

私が危惧しているのは、近い将来に日本でも同じ動きが始まるのではないかと思うからです。以前にも述べましたが、人の良い日本人には、過ちを許すことが美徳であると考える国民性があり、それによって本当の問題点をぼやかしてしまいます。それは、コロナ政策の失敗によって不幸な目に遭った方々を救済する場面で、大きなブレーキになるかもしれません。

アフターコロナの新生活を、政府が示すシナリオに沿って始めるのでは、彼らに国民が騙し続けられる構図は変わりません。それではコロナの感染が収まったとしても、より強固な支配体制に近づいてゆくだけだと考えます。

私は、日本政府が完全に自らの判断だけでコロナ政策を行ってきたなどとは思っていません。世界的に大きな流れの中で渦に飲み込まれないよう、できる範囲で抵抗をしてきたのではないでしょうか。欧米やオセアニアのような、極端なロックダウンやワクチンの強制接種をやらなかったところに、それが垣間見られます。
(マスコミに煽られた国民が、自らそっちの方向に進んでしまったことはありますが…)

ですから、その激流が収まったならば、保身に走ることをせず、苦渋の決断をした理由を包み隠さず国民に明かしてほしいと望んでいます。そのうえで「恩赦」に値するかどうかは、個々の国民が判断するべきことだと考えます。

でも、コロナ政策の本当の理由を知っていようが、そうでなかろうが、どさくさにまぎれて金儲けに走った連中は、個人であれ、会社であれ、組織であれ、許すつもりはありません。