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断片だったり、表面上だけだったり

少し前に「ディートリヒ・ボンヘッファー (現代キリスト教の源泉)」をようやく読み終えました。

キリスト教のこと、その他にも色んなことを知らな過ぎて、著者のベートゲ夫婦やボンヘッファーさんの伝えたかったことや、考えていたこと、感じていたこと、断片だったり、表面上の言葉の、ほんの一部だけしか理解できていことと思います。

ボンヘッファーさんは神のことを一切、都合の良い解釈をされていなくて、どうして過酷な状況下で家族、友人、知り合った方々、収監されていた施設で知り合った人のことまで思いやって真摯に話しを聞いて、話したり、行動を起こしたりできたのか。

どうしてか知りたく思い、本を購入して読んでみたのですが、ますます判らなくなりました。


ボンヘッファーさんは過酷な環境下や、神が助けにこないとわかっていても、根拠のない縋りついたり、貪ろうとすることのない人だった、ということをほんの少し知ることができたように思います。

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