「セカンドライフ」を「決断」したとき
こんにちは。
ふりさんです。
私は、2019年秋にそれまでの勤務先に終止符を打ち、今は個人事業主で活動をしています。
改めて自分の人生を振り返り、セカンドライフを「決断」した時について書いてみようと思います。
社会人生活の始まり
実は私、サラリーマン経験がありません。
私の社会人の始まりは、会社の「起業」から始まりました。
大学卒業後、先輩と一緒に、IT会社を作ったのです。
当時は、バブル全盛の頃で、会社を始めてもどうにかなるような漠然とした安心感があり、不安はあまり感じていませんでした。
今考えると、「何も考えていなかった」ですね。
その場の「勢い」とでも言いましょうか。
「若さ」ですかね(笑。
当時の私はとても「従順」な人間で、信頼できる人にはとことん尽くすタイプでした。
なので、先輩が「会社を作ろう!」といって誘ってくれた時も、「せっかく先輩が誘ってくれたんだから」と、誘ってくれた喜びから、あまり深く考えることもなく「OK」をしていました。
両親に就職の相談をしたとき「おまえが決めたことだから」とそれ以上何か言われることはありませんでした。
ないも言わず賛成してくれた両親には感謝しかありません。
今とは違って、株主会社をつくるには何かと大変でしたが、書類作成から申請までの事務作業をほぼ一人で行い、無事設立に漕ぎつけます。
取引銀行は都市銀行Dに飛び込み。するすると口座を開設できました。
今では考えられないですが、我ながらよくやりました。
起業後は、ただただがむしゃらに、少ない人間関係を頼りに仕事をこなし、少しずつ信頼関係を築いて取引先を増やしていきました。
仕事中心の30年
会社の起業は昭和63年。平成とともに歩んだ時代です。
社会人生活は仕事中心。
プライベートのことは二の次でした。
そんなに仕事が好きだったのか、と言えば、そんなことはありません!
ただただ目の前の仕事をこなすしかない! その一心でした。
そんな生活を今振り返ると、「だからこそ」と思えることも、「こうしていれば」と思うことも、いろんな想いが錯綜します。
でも「後悔」しているかと聞かれれば、答えは「No」ですね。
これまでの経験があって今がある。
今の自分は大切な「自分」。
そう思えば、すべて経験は必要な、大切なものだったと言えます。
笑っているときもあれば胃が締め付けられるようなときもありました。
この場から逃げ出したいと思うような大きな失敗もありました。
自分はどうしようもない! なにもできない!っと挫折感を味わったこともありました。
警察の事情聴取を受けたこともありました。
警察の事情聴取なんて、一生一度あるかないかですからね。(多分…)
もらい事故のように降って湧いた出来事で、自分にやましいところはなく、聴取以上何事もなかったのですが、一歩間違うとちょっと危なっかしい人間関係があったかなぁと反省しています。
そして、気がつけば30年以上が過ぎていました。
そんな時、平成の終焉を聞き、自分の中で「時代が変わる」と言うことが、すごく身近に、自分のことのように感じました。
そして、自分自身の「時代」も変えようと思ったのです。
セカンドライフを考える
会社を退職するにあたり、いろいろと考えました。
・家族のこと
・これからの生活のこと
・自分に本当にやりたいこと
・自分の得意なこと
など
私が退職を決断できたのには理由があります。
今振り返ってみると、それは私にとっての「道」を歩いた結果であり、今もその道を進んでいるように思います。
よく「点と点が結びついて線になる」と言います。
私の決断の裏には、まさにそんな感じがありました。
広い草原を彷徨っていた時、経験したことは印(点)を打っておきました。あるとき、ふと気がつくと、以前つけておいた点がまた現れます。
それも、全く違うアプローチを辿った結果。現れるのです。
そのようなことが50歳を過ぎたくらいから続いて起きました。
点と点の間に線が引かれ、道が見えてきました。
それも、ひとつの組み合わせだけではなく、いろいろな組み合わせの点がつながって、彷徨っていた草原を前に進む道が作られたのです。
道ができると、それまでの不安は解消され、希望に満たされました。
今、私は”セカンドライフ”という道を歩み始めました。
点と点がつながる
「頑張っているのに仕事を評価されない。」
「仕事にモチベーションが持てず、やっても無駄だと感じる」
「求められる結果以上にやっても誰からも評価されない」
「やっても、ありがとうもねぎらいの言葉もない」
仕事の成果を評価されず、感謝もされない。
そんな仕事を続けるのは、苦しいものです。
「人が精神の健康を保つためには、絶え間ない感覚刺激が必要である」とTA心理学の生みの親、エリック・バーンは述べています。
仕事を評価されない、何もねぎらいの言葉を受けられないと、だんだん情緒不安定になり、精神的に不健康になっていきます。
不安定な状態が続くと、マイナス感情が蓄積され、漠然とした不安感は大きくのしかかってきます。
その生活に危機感を感じた私は、変化するために必要と思われる講座に参加するようになります。
ここから、セカンドライフに向け「点」が打たれ始めます。
講座を受けるときには、「今すぐ役立つ」と思えるものから、「これから役に立ちそう」「知っておくとためになりそう」というものまで、様々なものがありました。
講座を選ぶ際に、私は「直観」を働かせていました。
自分の中に沸き上がる感情が「これ!」といったものを選んでいました。
会社都合や、なんとなくという講座もありましたが、
今も自分にとってかけがえのない点になっているものは、
「直観」で選んだものばかりです。
自分の「直観」を信じられたことは、私の「強み」のひとつと言えます。
直観で選んだ学びや場所、コミュニティという点はつながっていきます。
私の場合、点に対してのつながりが1本ではなく、2本以上のものが数多くあります。
それゆえ、未来に続く道がはっきり見えたのかもしれません。
私の事例を紹介しましょう。
私の出発点はBMC(ビジネスモデルキャンバス)との出会いでした。
BMCのビジネスをシンプルに可視化する手法に魅かれ、BMIA(ビジネスモデルイノベーション協会)の認定コンサルタントになります。
ここで出会った人とのつながりが、私の人生に大きく影響していきます。
ひとつは、TA(Transactional Analysis)心理学との出会いです。
当時理事をしていた方が「TAは次に来る学びだから絶対に知っていたほうがいい。受けるなら大阪で」とおっしゃっていました。
私はその話にとても興味を持ちました。実際その講座を受講された話を聴き、これは絶対に受けるべき、と確信に近いものを感じ、大阪まで行って講座を受講することになります。
考えてみると、東京ならいざ知らず、大阪まで旅費をかけて受講するというのは、今思ってもよく決断したなぁと思います。
きっと何かが私の背中を押したのでしょう。
この受講がきっかけで、今に至る、私のセカンドライフのひとつの軸が生まれました。
次の出会いは絵本です。
BMIAで共に学んでいた方たちの多くが、読書会を開催しファシリテータを務めていました。
読書会に興味があった私は、ファシリテータの講座を受講します。
そこでお世話になった講師の先生とのつながりから絵本講座を知り、開催場所が私の生活圏だったので、直観で参加を決めました。
「絵本」と聞いたとき、何とも言えずワクワクする魅力を感じ、強く興味を惹かれました。
受講した後は、自分の中に「絵本」が深く浸透し、もう一つの軸が出来上がりました。
その他にも、これからの人生に影響するだろうものとの出会いがありました。
OriHimeは、社会貢献を身近に感じ考える機会を与えてくれました。
今も、OriHimeとともに生きることを考えています。
喫茶ランドリーは居場所を与えてくれました。
コミュニティとして実際に存在する場所として、そして精神的なよりどころになる場所としてあります。
その場所に「居る」存在として、コミュニティナースがあります。
町(地域)を見守る存在として、自分のあり方を導いてくれます。
喫茶ランドリーでTA心理学と絵本を使い、コミュニティナースとして地域を見守る
私のひとつのライフプランが見えてきました。
バラバラな活動(点)が、各々が結びついた瞬間、次々に拡がり形になっていく。
それも現実世界の動きになっていく過程を自分で体験することで、言葉の重みを実感することになりました。
運とタイミング
このように、様々な経験を重ねながら、今に至りますが、「運」と「タイミング」も重要だったと思います。
私は、昭和に生まれ、平成を生き、そして今、令和の時代を生きています。この時代に「生きている」ことも一つの「運」です。
その運を受け入れ、自分の流れにしたときに、人生が良い流れに乗っていきます。
悲観的に物事を考えても、なかなか良い考えは浮かびません。
思い返してみると、運があったなぁと思えることが多々あります。
小学校時代のミニバスケットボール。
その年の件代表に私のいる市が出ることが決まっていました。
私は、その選抜に残り全国大会に行くことができました。
全国大会に行くことで、小学校の枠から地域、そして全国へと視野が広がりました。
選抜メンバーに選ばれたのは、自分が頑張ったからと言えますが、全国大会に行けたのは「運」があったと言えます。
大学との出会いも「運」と「タイミング」があったといえます。
大学は、図書館情報大学。新設の国立大学で私が4期生でした。
この大学で学んだことは、今も活きています。
図書館学と情報処理の学びは、情報を判断する基本的なリテラシーとなって、今の時代にも活きています。
また、この大学に進んだことで、人生を大きく左右する出逢いがありました。
一緒に会社を起業した先輩との出会いは入学式の前日でした。
出会ったとき、この先輩についていこうと思ったことを今もはっきり覚えています。
就職したころは、バブルの時代でした。
バブルの時代だったからこそ、起業できたと思っています。
振り返ってみると、私は「運」を味方にして、「タイミング」を逃さないようにしてきました。
転がってきたチャンスもうまく拾ってきました。
時には、これ以上ないというチャンスに巡り逢う時もありましたが、
不思議と、自分でタイミングを計っていました。
これ以上ないと思う時でも、今ではないとブレーキを踏む自分がいた場合、
決して進むことはありませんでした。
ただ、同じ話があっても、今だと思う時には進んで乗っていきました。
結果論ですが、今、後悔がないのは、自分の決断に納得しているからだと思っています。
さらなる未来に向かって
これまでの流れを振り返ってみて、これからを考えたときに参考になる本があります。
『LIFE SHIFT』
リンダ・グラントン/アンドリュー・スコット 著
池村千秋 訳
この本では人生100年時代を生きるための示唆がいろいろあります。
その中で私が参考になったのは「無形資産」です。
無形資産には3つあります。
①生産性資産・・・仕事に役立つ知識やスキル
②活力資産 ・・・健康や良好な家族関係や友人関係
③変身資産 ・・・変化に応じて自分を変えていく力
無形資産は、良い人生を送るうえで価値があるだけではなく、有形資産を形成する支えになる点でも重要な役割を持っています。
今の私は、この3つの資産をうまく蓄積し、更新していると感じています。
そして、もうひとつが3つのステージです。
①エクスプローラー
・・・ 人生を旅して、自分と世界を再発見する
②インディペンデント・プロデューサー
・・・ 組織に雇われずに自分で仕事を生み出す
③ポートフォリオ・ワーカー
・・・ 異なる種類の活動を同時に行う
これまでの自分の人生を振り返った時に、私はエクスプローラーでした。
そして、これからはインディペンデント・プロデューサーとなり、
ポートフォリオ・ワーカーになりたいと考えています。
人生100年時代を乗り切るために、50歳を超えても悩みはあります。
50歳を超えたからこその悩みです。
定年までの道標はたくさんありますが、定年を迎えるにあたって、定年後の道標はほとんどありません。
人はだれでも未経験のステージを迎えれば戸惑い、悩みます。
セカンド・ステージと言われる定年後のおおきなステージを迎えるのに何も準備をしなくてもよいですか?
それを思ったとき、自分の経験や実績、スキル、情報を持っている私が、誰かの精神的な道標となることが、自分の進む道だと考えるようになりました。
これまでの道とこれからの道
「これまでの道」と「これからの道」
道はつながっています。
決して途切れることなくつながっています。
これまでの道で作ってきたノウハウが、これからの道に活きてきます。
歩きやすい道にするのも、凸凹の道のままにするのも自分の決断次第です。
自分に自信を持つこと。
自信が持てれば、決断できます。
TA心理学の哲学(TAの基本的な考え方)は3つあります。
①人は誰でもOKである
②誰もが考える能力を持つ
③自分が自分の運命を決め、その決定を変更することができる。
これからの人生。
自分で決めて、うまくいかなければ変えていく。
そのように自分の道を創り、歩んでいきたいと願っています。