経済学
概要
経済学とは、経済に関する学問で、経済現象を対象とする社会科学の一領域です。経済学は、人間社会における物質的な財やサービスの需要と供給の法則を研究するとも言われます。
経済学は、さまざまな分野に分かれていますが、大きくは理論経済学と応用経済学に区別できます。理論経済学は、経済現象を抽象的なモデルや数式で表現し、一般的な法則や原理を導き出そうとする分野です。応用経済学は、理論経済学の成果を実際の経済問題に適用し、政策提言や評価を行おうとする分野です。
理論経済学はミクロ経済学とマクロ経済学という2つの分野からなります。ミクロ経済学は、消費者や生産者といった経済の最小単位の行動から経済現象を説明しようとする分野です。マクロ経済学は、国全体の経済に着目し、物価や雇用、成長などの総合的な指標を分析しようとする分野です。
応用経済学には、さまざまなテーマに関する分野があります。例えば、国際経済学は、国際貿易や国際金融に関する問題を扱います。公共経済学は、政府の役割や税制に関する問題を扱います。開発経済学は、途上国の貧困や成長に関する問題を扱います。環境経済学は、環境問題や資源管理に関する問題を扱います。労働経済学は、労働市場や人的資本に関する問題を扱います。これら以外にも、教育経済学や医療経済学など多くの分野があります。
ミクロ経済学
ミクロ経済学とは、個々の消費者や生産者などの経済主体の動きを微視的に分析し、市場を通じて財やサービスの配分や価格決定がどのように調整されているかを考察する学問です。ミクロ経済学は、理論経済学の一分野であり、経済全体に着目するマクロ経済学と対比されます。
ミクロ経済学では、以下のような理論や分野があります。
- 消費者理論:消費者の選好や予算制約をもとに、需要曲線や需要の価格弾力性などを導出します。
- 生産者理論:生産者の生産関数や費用関数をもとに、供給曲線や利潤最大化条件などを導出します。
- 部分均衡分析:ある特定の市場において、需要曲線と供給曲線が交わる点で価格と数量が決まることを示します。
- 一般均衡分析:すべての市場において、需要と供給が一致するように価格が調整されることを示します。
- 不完全競争市場:完全競争市場とは異なり、市場に参入する企業が少ない場合や製品が差別化されている場合などにおける価格や数量を分析します。
- 市場の失敗:市場で実現する資源配分が非効率になる原因や政策的な対策を考えます。
- ゲーム理論:経済主体が互いに影響を与え合う状況における最適な戦略や均衡を求めます。
- 貿易理論:国際貿易における比較優位や貿易政策の効果を分析します。
以上がミクロ経済学の概要です。ミクロ経済学は、日常生活やビジネスにも応用できる有用な知識です。ぜひ興味を持って学んでみてください。
マクロ経済学
マクロ経済学とは、国や特定経済圏といった巨視的(マクロ)視点から、政府、企業、家計という経済主体の動きを明らかにし、貧困や失業を減らし、人々が豊かに暮らしていくための解決策を考察する学問です。マクロ経済学は、経済変数の決定と変動に注目し、国内総生産(GDP)、物価、消費、投資などの集計量を扱います。
マクロ経済学では、以下のような理論や分野があります。
- 財市場:国民所得や有効需要の原理を分析します。
- 貨幣-債券市場:貨幣需要や貨幣供給、金融政策の効果を分析します。
- IS-LM分析:財市場と貨幣-債券市場の均衡を同時に考えるモデルです。
- 労働市場:失業やインフレーションの原因や対策を分析します。
- 経済成長理論:長期的な経済成長のメカニズムや要因を分析します。
- 国際マクロ経済学:国際収支や為替レート、貿易政策の影響を分析します。
以上がマクロ経済学の概要です。マクロ経済学は、現代社会における重要な課題や政策に関わる知識です。ぜひ興味を持って学んでみてください。
主な経済学者
古典派経済学
・アダム・スミス
アダム・スミスは、イギリスの哲学者・倫理学者・経済学者で、「経済学の父」と呼ばれる人物です。彼は、『道徳感情論』(1759年)と『国富論』(1776年)という二つの主著を出版し、道徳哲学や古典派経済学、古典的自由主義などの分野に大きな影響を与えました。彼は、人間の道徳感情や自由市場の仕組み、分業や労働価値説、見えざる手などの概念を提唱しました。彼は、デイヴィッド・ヒュームやフランシス・ハッチソンなどのスコットランド啓蒙思想家から影響を受けた一方で、カール・マルクスやジョン・メイナード・ケインズなどの後世の経済思想家にも影響を与えました。
・デイヴィッド・リカード
デイヴィッド・リカードとは、自由貿易を擁護する理論を唱えたイギリスの経済学者で、比較生産費説や労働価値説などの重要な理論を提唱した人物です。彼はアダム・スミスの『国富論』に影響を受けて経済学に興味を持ち、金本位制の復帰や穀物法の廃止などの政策を主張しました。彼はマルサスやベンサムなどと親交があり、経済学の発展に貢献しました。
新古典派経済学
<限界革命トリオ>
・ウィリアム・スタンレー・ジェボンズ
ウィリアム・スタンレー・ジェボンズは、1835年にイギリスのリヴァプールで生まれ、1882年にヘイスティングスで溺死した経済学者であり、論理学者でした。彼は、限界効用理論を提唱し、価値は商品の希少性と消費者の欲求によって決まると主張しました。彼はまた、技術の進歩によって燃料の効率が向上しても、燃料の消費量が減らないどころか増えるという現象を指摘し、これをジェボンズのパラドックスと呼びました。彼はさらに、論理学や科学的手法に関する多くの著作を残し、特に『科学の法則』や『石炭問題』などが有名です。
・カール・メンガー
カール・メンガーは、オーストリアの経済学者で、オーストリア学派(限界効用学派)の祖と呼ばれる人物です。限界効用理論を提唱し、財の価値は人間の主観的な効用によって決まると主張しました。また、財を経済財と非経済財に分け、経済財の価値は追加的な一単位による効用の増加分である限界効用によって決まると説明しました。彼の著作には、『国民経済学原理』や『社会科学、特に経済学の方法に関する研究』などがあります。
・レオン・ワルラス
レオン・ワルラスは、1834年にフランスで生まれ、1910年にスイスで亡くなった経済学者です。スイスのローザンヌ・アカデミーで経済学の教授を務めました。彼は、経済学的分析に数学的手法を積極的に活用し、一般均衡理論を最初に定式化しました。一般均衡理論とは、市場全体の需要と供給が一致するという理論です。彼はまた、メンガー・ジェボンズとともに限界効用理論を同時期に唱えた一人でもあります。限界効用理論とは、効用が価値の源泉であるとした考えです。彼の理論は、ローザンヌ学派や数理経済学やミクロ経済学などに大きな影響を与えました。シュンペーターは、「すべての経済学者の中で最も偉大」と評価しました。
・アルフレッド・マーシャル
アルフレッド・マーシャルとは、イギリスの経済学者であり、新古典派経済学を代表する研究者として知られています。彼はケンブリッジ大学の教授を務め、ケインズやピグーなどの有名な経済学者を育てました。彼の主著は『経済学原理』で、需要と供給による価格決定のメカニズムや価格弾力性、マーシャルのkなどの理論を展開しました。彼は経済学を科学的に発展させるために数学的手法を用いることにも貢献しました。
マルクス経済学
・カール・マルクス
マルクスは、1818年にドイツのトリーアで生まれた哲学者、経済学者、革命家です。彼はフリードリヒ・エンゲルスとともに、社会主義思想の一つであるマルクス主義を確立しました。マルクス主義は、資本主義社会の矛盾や階級闘争を分析し、労働者階級の解放と共産主義社会の実現を目指す思想体系です。マルクスは、弁証法的唯物論や史的唯物論と呼ばれる哲学的方法論を用いて、人間社会の歴史や発展の法則を説明しました。また、労働価値説や剰余価値説などの経済学的理論を展開し、資本家による労働者の搾取を解明しました。マルクスは、1848年にエンゲルスと共著した『共産党宣言』や、1867年から1875年にかけて出版した『資本論』などの代表的な著作で、その思想を発表しました。マルクスの思想は、その後の世界の政治や経済、文化などに多大な影響を与えましたが、同時に様々な批判や修正も受けました。マルクスは1883年にロンドンで亡くなりました。
ケインズ経済学
・ジョン・メイナード・ケインズ
ジョン・メイナード・ケインズは、イギリスの経済学者で、20世紀における最重要人物の一人です。彼は、ケインズ経済学と呼ばれる学派の基礎を築き、有効需要の原理や総需要管理政策を提唱しました。彼の代表作は、『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)で、大恐慌に対する解決策として、金融政策と財政政策の組み合わせによる経済刺激を説いたものです。彼はまた、第一次世界大戦後のパリ講和会議や第二次世界大戦後のブレトン・ウッズ体制の形成にも関与しました。彼は1946年に心臓発作で亡くなりました。
<ケンブリッジサーカス>
・リチャード・カーン
リチャード・カーンは、イギリスの経済学者で、ケインズの一般理論の共著者的存在とされる人物です。1905年にロンドンに生まれ、ユダヤ系でした。乗数という考え方を最初に明らかにし、ケインズの投資乗数の理論に貢献しました。また、ケンブリッジ・サーカスと呼ばれる若手経済学者のグループを組織しました。1965年には一代貴族として上院に列せられました。1989年に亡くなりました。
・ピエロ・スラッファ
ピエロ・スラッファは、イタリア出身の経済学者で、ケンブリッジ大学などで教授を務めた人物です。彼は不完全競争における生産分析や価値理論、リカードの著作の編集、商品による商品の生産という著書などで知られています。また、彼はイタリア共産党の指導者であるアントニオ・グラムシと親友であり、哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインとも交流がありました。
・ジェームス・ミード
ジェームス・ミードとは、イギリスのケインズ学派の国際経済学者で、1977年にノーベル経済学賞を受賞した人物です。彼は国際貿易と国際資本移動の理論を開拓し、国際経済政策の理論を発表しました。また、所得分配や公正な経済に関する著作もありました。彼はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスやケンブリッジ大学で教授を務めました。彼は1907年にイギリス南部のSwanageに生まれ、1995年にケンブリッジで亡くなりました。
・オースティン・ロビンソン
オースティン・ロビンソンは、イギリスの牧師の家に生まれた経済学者で、妻は同じく経済学者のジョーン・ロビンソンでした。彼はケンブリッジ大学で経済学を学び、ケインズの講義を聴きました。彼は不完全競争や独占の理論に貢献し、『競争的産業の構造』や『独占』という著書を出版しました。彼はまた、ケインズサーカスと呼ばれるグループの一員として、ケインズの『一般理論』に影響を与えました。彼は第二次世界大戦中に政府で経済顧問として働き、戦後はアフリカやアジアの経済開発に関心を持ちました。彼は1993年に95歳で亡くなりました。
・ジョーン・ロビンソン
ジョーン・ロビンソンは、イギリスの経済学者で、不完全競争やケインズ理論、経済成長理論などの分野で革新的な研究を行いました。彼女は1903年に生まれ、1925年にケンブリッジ大学を卒業し、1926年に経済学者のオースティン・ロビンソンと結婚しました。彼女は1933年に『不完全競争の経済学』を出版し、1937年にはケインズの『一般理論』の解釈と発展に貢献しました。彼女は1956年に『資本蓄積論』を出版し、経済成長の動学的分析を展開しました。彼女は晩年には中国や北朝鮮の社会主義体制に肯定的な見解を示し、ノーベル経済学賞の受賞候補に何度も挙がりながらも受賞することはありませんでした。彼女は1983年に亡くなりました。
新自由主義
・ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、オーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者で、オーストリア学派の代表的な人物です。現代の自由主義思想に大きな影響を与えました。彼の主なキーワードは以下の通りです。
貨幣と銀行信用の理論:通貨の価格や購買力は、需要と供給によって決まるが、その需要は通貨の直接効用ではなく、過去の購買力に基づくという循環論法を解決した理論です。
経済計算論争:計画経済や社会主義は、市場価格や利潤率が存在しないために、経済的に効率的な資源配分を行うことができないという批判です。
介入主義:政府による市場への干渉は、目的を達成できないだけでなく、逆効果をもたらし、最終的には全体主義や社会主義につながるという批判です。
人間行動学:人間は行為するという公理から出発し、演繹的に経済学を展開する方法論です。歴史哲学や認識論にも関心がありました。
・フリードリヒ・ハイエク
フリードリヒ・ハイエクは、オーストリア・ウィーン生まれの経済学者で、オーストリア学派の代表的な学者の一人です。彼は経済学だけでなく、政治哲学や法哲学などの分野でも多くの業績を残しました。彼は20世紀を代表する自由主義の思想家であり、1974年にはノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の代表的な著作には、「貨幣理論と景気循環」、「資本の純粋理論」、「隷属への道」、「個人主義と経済秩序」、「自由の条件」、「法と立法と自由」などがあります。彼は社会主義や集産主義を批判し、自由市場や分散された知識、自生的秩序などを重視する立場をとりまし。彼はまた、ケインズと対立することで有名で、ケインズ主義的な政府介入や財政政策に反対しました。
・ミルトン・フリードマン
ミルトン・フリードマンは、アメリカ合衆国の経済学者で、古典派経済学とマネタリズム、市場原理主義・金融資本主義を主張し、ケインズ的総需要管理政策を批判した人物です。彼は1976年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼の主な著作には、『A Monetary History of the United States, 1867-1960』や『資本主義と自由』などがあります。彼はまた、チリや中国などの国々で経済政策の助言を行い、新自由主義的な改革の影響を与えました。
その他の経済学者
・フランシス・イシドロ・エッジワース
フランシス・イシドロ・エッジワースは、1845年から1926年にかけて活躍したイギリスの経済学者です。アイルランドの名家に生まれ、スペイン人の血統も引いています。
エッジワースは、社会科学に数学の手法を適用した先駆者の一人であり、彼自身はその手法を「数理心理学」と名づけていました。彼は限界理論が前提していた功利主義の倫理と心理学を最後までもちつづけたのであり、そうした確信のもとに、経済学への貢献を果たしました。
エッジワースの経済学的な業績としては、以下のようなものが挙げられます。
財の交換の理論(契約曲線、エッジワース・ボックス)
経済価値を測定するために指数を使用したこと
確率計算を統計学に応用し、ドイツ学派にイギリスの研究家を接触させたこと
エッジワースは生涯独身で、国際的な幅広い人脈を保ちつつ、皮肉と諧謔と超然とした態度、そして多くの奇行・逸話で同時代人に強い印象を与えていました。彼の文体は気まぐれで、古典の引用と数式が入りまじり、精彩に富み脈絡は曖昧という矛盾した性格を兼ね備えていました。
・ヴィルフレド・パレート
ヴィルフレド・パレートは、イタリアの技師、経済学者、社会学者、哲学者でした。1848年にパリで生まれ、トリノ工科大学で数学や物理学を学びました。経済学では、パレート効率性やパレートの法則などの概念を提唱し、厚生経済学や数理経済学に貢献しました。社会学では、エリートの周流や論理的行為と非論理的行為という概念を提起し、実証主義的な社会分析を行いました。1923年にスイスで亡くなりました。
・ヨーゼフ・シュンペーター
ヨーゼフ・シュンペーターとは、オーストリア・ハンガリー帝国(後のチェコ)モラヴィア生まれの経済学者で、イノベーション理論を提唱したことで知られています。彼は、企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築しました。また、経済成長の創案者でもあります。
シュンペーターは、イノベーションによる創造的破壊が資本主義経済の本質であると考えましたが、同時にそれが資本主義の自己破壊につながるとも予言しました。彼は、自らの考えに同意するかどうかは重要ではなく、問題を直視し考えることが大切だと訴えました。彼の理論は、現代の多くの経営者や学者に影響を与えています。
・ラグナル・フリッシュ
ラグナル・フリッシュは、1895年から1973年まで生きたノルウェーの経済学者です。計量経済学の分野を創設し、この学名も彼が名づけたものです。また、マクロ経済学とミクロ経済学の二分法を考案したのも彼と言われています。彼はオスロ大学で経済学の教授として教え、ロックフェラー財団経済学研究所を設立しました。彼は消費者理論や生産理論、時系列分析や線形回帰分析などの研究を行い、景気循環理論におけるインパルス伝播の概念を提唱しました。1969年には、ヤン・ティンベルヘンとともに世界最初のノーベル経済学賞を受賞しました。
・ポール・サミュエルソン
ポール・サミュエルソンは、アメリカの経済学者で、新古典派総合という考え方を提唱した人物です。彼は、市場の自由と政府の規制をバランスよく組み合わせることで、経済の安定と成長を目指すべきだと主張しました。彼はまた、顕示選好理論やストルパー=サミュエルソンの定理など、数理経済学や国際貿易理論にも多くの貢献をしました。彼は、1947年にジョン・ベイツ・クラーク賞を、1970年には第2回ノーベル経済学賞を受賞しました。彼の著書『経済学』は、世界中で一千万部以上売れたベストセラーになりました。
・ジョン・ヒックス
ジョン・ヒックスとは、1904年から1989年まで生きたイギリスの経済学者で、ミクロ経済学やマクロ経済学に多大な貢献をした人物です。彼は一般均衡理論や福祉理論に対する先駆的な研究で、1972年にケネス・アローとともにノーベル経済学賞を受賞しました。
ジョン・ヒックスは、経済学の中心がイギリスからアメリカに移ったことから、「イギリス最後の大経済学者」とも呼ばれることがあります1。彼は自分の業績に対して批判的な姿勢も持ち合わせており、IS-LM理論とケインズの一般理論との乖離を認めたり、オーストリア学派の資本理論に影響を受けたりしていました。
・ハロルド・ホテリング
ハロルド・ホテリングは、1895年にミネソタ州フルダで生まれたアメリカの経済学者です。数理経済学、統計学、資源経済学の分野で多くの業績を残しました。主成分分析や正準相関分析などの多変量解析の手法を考案したことや、ホテリングの法則やホテリングの補助定理などの経済学の概念を提唱したことで知られています。コロンビア大学やノースカロライナ大学で教授を務め、ケネス・アロー や ミルトン・フリードマン などの著名な経済学者を育てました。1973年に78歳で亡くなりました。
・ケネス・アロー
ケネス・アローは、1921年にニューヨークで生まれたアメリカの経済学者です。社会選択理論や一般均衡理論などの分野で革新的な貢献をしました。1972年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼の最も有名な業績は、アローの不可能性定理と呼ばれるもので、社会的選好を決定する際に、合理的な条件をすべて満たすような制度は存在しないことを証明しました。彼はまた、技術変化の源泉を説明する内生的成長理論や、市場における情報の非対称性による問題を分析する情報の経済学などの研究も行いました。
・ジェラール・ドブリュー
ジェラール・ドブリューは、フランスの経済学者で数学者です。数理経済学全般、特に一般均衡理論の研究に関する数理経済学者の代表的人物であり、1983年にはその業績が評価されてノーベル経済学賞を受賞しました。
ドブリューは、ブルバキ主義の高等師範学校で数学の教育を受け、第二次世界大戦後に経済学に転向しました。コウルズ委員会やイェール大学、カリフォルニア大学バークレー校などで研究を行いました。彼の主な業績は、一般均衡理論を公理的に構築し、厚生経済学の基本定理や競争均衡の存在証明、効用関数やコアの性質などを数学的に明らかにしたことです。
彼の著書『価値の理論』は、一般均衡理論の最も純粋で公理的な形での表現として決定版とされています。また、市場需要関数についての研究では、ドブリュー-ソネンシャイン-マンテルの定理と呼ばれる破壊的な結果を導き出しました。
ドブリューは、経済理論に新たな分析手法を組み込んだことで、数理経済学の発展に大きく貢献しました。
・ジョン・ナッシュ
ジョン・ナッシュとは、アメリカ人の数学者で、ゲーム理論、微分幾何学、偏微分方程式で著名な業績を残した人物です。彼は非協力ゲームにおける均衡解の概念であるナッシュ均衡を提唱し、ゲーム理論の発展に寄与しました。その功績により、1994年にノーベル経済学賞を受賞しました。また、リーマン多様体の埋め込み問題に関する研究でも有名で、2015年にはアーベル賞を受賞しました。彼は統合失調症を患っていたことでも知られており、その半生は映画『ビューティフル・マインド』の題材にもなりました。彼は2015年に交通事故で亡くなりました。
・ロバート・ルーカス
ロバート・ルーカスは、アメリカの経済学者で、シカゴ大学の教授です。1995年にノーベル経済学賞を受賞しました。合理的期待仮説やルーカス批判などの理論を発展させ、マクロ経済学に大きな影響を与えました。また、人的資本の蓄積による経済成長や、資本蓄積に関するルーカス-ウザワ・モデルなども提唱しました。
・ロバート・ソロー
ロバート・ソローは、1924年にニューヨークで生まれた経済学者です。マサチューセッツ工科大学の経済学部で教授を務め、ポール・サミュエルソンとともに戦後の経済学の主流を築きました。
彼は、経済成長理論において、ソロー・スワンモデルと呼ばれる新古典派成長モデルを提唱しました。このモデルは、経済成長の決定要因がインプット(労働と資本)と技術進歩の二つに分けられることを示しました。彼は、このモデルを使って、アメリカの一人当たりの国民所得の成長のうち、約5分の4は技術進歩によるものであると推計しました。
彼は、その他にも、資本理論や線形計画法などの分野にも貢献しました。彼の教え子には、ジョージ・アカロフやジョセフ・スティグリッツなどのノーベル経済学賞受賞者がいます。
彼は、1961年にジョン・ベイツ・クラーク賞、1987年にノーベル経済学賞、1999年にアメリカ国家科学賞を受賞しました。現在はMIT経済学部の名誉教授であり、Courmot Center for Economic Studiesの会長を務めています。
・ゲイリー・ベッカー
ゲイリー・ベッカーは、アメリカ合衆国の経済学者・社会学者で、シカゴ大学の教授を務めました。彼は経済学の分析手法を家族や差別や犯罪など様々な社会問題に応用し、人的資本という概念を提唱しました。人的資本とは、教育や訓練を通して高めることができる人間個人の能力のことで、経済成長や個人の幸福に大きく寄与すると考えられます。彼は1992年にノーベル経済学賞を受賞しました。
・アマルティア・セン
アマルティア・センとは、インドの経済学者・哲学者で、1998年にノーベル経済学賞を受賞した人物です。彼は飢饉、人間開発理論、厚生経済学、貧困のメカニズム、男女の不平等などに関する研究で知られています。彼の代表的な理論は潜在能力アプローチで、人間の福祉や自由を様々な生活を送るという個人の潜在能力の視点から評価する手法です。この理論は国際連合開発計画(UNDP)の人間開発指数(HDI)に影響を与えました。センはまた、経済学と倫理学との関係にも深い関心を持ち、経済学が人間性や社会性を無視していると批判しました。
・ハーバート・サイモン
ハーバート・サイモンは、アメリカの政治学者、認知心理学者、経営学者、情報科学者で、心理学、人工知能、経営学、組織論など多くの分野に影響を与えました。彼は、経済組織内部での意思決定プロセスにおける先駆的な研究を行い、1978年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼の主な概念としては、限定合理性と満足化があります。
限定合理性とは、人間に備わった認識能力や推論能力には限界があるという考え方です。人間は、完全な情報や無限の時間を持っているわけではないので、最適な選択をすることはできません。その代わりに、ある程度の合理性をもって意思決定することができます。
満足化とは、最適な選択ではなく、自分の目標や基準を満たすだけの選択をすることです。人間は、多くの選択肢の中から最良のものを探すのではなく、十分に良いものを見つけたらそれで満足する傾向があります。これは、意思決定のコストや労力を節約するための戦略です。
サイモンは、これらの概念を用いて、個人や組織における意思決定のモデルやプロセスを分析しました。彼はまた、人工知能やコンピューター・サイエンスの分野でも活躍し、チューリング賞やアメリカ国家科学賞なども受賞しました。
・ダニエル・カーネマン
ダニエル・カーネマンは、イスラエル・アメリカ合衆国の心理学者で、行動経済学の分野で著名です。彼は、不確実性下での人間の判断と意思決定に関する研究で、2002年にノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の代表的な業績の一つが、プロスペクト理論です。これは、人が既知の確率を伴う選択肢の間でどのように意思決定をするかを記述するモデルで、期待効用理論のアノマリーを克服するために提案されました。プロスペクト理論では、人は富そのものではなく、富の変化量から効用を得るとし、また確率に対する人の反応が線形でないと仮定します。さらに、人は利益に対してはリスク回避的であるが、損失に対してはリスク好きであるという損失回避性を示すことも明らかにしました。
彼はまた、人が簡便な解法や法則(ヒューリスティック)を用いて判断する際に生じる認知上の偏り(バイアス)についても多くの研究を行いました。例えば、代表的なバイアスとして、錯覚相関(無関係な事象や特徴を関連付けてしまう傾向)、錯誤帰属(自分や他人の行動の原因を誤って推論する傾向)、確信過剰(自分の判断や能力に過度に自信を持つ傾向)などがあります。
彼はさらに、あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合いで決まるというピーク・エンドの法則も提唱しました。
彼は現在プリンストン大学名誉教授であり、心理学と公的行動の分野で教鞭をとっています。
・アーサー・セシル・ピグー
アーサー・セシル・ピグーは、イギリスの経済学者で、厚生経済学と呼ばれる分野の確立者として知られています。彼は、経済活動における外部効果やピグー税などの概念を提唱し、経済的厚生の向上を目指しました。また、彼はピグー効果やピグーの第2命題などの理論を展開し、創成期のケインズ経済学と対立する立場をとりました。彼の主著は『厚生経済学』(1920年)で、その他にも『産業変動論』(1927年)や『財政の研究』(1928年)などがあります。
・トマス・マルサス
トマス・マルサスは、イギリスの経済学者で、古典派経済学の代表的な人物です。彼は、人口論という著作で、人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが、食糧は算術級数的にしか増加しないという原理を提唱しました。この原理によれば、人口と食糧の不均衡が貧困や飢饉を引き起こすという結論になります。マルサスは、人口の増加を抑制する方法として、予防的抑制(結婚や出産の自主的な制限)と抑圧的抑制(戦争や疫病などの自然災害)を挙げました。マルサスの人口論は、当時の社会改良主義者や啓蒙思想家に対する批判として書かれたものでしたが、後にチャールズ・ダーウィンの進化論やジョン・メイナード・ケインズの有効需要論に影響を与えました。
・ジョン・K・ガルブレイス
ジョン・K・ガルブレイスは、カナダ出身の制度派経済学者で、ハーバード大学の名誉教授です。彼は20世紀において最も読まれた経済学者の一人で、多くの著作と政治的活動で知られています。彼の重要な概念としては、以下のようなものがあります。
依存効果:消費者の欲望は生産者側の宣伝や社会的影響によってかき立てられるという考え方。消費者は自分が本当に必要とするものではなく、生産者が提供するものを求めるようになるという現象。
ゆたかな社会:経済成長によって物質的な豊かさが達成された社会のこと。しかし、その一方で公共財や社会的価値が疎かになり、不平等や貧困が残るという問題を指摘した。
新産業国家:大企業や技術エリートが政治や経済を支配するようになった社会のこと。彼はこのような社会では民主主義や市場競争が機能しなくなると警告した。
大暴落1929:1929年に起きた世界恐慌の引き金となった株式市場の暴落を詳細に分析した著作。彼はこの暴落は投機的なバブルや不安定な金融システム、政府の不作為などが原因であると主張した。
・アルバート・O・ハーシュマン
アルバート・O・ハーシュマンは、ドイツ出身の経済学者で、政治経済学や開発経済学の分野で多くの著書を残しました。彼の最初の主要な貢献は、開発経済学の分野でした。ここでは、不均衡成長の必要性を強調しました。彼は、開発途上国は意思決定能力に欠けているため、不均衡を促進して成長を刺激し、資源を動員するべきだと主張しました。これには、他の企業と多くの連関性を持つ産業を奨励することが重要でした。彼の後期の研究は、政治経済学の分野でした。ここでは、二つの枠組みを提案しました。一つ目は、企業や国家の衰退に対する三つの基本的な可能な反応(離脱、発言、忠誠)を記述した『離脱・発言・忠誠』(1970年)です。二つ目は、保守派が行う基本的な議論(逆転、無益、危険性)を記述した『反動のレトリック』(1991年)です。
ハーシュマンは、第二次世界大戦中にフランス占領下で多くの難民を救出する重要な役割を果たしました。
・トーマス・シェリング
トーマス・シェリングは、アメリカの経済学者、政治学者、ゲーム理論家で、2005年にノーベル経済学賞を受賞した人物です。彼は紛争と協力の理論をゲーム理論の分析を通じて発展させ、戦略的行動と交渉の原理を明らかにしました。彼の代表的な著作には、『紛争の戦略』、『軍備と影響力』、『ミクロ動機とマクロ行動』などがあります。彼は以下のような重要な概念を提唱しました。
フォーカルポイント:明示的な合意やコミットメントがない状況で、相手の予測や意図に合わせようとする際に、自然に目が向く共通の目印や手がかりのこと。
抑止:相手に自分が被害を受けた場合に報復するという誘因を伝達し、相手の行動を制限すること。
住み分け:人種や属性などによる集団間の空間的な分離現象で、個人が隣人に対して持つ寛容性や我慢の度合いによって生じること。
・オスカー・ランゲ
オスカー・ランゲは、ポーランドの経済学者で外交官でした。彼は市場社会主義の理論家として有名で、経済計算論争でミーゼスやハイエクと対立しました。彼はランゲ・モデルと呼ばれる価格決定の方法を提案し、中央計画と市場原理の相互補完性を強調しました。彼はまた、一般均衡理論や厚生経済学にも重要な貢献をしました。
彼は1904年にロシア帝国領ポーランドのウッチ近くにある町で生まれました。ヤギェウォ大学で法学と経済学を学び、1926年に卒業しました。その後、労働省やヤギェウォ大学で働きました。1934年にロックフェラー財団のフェローシップを得て渡米し、ミシガン大学やシカゴ大学で教えました。第二次世界大戦中にはロンドンにあったポーランド亡命政府で活動し、後にソ連の支援を受けたルブリン委員会に加わりました。戦後は駐米大使や国際連合安全保障理事会代表を務めました。また、ワルシャワ大学や政府計画統計中央学校で教鞭をとりました。
・フランソワ・ケネー
フランソワ・ケネーは、フランスの医師であり、重農主義(フィジオクラシー)と呼ばれる経済学派の創始者です。彼は、農業こそが富を生み出す唯一の源泉であり、自由放任が経済の発展に必要であると主張しました。彼の代表作は『経済表』で、そこでは社会の富の循環と分配を図式化し、政府の政策についても提言しました。彼は1774年に亡くなりましたが、彼の理論はテュルゴーやアダム・スミスなどに影響を与えました。
・フェルディナンド・ガリアーニ
フェルディナンド・ガリアーニは、18世紀のイタリアの経済学者で、啓蒙主義の主要なイタリア人人物でした。彼は貨幣論と価値理論において先駆的な業績を残しました。彼は効用と希少性の両方に基づく新しい価値理論を導入し、限界革命の先駆者となりました。彼はまた、国際収支について現代的な分析を提供しました。彼は重農主義者たちの理論を批判し、経済における「自然」法の考え方に対して健全な懐疑主義を抱きました。彼はフランスのナポリ大使館に勤務していた時期に、フランスの経済学者たちと交流し、特にドニ・ディドロと親友になりました。
・ジャック・テュルゴー
ジャック・テュルゴーは、フランスの政治家であり、重農主義経済学者でした。彼は、農業が富の唯一の源泉であると考え、交易の自由化や地租単税などの自由主義的な政策を推進しました。しかし、彼の政策は、王宮や地主階層の反対や農民一揆などによって失敗に終わりました。彼は、経済学においても、アダム・スミスやカール・マルクスなどに影響を与えました。彼の主な著作には、『富に関する省察』や『価値と貨幣』などがあります。
・ジョン・ロー
ジョン・ローは、スコットランド出身の経済思想家、実業家、財政家でした。真手形主義や稀少価値論を提唱した人物とされています。フランスの財務総監に就任し、フランス初の紙幣を発行しましたが、ミシシッピ計画と呼ばれる大規模な不換紙幣発行によるバブル経済を引き起こし、失敗に終わりました。その後、フランスを追放され、ヴェネツィアで亡くなりました。
・ジェレミー・ベンサム
ジェレミー・ベンサムは、イギリスの哲学者・経済学者・法学者で、功利主義の創始者として有名です。彼は、人間は快楽と苦痛を計算して行動する存在であり、社会全体の幸福量が最大になる(最大多数の最大幸福)ように法律を作るべきだと考えました。彼の主な概念は、快楽主義、最大幸福原理、功利計算、パノプティコンなどです。彼の思想は、後の経済学や政治学に大きな影響を与えました。
・ジョン・スチュワート・ミル
ジョン・スチュワート・ミルは、イギリスの哲学者で、政治哲学や経済学にも大きな影響を与えました。彼は功利主義の立場から、自由や正義、男女平等などの理念を擁護しました。彼の代表作には、『自由論』や『女性の隷従』、『功利主義論』などがあります。
ジョン・スチュワート・ミルは、経済学者としても優れた業績を残しました。彼は、古典派経済学の最後の大家とされ、『経済学原理』という著書を出版しました。この著書では、以下のような主張を展開しました。
生産と分配を区別し、生産は自由放任に任せるべきだが、分配は人為的に変更可能であるとした。
所有権の保護は絶対ではなく、社会の効用を高めるか否かによって判断されるべきだとした。所有権は労働の成果とは限らないため、機会の平等を保障することが重要だとした。
共産主義を否定し、自由と個性がなくなるとした。具体的な社会改革方法として、土地所有権への制限を提案した。
・フリードリヒ・リスト
フリードリヒ・リストは、19世紀のドイツの経済学者で、ドイツ歴史学派の泰斗と呼ばれます。彼は、「国民的体系(national system)」や「国民的改革体系(national innovation system)」という概念を提唱し、欧州統合の理論的先駆者ともなりました。
彼の主な著作は『政治経済学の国民的体系』(1841年)で、ここで彼は自由貿易を批判し、保護貿易を主張しました。彼は、国民経済の発展を5つの段階に分けて、同じ段階にある国同士でのみ自由貿易を行うべきだとしました。その段階は以下の通りです。
・未開状態
・牧畜状態
・農業状態
・農工業状態
・農工商業状態
彼は、当時のイギリスが農工商業状態にあるのに対して、ドイツはまだ農工業状態にあると考え、ドイツが工業化するためには国家による干渉が必要だと主張しました。彼はまた、国家や国民性の重要性を強調し、経済学は歴史的な事実に基づいて変化しなければならないとも述べました。
・フレデリック・バスティア
フレデリック・バスティアは、1801年にフランスのバイヨンヌで生まれ、1850年にローマで亡くなった経済学者です。彼はフランス自由主義学派の代表的な理論家で、保護主義や社会主義に対して自由貿易や自由競争の利益を弁護しました。
彼の著作の中でも有名なものは、「法」、「経済学の詭弁」、「見えるものと見えないもの」などです。「見えるものと見えないもの」では、割れ窓の寓話という有名な例を用いて、破壊や浪費が経済に有益であるという誤謬を批判しました。
彼はまた、法律や政府が人々の自然権や自由を侵害することを「合法的略奪」と呼んで非難しました。彼は自由主義的な立憲君主制や共和制を支持し、1848年には国民議会の議員に選出されましたが、健康を害してローマに療養に行き、そこで死去しました。
・アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー
アントワーヌ・オーギュスタン・クールノーは、1801年にフランスのグレイで生まれ、1877年にローマで亡くなった哲学者、数学者、経済学者です。彼は「限界革命」より半世紀前に数理モデルを用いて複占や需給の理論を展開し、数理経済学の始祖とされます。彼はまた、法律や政府が人々の自然権や自由を侵害することを「合法的略奪」と呼んで非難しました。
彼の著作の中でも有名なものは、「富の理論の数学的原理に関する研究」、「社会科学の哲学的原理」、「自由と所有権」などです。「富の理論の数学的原理に関する研究」では、クールノーの複占モデルやクールノー均衡と呼ばれる重要な概念が提唱されました 。
彼はまた、レオン・ワルラスの父であるアントワーヌ・オーギュスタン・ワルラスともにレオン・ワルラスに経済学の道を勧め、L・ワルラスに一般均衡理論の着想をもたらした学者の一人であるとされます 。
・ジュール・デュピュイ
ジュール・デュピュイは、1804年にイタリアのフォッサーノで生まれ、1866年にパリで亡くなったフランスの土木技術者、経済学者です。彼は国立土木学校で学び、フランスの大規模公共事業を担う土木公団で活躍しました。彼はパリの上下水道整備や洪水管理を監督し、レジオンドヌール勲章を受けました。
彼はまた、経済学においても重要な貢献をしました。彼は1844年に「橋梁の最適な通行料の決定に関わる論文」を発表し、限界効用の逓減する曲線や需要曲線を導入しました。彼はこれらの概念を用いて、相対的効用や消費者余剰という概念を定義し、公的福祉の最大化や価格差別の可能性について議論しました。彼は自由放任経済学の擁護者でもあり、1861年に「通商の自由」という本を書きました。
・ジョン・ラムジー・マカロック
ジョン・ラムジー・マカロックは、1789年にスコットランドで生まれ、1864年にロンドンで亡くなった経済学者、編集者、著作者です。彼は古典リカード学派の最も熱烈で教条的な主導者の一人であり、リカードの理論を広めるために多くの著作や記事を発表しました。彼はまた、限界効用や需要曲線、消費者余剰などの概念を導入した最初の経済学者の一人でもあります。
彼はスコットランドのジャーナリストとしてキャリアを始め、やがてホイッグ派寄りのEdinburgh Reviewに移って経済編集者を務めました。彼は穀物法廃止や労働組合合法化などの自由放任経済学の政策を訴え続けました。彼は1828年から1832年までロンドン大学で政治経済学の講師を務め、1838年には王立出版局長官に任命されました。
彼の主著『政治経済学の原理』(1825)は、経済学の初期の教科書として広く読まれました。彼はアダム・スミスの『国富論』(1776)やデイビッド・リカードの『著作集』(1846)などの重要な経済学書籍の編集も行いました。彼は経済思想史に関する論文もいくつか書き、リカード派に好意的な見解を示しました。
・ジャン=バティスト・セイ
ジャン=バティスト・セイは、1767年にリヨンで生まれ、1832年にパリで亡くなったフランスの経済学者、実業家です。彼は古典派経済学の主要な代表者の一人であり、競争、自由貿易、事業上の制約の引き下げに賛成する自由主義の主張を行いました。彼は「供給はそれ自身の需要を創造する」という「セイの法則」で知られています。
彼は若い頃にイギリスで商人の見習いとして働き、アダム・スミスの『国富論』に影響を受けました。彼はフランス革命期に共和主義者として活動し、雑誌や新聞の編集者や記者として経済学の啓蒙を行いました。彼はナポレオン政権下では綿工場を経営し、その後パリに戻って投機家として暮らしました。
彼は1803年に主著『経済学概論』を出版し、その中でセイの法則を主張しました。彼は市場に任せれば需要と供給が自然に一致すると考え、供給が需要を創出するという考え方を展開しました。彼はまた、生産要素や産業分類などの概念も導入しました。
彼は1814年から1830年まで王立大学や王立工芸院などで経済学の教授として教え、多くの学生や後進に影響を与えました。彼はデイビッド・リカードやジョン・スチュアート・ミルなどのイギリスの経済学者とも交流し、フランスリベラル学派の創設に多大な貢献をしました。
・リチャード・ジョーンズ
リチャード・ジョーンズは、1790年にイギリスのケント州で生まれ、1855年に亡くなった経済学者であり、聖職者でもありました。彼はケンブリッジ大学で教育を受け、1816年に卒業しました。その後、法律家を目指しましたが、健康上の理由で断念し、聖公会の牧師になりました。数年間、サセックスやケントの教区で働きました。
1833年にはロンドンのキングス・カレッジで経済学の教授に任命されましたが、1835年にはトマス・マルサスの後任として東インド会社のヘイリーベリー大学で経済学と歴史の教授になりました。彼はまた、チャールズ・バベッジやアドルフ・ケテレなどとともに1834年に統計学会(後の王立統計学会)の創設者の一人となりました。彼は1836年の十分の一税改革法にも関与し、1851年まで十分の一税委員を務めました。さらに、慈善事業委員も務めました。彼はヘイリーベリー大学で教授を辞任した直後に亡くなりました。
彼は1831年に主著『富の分配と課税源についての論文』を出版しました。この中で彼はデイビッド・リカードの体系を批判しました。ジョーンズの方法論は帰納的であり、彼の結論は時代や場所によって異なる土地所有や耕作、生産や分配の条件など、現実世界から導かれています。彼はイギリスの特殊な状況を人類社会の一般的な型として取り上げることを拒否し、経済学における歴史的相対主義を主張しました。彼はマルサスを尊敬しながらも、生活手段の増加が必ず人口増加につながるという考えを受け入れませんでした。彼は人口が増えると、すべての良く統治された繁栄した国家では食料への支配力が減るのではなく増えると主張しました。
・ナッソウ・ウィリアム・シーニョア
ナッソウ・ウィリアム・シーニョアは、1790年にイギリスで生まれ、1864年に亡くなった経済学者であり、弁護士でもありました。彼は古典派経済学の独創的な理論家として知られており、デイビッド・リカードやトマス・マルサスの考えに対して批判的な立場をとりました。
彼はケンブリッジ大学で教育を受け、1816年に卒業しました。その後、法律家を目指しましたが、健康上の理由で断念し、聖公会の牧師になりました。数年間、教区で働いた後、1833年にロンドンのキングス・カレッジで経済学の教授に任命されました。1835年にはマルサスの後任としてヘイリーベリー大学で経済学と歴史の教授になりました。彼はまた、統計学会(後の王立統計学会)の創設者の一人となりました。
彼は1831年に主著『富の分配と課税源についての論文』を出版しました。この中で彼はリカードの体系を批判しました。彼は経済学を演繹的科学と見なし、仮定ではなく事実から出発する推論を用いました。彼は時代や場所によって異なる経済社会の実態を考慮し、歴史的相対主義を主張しました。彼はマルサスを尊敬しながらも、生活手段の増加が必ず人口増加につながるという考えを受け入れませんでした。彼は人口が増えると、すべての良く統治された繁栄した国家では食料への支配力が減るのではなく増えると主張しました。
・マリ・エスプリ・レオン・ワルラス
マリ・エスプリ・レオン・ワルラスは、フランス生まれの経済学者で、スイスのローザンヌ・アカデミーで教授を務めました。彼は経済学的分析に数学的手法を積極的に活用し、一般均衡理論を最初に定式化しました。彼はまた、社会主義者でもあり、土地の国有化を提唱しました。彼は1834年にエヴルーに生まれ、1910年にクラランで亡くなりました。
・フランシス・イシドロ・エッジワース
フランシス・イシドロ・エッジワースは、イギリスの経済学者で、アイルランドの名家に生まれ、スペイン人の血統も引いていました。彼は社会科学に数学の手法を適用した先駆者の一人で、「数理心理学」という分野を創始しました。彼は限界理論と功利主義の倫理を組み合わせて、財の交換の理論(契約曲線、エッジワース・ボックス)や確率計算を統計学に応用しました。彼は1889年と1922年に大英学術協会の経済学部会の会長や、王立統計学会や王立経済学会の要職を歴任しました。彼は1845年にアイルランドで生まれ、1926年にオックスフォードで亡くなりました。
・ウォルター・バジョット
ウォルター・バジョットは、イギリスの経済学者で、ジャーナリストでもありました。彼は『エコノミスト』紙の編集長を務め、金融市場や中央銀行の役割についての著書『ロンバード街』を書きました。また、イギリスの議会制民主主義や君主制の機能について分析した『イギリス憲政論』も有名です。彼は1826年にイギリスで生まれ、1877年に亡くなりました。
・エンリコ・バローネ
エンリコ・バローネは、イタリアの経済学者で、軍人でもありました。彼はローザンヌ学派の代表者の一人で、ワルラスやパレートの理論を発展させ、限界生産力説の確立者の一人となりました。彼は1908年に『集産国家における生産省』という論文を発表し、社会主義経済における経済計算の可能性を数学的に論証しました。この論文は、後に社会主義経済計算論争の先駆けとなりました。彼は1859年にナポリで生まれ、1924年にローマで亡くなりました。
・オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク
オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクは、オーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者で、オーストリア学派の代表者の一人でした。彼はウィーン大学で法学を学び、カール・メンガーの『国民経済学原理』に感銘を受けました。彼は大蔵省やインスブルック大学で働きながら、『資本と利子』という3巻からなる著作を発表しました。この中で彼は、利子の現象を時間的な生産過程と人間の時間的選好に基づいて説明し、限界生産力説や効用価値説を展開しました。
また、彼はカール・マルクスの経済学や資本論に対する批判者としても知られています。彼は1895年から1904年まで3度にわたってオーストリアの大蔵大臣を務め、金本位制度や均衡財政を維持し、税制改革や砂糖補助金の廃止などを行いました。彼は1851年にブルノで生まれ、1914年にクラムザッハで亡くなりました。
・ラディスラフ・フォン・ボルトケヴィッチ
ラディスラフ・フォン・ボルトケヴィッチは、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したオーストリアの経済学者です。彼はマルクス経済学の批判者として知られており、特に資本の価値構成と生産価格の関係について独自の理論を展開しました。彼は資本の価値と生産価格は一致しないと主張し、資本家の利潤率は資本の有機的構成に依存すると考えました。彼の理論は、マルクス経済学の内部矛盾を解決する試みとして、また新古典派経済学の代替として、多くの経済学者に影響を与えました。
・ジョン・エリオット・ケアンズ
ジョン・エリオット・ケアンズは、19世紀に活躍したイギリスの経済学者で、古典派最後の経済学者と呼ばれています。彼はアイルランド生まれで、法律と経済学を学びました。彼はアイルランド問題や奴隷制度に関心を持ち、その解決策を提案しました。彼は自由貿易や自由放任主義を支持しましたが、土地所有権に関しては政府の介入を必要とすると主張しました。彼は経済学の方法論にも貢献し、論理的な分析と実証的な研究の重要性を強調しました。
・ジョン・ベイツ・クラーク
ジョン・ベイツ・クラークは、1847年から1938年にかけて活躍したアメリカの経済学者で、コロンビア大学の教授を務めました。彼はアメリカの新古典派経済学者で、限界革命の主導者の一人として知られています。彼は分配理論や土地所有権問題に関心を持ち、限界生産性説や財の蕩尽理論を提唱しました。彼は自由貿易や自由放任主義を支持しましたが、土地所有権に関しては政府の介入を必要とすると主張しました。彼は経済学の方法論にも貢献し、論理的な分析と実証的な研究の重要性を強調しました。彼の名前は、アメリカ経済学会が40歳以下の優秀な経済学者に授与するジョン・ベイツ・クラーク賞に残されています。
・ウィリアム・カニンガム
ウィリアム・カニンガムは、1849年から1919年にかけて活躍したイギリスの経済史家で、コロンビア大学の教授を務めました。彼は古典派経済学の伝統に立ちながら、ドイツ歴史学派の影響も受けた経済学者で、『イギリス商工業の発達』 などの著作で知られています。彼は経済と政治の相互作用を重視した政策史的経済史の色彩が強く、また熱烈な保護貿易主義者でもありました。彼は宗教界でも活躍し、イーリーの国教会副監督としても務めました。
・リチャード・テオドール・イリー
リチャード・テオドール・イリーは、1854年から1943年にかけて活躍したアメリカの経済学者で、ウィスコンシン大学の教授を務めました。彼はドイツ歴史学派の影響を受けた経済学者で、制度派経済学の先駆者としても知られています。彼は社会改良主義的な経済思想を持ち、労働運動や社会政策に関心を持ちました。彼はアメリカ経済学会の創設者の一人でもあり、1900年から1901年にかけて会長を務めました。彼は自由放任主義に反対し、所有権や資源問題についても研究しました。彼は学問の自由を擁護する「ウィスコンシンの大憲章」を宣言したことでも有名です。
・ウィリアム・スタンリー・ジェボンズ
ウィリアム・スタンリー・ジェボンズは、1835年から1882年にかけて活躍したイギリスの経済学者で、新古典派経済学の創始者の一人です。彼は「経済学理論」(1871年)という著書で、古典派経済学の方法を批判し、限界効用理論を説きました。彼は経済学をEconomicsと翻訳し、数学的な分析を導入しました。彼は功利主義的な考え方に基づいて、感情のレベルや無差別の法則(一物一価の法則)についても論じました。彼は王立協会のフェローに選出されたが、不健康と不眠に苦しみ、1882年に水泳中に溺死しました。
・カール・メンガー
カール・メンガーは、1840年から1921年にかけて活躍したオーストリアの経済学者で、新古典派経済学の創始者の一人です。彼は「国民経済学原理」(1871年)という著書で、古典派経済学の労働価値説を批判し、効用価値説を説きました。彼は経済財と非経済財の区別や限界効用の概念を導入し、価値は主観的な効用によって決まると主張しました。
彼はオーストリア学派の祖として、ベーム=バヴェルクやヴィーザーなどの弟子を育てました。彼は歴史学派との方法論争で有名で、社会科学の方法について論じた「社会科学、特に経済学の方法に関する研究」(1883年)や「ドイツ国民経済学における歴史主義の誤り」(1884年)などの著作があります。彼はオーストリア皇太子ルドルフ大公の家庭教師やウィーン大学の教授を務めました。
・ヴィルフレド・パレート
ヴィルフレド・パレートは、1848年から1923年にかけて活躍したイタリアの技師、経済学者、社会学者、哲学者です。彼は経済学において、「パレート効率性」や「パレートの法則」などの概念を提唱し、厚生経済学や数理経済学の発展に貢献しました。彼は社会学において、「エリートの周流」や「論理的行為と非論理的行為」などの概念を提起し、実証主義的な社会分析を行いました。彼は自由主義や民主主義への批判を強めていき、ファシスト党に支持されたこともあります。
・クレマン・ジュグラー
クレマン・ジュグラーは、1819年から1905年にかけて活躍したフランスの医者、経済学者、景気循環研究者です。彼は経済統計を分析して、「ジュグラー循環」と呼ばれる約7-11年の景気変動の規則性を発見しました。彼はこの循環が主に企業の設備投資や在庫変動に起因すると考えました。彼は統計国際研究所と道徳・政治科学アカデミーに所属し、多くの著作を残しました。
・ハンス・カール・エミール・フォン・マンゴルト
ハンス・カール・エミール・フォン・マンゴルトは、1824年から1868年にかけて活躍したドイツの経済思想家、経済学者です。彼は自由貿易や自由競争の擁護者であり、国家の経済介入に反対しました。彼はドイツの歴史学派の代表的な人物であり、経済学の発展に歴史的・社会的な要因を重視しました。彼はドレスデンで生まれ、ベルリンで死去しました。
・ヴィルヘルム・ゲオルク・フリードリヒ・ロッシャー
ヴィルヘルム・ゲオルク・フリードリヒ・ロッシャーは、1817年から1894年にかけて活躍したドイツの経済学者です。彼は歴史学派の代表的な人物であり、経済学の発展に歴史的・社会的な要因を重視しました。彼は法学における歴史学派の代表者、フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー や カール・フリードリヒ・アイヒホルン 等の影響を受けました。彼は『国民経済学の体系』や『ドイツ国民経済史』などの著作を残しました。彼はハノーファーで生まれ、ライプツィヒで死去しました。
・ヴェルナー・ゾンバルド
ヴェルナー・ゾンバルトは、1863年から1941年まで生きたドイツの経済学者・社会学者で、ドイツ歴史学派の最後の経済学者と言われます。彼は資本主義の起源と発展に関する多くの著作を残しましたが、特にユダヤ人が資本主義を生み出したという反ユダヤ主義的な主張で知られていまた。彼はまた、ドイツ的社会主義という概念を提唱し、ナチスを支持しました。彼の代表作には、『近代資本主義』、『ユダヤ人と経済生活』、『恋愛と資本主義』、『戦争と資本主義』、『ブルジョワ 近代経済人の精神史』、『ドイツ的社会主義』などがあります。
・アーヴィング・フィッシャー
アーヴィング・フィッシャーは、アメリカ合衆国の経済学者で、「貨幣数量説」や「物価指数」の提唱者として知られています。彼は数理経済学や金融経済学にも重要な貢献をしました。「フィッシャー方程式」や「フィッシャーの交換方程式」など、彼の名前を冠した理論は多くあります。彼はまた、健康運動家や優生学者としても活動しました。1867年にニューヨーク州で生まれ、1947年にニューヨーク市で亡くなりました。
・アバ・ラーナー
アバ・ラーナーは、ロシア帝国のベッサラビアで生まれ、イギリスやアメリカ合衆国で活動した経済学者です。彼はケインズ経済学の熱心な支持者であり、「マーシャル=ラーナー条件」や「ラーナーの対称性定理」など、国際経済学や財政学に多くの貢献をしました。また、経済計算論争やMMT(現代貨幣理論)にも影響を与えました。彼は1903年に生まれ、1982年に亡くなりました。
・アルフレッド・マーシャル
アルフレッド・マーシャルは、イギリスの経済学者で、新古典派経済学の基礎を築きました。彼はケンブリッジ大学の教授として「ケンブリッジ学派」を創設し、ケインズやピグーなどの優秀な人材を育てました。彼の主著『経済学原理』は、需要と供給による価格決定のメカニズムや、価格弾力性やマーシャルのkなどの概念を提唱しました。彼は1842年に生まれ、1924年に亡くなりました。
・ジョン・メイナード・ケインズ
ジョン・メイナード・ケインズは、イギリスの経済学者で、ケインズ経済学の創始者です。彼は、大恐慌に対する解決策として、政府の積極的な財政政策と金融政策を提唱しました。彼は、有効需要の原理を提唱し、完全雇用に達するためには総需要管理が必要であると主張しました。彼は、1883年に生まれ、1946年に亡くなりました。
・ジョン・ケネス・ガルブレイズ
ジョン・ケネス・ガルブレイズは、カナダ出身の制度派経済学者で、ハーバード大学の名誉教授です。彼は、アメリカの経済社会に対する鋭い批判・批評を行い、多くの通俗的な著書を残しました。彼の最も有名な著書は、1958年に出版された『ゆたかな社会』で、消費者の欲望が自律的でなく、企業の働きかけによって喚起されるという「依存効果」を提唱しました。彼は、物質生産の持続的増大が経済的・社会的健全性の証であるという従来の考え方に疑問を投げかけ、公共事業や教育などの社会的投資の必要性を主張しました。彼は、1908年に生まれ、2006年に亡くなりました。
・フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク
フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクは、オーストリア・ウィーン生まれの経済学者で、哲学者です。オーストリア学派の代表的な学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、心理学にまで渡る多岐な業績を残しました。彼は、1974年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、自由市場と自発的秩序の重要性を強調し、社会主義や集産主義を批判しました。彼の代表作には、『隷属への道』『自由の条件』『法と立法と自由』などがあります。彼は、1899年に生まれ、1992年に亡くなりました。
・ラグナル・アントン・キティル・フリッシュ
ラグナル・アントン・キティル・フリッシュは、ノルウェーのオスロ出身の経済学者です。彼は、「計量経済学」という学問分野を創設し、この用語も彼が名付けました。また、マクロ経済学とミクロ経済学という二分法を考案したのも彼と言われています。彼は、時系列分析や線形回帰分析などの統計的手法を経済学に応用し、景気循環理論や生産理論などの研究を行いました。彼は、1969年にヤン・ティンバーゲンとともに世界最初のノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、1895年に生まれ、1973年に亡くなりました。
・ヤン・ティンバーゲン
ヤン・ティンバーゲンは、オランダのデン・ハーグ出身の経済学者です。彼は、計量経済学の分野で先駆的な研究を行い、国家規模のマクロ経済モデルを開発しました。彼は、景気循環理論や経済政策理論などの著作を発表しました。彼は、1969年にラグナル・フリッシュとともに世界最初のノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、1903年に生まれ、1994年に亡くなりました。
・サイモン・スミス・クズネッツ
サイモン・スミス・クズネッツは、アメリカの経済学者・統計学者です。彼は、1930年代にアメリカで、初めてGDPを把握する手法を開発しました。彼は、経済成長や所得分配に関する理論と実証研究を行い、1971年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、1901年にロシア帝国(現在のベラルーシ)のピンスクに生まれ、1985年にマサチューセッツ州のケンブリッジで亡くなりました。
・アルバート・アフタリオン
アルバート・アフタリオンは、フランスの経済学者です。彼は、ルーセ(ブルガリア)生まれで、リール大学やパリ大学の教授を務めました。彼は、景気理論と外国為替論の研究家であり、過剰投資説や為替心理説を提唱しました。彼は、1874年に生まれ、1956年に亡くなりました。
・カール・グスタフ・カッセル
カール・グスタフ・カッセルは、スウェーデンの経済学者です。彼は、ストックホルム大学の教授や国際連盟金融委員会の委員を務めました。彼は、希少性の原理によって相対価格を説いた社会経済の理論や、外国為替相場は各国の貨幣の購買力の比によって決まるとする購買力平価説を提唱しました。彼は、1866年にストックホルムに生まれ、1945年に亡くなりました。
・エドワード・チェンバレン
エドワード・チェンバレンは、アメリカの経済学者です。彼は、ハーバード大学の教授で、実験経済学の創始者とされます。彼は、独占的競争の理論を提唱し、市場の挙動が理論と異なり非合理的になることを実験によって示しました。彼は、1899年に生まれ、1967年に亡くなりました。
・ジョン・ハロルド・クラパム
ジョン・ハロルド・クラパムは、イギリスの経済史家です。彼は、ケンブリッジ大学の教授やイギリス経済史学会の会長を務めました。彼は、近代イギリス経済史やイングランド銀行史などの著作を発表しました。彼は、産業革命について、労働者の生活水準を引き上げたとする楽観説を主張し、統計的なデータを用いた数量的な方法を経済史研究に導入しました。彼は、1873年に生まれ、1946年に亡くなりました。
・ジョン・ロジャーズ・コモンズ
ジョン・ロジャーズ・コモンズは、アメリカの経済学者で、制度派経済学の創始者の一人です。彼は、労働史や経済思想史の研究にも貢献しました。彼は、価値の決定には集団的行動や制度が重要な役割を果たすと考え、適正価値論と呼ばれる新しい価値論を提唱しました。彼は、社会改良運動にも関わり、労働法や社会保障制度の立案にも寄与しました。彼は、1862年にオハイオ州で生まれ、1945年にフロリダ州で亡くなりました。
・アルヴィン・ハーヴィ・ハンセン
アルヴィン・ハーヴィ・ハンセンは、アメリカの経済学者で、ハーバード大学の教授でした。彼は、マクロ経済学の分野で活躍し、ケインズ経済学をアメリカに紹介しました。彼は、IS-LMモデル(ヒックス=ハンセン総合)や在庫循環モデルなどの理論的貢献をしました。彼は、財政政策や社会保障制度の立案にも関わりました 。彼は、1887年にサウスダコタ州で生まれ、1975年にバージニア州で亡くなりました。
・ジョーン・ロビンソン
ジョーン・ロビンソンは、イギリスの経済学者で、女性として初めてノーベル経済学賞の候補になった人物です。彼女は、不完全競争の理論やケインズ経済学の発展に貢献しました。彼女は、マルクス経済学や中国の文化大革命にも関心を持ち、独自の見解を示しました。彼女は、1903年にサリーで生まれ、1983年にケンブリッジで亡くなりました。
・ミハウ・カレツキ
ミハウ・カレツキは、ポーランドの経済学者で、ポスト・ケインズ派の一派とされるカレツキ派の創始者です。彼は、ケインズに先立って有効需要の原理を論証し、不完全競争経済の下での価格形成と所得分配、および景気循環と経済成長の仕組みを解明しました。彼は、1899年にロシア帝国のウッジに生まれ、1970年にポーランドのワルシャワで亡くなりました。
・ピエロ・スラッファ
ピエロ・スラッファは、イタリアの経済学者で、ネオリカーディアン学派の代表的な人物です。彼は、マーシャルの費用不変の理論を批判し、不完全競争における生産分析と価値理論を展開しました。彼は、1960年に『商品による商品の生産』という著書を出版し、古典派経済学の再構築と資本論争に大きな影響を与えました。彼は、1898年にイタリアのトリノに生まれ、1983年にイギリスのケンブリッジで亡くなりました。
・ニコライ・ドミートリエヴィチ・コンドラチエフ
ニコライ・ドミートリエヴィチ・コンドラチエフは、ロシアおよびソビエト連邦の経済学者で、資本主義経済には約50年の長期の景気循環(コンドラチエフ波)があるという理論を提唱した人物です。彼は、1892年にロシア帝国のコストロマ県に生まれ、1917年のロシア革命ではケレンスキー政権の食糧副大臣を務めました。ソビエト政権下では、モスクワの景気研究所の創立者・所長として活躍しましたが、スターリンの重工業化政策や集団農場制度に反対したために1930年に逮捕され、1938年に銃殺されました。彼の理論は、後にヨーゼフ・シュンペーターなどの経済学者に影響を与えました。
・エドウィン・セリグマン
エドウィン・セリグマンは、アメリカの経済学者で、税制や公共財政に関する研究で知られる人物です。彼は、1861年にニューヨークに生まれ、コロンビア大学で学びました。彼は、1885年から1931年まで同大学の経済学と財政学の教授を務め、多くの著書や論文を発表しました。彼は、累進的な所得税の原理を提唱し、第16修正条項の制定後に議会に採用されました。彼はまた、アメリカ経済学会やアメリカ大学教授協会の創設者であり、会長も務めました。彼は、1939年にニューヨーク州のレイクプラシッドで亡くなりました。
・ジェームズ・トービン
ジェームズ・トービンは、1918年から2002年にかけて活躍したアメリカの経済学者です。ケインズ経済学の代表的な研究者であり、1981年にノーベル経済学賞を受賞しました。トービンは、金融市場や投資に関する理論を多く提唱しました。代表的なものに、トービン税やトービンのq理論があります。
トービン税とは、短期的な通貨取引に課す小さな税金のことで、国際金融市場の安定化を目的としています。トービンは、1970年代の為替危機を受けて、このアイデアを提案しました。
トービンのq理論とは、企業の投資行動を分析する理論で、企業の価値と資本の再取得価格の比率(q)が投資の決定要因になると考えます。qが1より大きい場合、企業は投資を拡大し、qが1より小さい場合、企業は投資を縮小するという仮説です。
・アルバン・ウィリアム・フィリップス
アルバン・ウィリアム・フィリップスは、1914年から1975年にかけて活躍したニュージーランド生まれの経済学者です。ケインズ経済学の研究者であり、フィリップス曲線やMONIACという水力の経済学コンピュータを提唱・開発しました。
フィリップス曲線とは、失業率と名目賃金や物価の上昇率の間に負の相関があるという関係を表す曲線です。フィリップスは1958年にイギリスのデータを用いてこの関係を発見しました。後に、この関係は短期的なものであり、長期的には失業率と物価上昇率にトレードオフはないという批判がなされました。
MONIACとは、貨幣的国民所得自動計算機(Monetary National Income Automatic Computer)の略で、水の流れを用いて経済の動きをモデル化するアナログコンピュータです。フィリップスは1949年にLSEでこの装置を披露し、その後も改良を重ねました。
・ミルトン・フリードマン
ミルトン・フリードマンは、1912年から2006年にかけて活躍したアメリカの経済学者です。古典派経済学とマネタリズム、市場原理主義・金融資本主義を主張し、ケインズ的総需要管理政策を批判しました。新自由主義を代表する学者として位置づけられています。
新自由主義とは、政府が余計な介入をせず、市場に任せておくのが、経済にとって最も良いという考えです。フリードマンは、人々が徹底的に自由であるために、政府は国防と小さな政府の二つの原則を守るべきだと言いました。
マネタリズムとは、貨幣供給量と利子率によって景気循環が決定されるという考えです。フリードマンは、貨幣供給量の変動は長期的には物価にだけ影響して実物経済には影響は与えないとする見方であり(貨幣の中立性)、インフレーション抑制が求められる中で支持されました。
・フランコ・モディリアーニ
フランコ・モディリアーニは、1918年から2003年にかけて活躍したイタリア出身のアメリカの経済学者です。ネオケインズ経済学の代表的な学者で、1985年にノーベル経済学賞を受賞しました。
モディリアーニは、消費と貯蓄の関係について「ライフサイクル仮説」を提唱しました。これは、人々の消費はその時点での所得ではなく、生涯所得の予想に基づいて決まるという考えです。
モディリアーニは、マートン・ミラーとともに「モディリアーニ=ミラーの定理」を発表しました。これは、完全市場の下では、企業の資本構成や配当政策は企業価値に影響を与えないことを示すものです。
・モーリス・アレ
モーリス・アレは、1911年から2010年にかけて活躍したフランス出身の経済学者・物理学者です。1988年にノーベル経済学賞を受賞しました。
アレは、市場と資源の効率的な利用に関する理論の先駆者で、重複世代モデルや最適成長の黄金ルールなどを提唱しました。
アレは、確実性効果や可能性効果といった行動経済学の概念を発見し、「アレのパラドックス」と呼ばれる現象を実験で示しました。
アレは、物理学者としても活動し、「アレ効果」と呼ばれる振り子の異常な振動を観測し、エーテルという仮想的な物体の存在を主張しました 。
・オスカー・モルゲンシュタイン
オスカー・モルゲンシュタインは、1902年から1977年にかけて活躍したドイツ出身の経済学者です。1988年にノーベル経済学賞を受賞したジョン・フォン・ノイマンと共にゲーム理論を確立し、経済学に応用しました。
モルゲンシュタインは、オーストリア学派の中で育ち、完全予見を否定する論文を書きました。
モルゲンシュタインは、1944年にフォン・ノイマンと共著した『ゲームの理論と経済行動』で、協力ゲーム理論やフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン効用関数などを提唱しました。
・ポール・アンソニー・サミュエルソン
ポール・アンソニー・サミュエルソンは、1915年から2009年にかけて活躍したアメリカの経済学者です。1970年にノーベル経済学賞を受賞しました。
サミュエルソンは、消費者の選好順序を市場で観察可能な購入から引き出せるという「顕示選好理論」を提唱しました。
サミュエルソンは、ケインズ主義的介入と新古典派理論の関係性についての見解を示した「新古典派総合」を主張しました。
サミュエルソンは、国際貿易理論や公共財理論などでも重要な業績を残しました。
・トリグヴェ・ホーヴェルモ
トリグヴェ・ホーヴェルモは、1911年から1999年にかけて活躍したノルウェーの経済学者です。1989年にノーベル経済学賞を受賞しました。
ホーヴェルモは、経済学における因果推論の方法論を体系化し、反事実という概念を導入しました。
ホーヴェルモは、同時発生的経済構造の分析や均衡予算乗数の理論など、計量経済学やマクロ経済学の分野で重要な貢献をしました。
ホーヴェルモは、資本の理論や経済進化の理論など、多彩な研究業績を挙げました。
・ハーバード・アレクサンダー・サイモン
ハーバート・アレクサンダー・サイモンは、1916年から2001年にかけて活躍したアメリカの政治学者・認知心理学者・経営学者・情報科学者です。1978年にノーベル経済学賞を受賞しました。
サイモンは、経済的組織における意思決定プロセスの先駆的研究を行い、人間の限定合理性という概念を提唱しました。
サイモンは、人工知能のパイオニアでもあり、アレン・ニューウェルとともにLogic TheoristやGeneral Problem Solverなどの意思決定支援システムを開発しました。
サイモンは、心理学や情報学の領域を大きく広げ、人間の情報処理プロセスや複雑なシステムのモデル化に関する多くの貢献をしました。
・ジョン・リチャード・ニコラス・ストーン
ジョン・リチャード・ニコラス・ストーンは、1913年から1991年にかけて活躍したイギリスの経済学者です。1984年にノーベル経済学賞を受賞しました。
ストーンは、国民経済計算体系の開発に貢献し、産業連関表や国民所得勘定などの経済指標を統合、接続することにより、国民経済を体系的に記録するシステムを構築しました。
ストーンは、産業連関表における副産物処理の基本的ルール(ストーン方式)の考案者としても知られています。
ストーンは、経済学における測定の役割や投入・産出と国民勘定などの著書を残しました。
・ワシリー・ワシーリエヴィチ・レオンチェフ
ワシリー・ワシーリエヴィチ・レオンチェフは、1905年から1999年にかけて活躍したソビエト連邦出身のアメリカの経済学者です。1973年に投入産出分析(産業連関分析)の研究でノーベル経済学賞を受賞しました。
レオンチェフは、統計による需要供給曲線の導出や交易条件に対する予測の改良などの研究を行いました。
レオンチェフは、投入産出分析という手法を発展させ、重要な経済問題に応用しました。この手法は、各産業間の物的・金銭的な流れを表す産業連関表を用いて、国民経済の構造や影響を分析するものです。
レオンチェフは、米国が主に労働集約的に生産された財貨を輸出することを発見し、これをレオンチェフの逆説と呼びました。これは、資本に富む国である米国が高い資本濃度とともに財貨を輸出することから推論されるヘクシャー=オリーンの定理と矛盾するものでした。
・ローレンス・ロバート・クライン
ローレンス・ロバート・クラインは、1920年から2013年にかけて活躍したアメリカの経済学者です。1980年にマクロ計量経済予測モデルの開発と応用によりノーベル経済学賞を受賞しました。
クラインは、ケインズ経済学の理論と計量経済学の手法を結合し、アメリカやイギリスなどの国民経済の構造や動向を分析するモデルを構築しました。
クラインは、クライン・モデル、クライン=ゴールドバーガー・モデル、ウォートン・モデル、ブルッキングス・モデルなどのマクロ計量経済予測モデルを作成し、景気変動や経済政策の効果を予測しました。
クラインは、国際的なモデルの構築にも取り組み、国民経済モデルの国際連結モデル(LINK)を開発しました。また、日本やアジアのマクロ経済モデルにも協力しました。
・ジョージ・ジョセフ・スティグラー
ジョージ・ジョセフ・スティグラーは、1911年から1991年にかけて活躍したアメリカの経済学者です。1982年に産業組織論や市場と規制の関係に関する研究でノーベル経済学賞を受賞しました。
スティグラーは、シカゴ学派の一員として、市場構造の集中度が必ずしも市場の非効率性につながらないことや、あらゆる行動は合理的に選択されていることを示しました。
スティグラーは、規制が生産者の利益を保護するために変質してしまう現象(規制の虜)のメカニズムを明らかにし、市場構造に重点を置いた政策を支持しました。
スティグラーは、経済学史や情報の経済学などの分野にも貢献しました。また、アメリカ経済学会やモンペルラン・ソサエティーの会長を務めました。
・ウィリアム・アーサー・ルイス
ウィリアム・アーサー・ルイスは、1915年から1991年にかけて活躍したイギリスの開発経済学者です。1979年に発展途上国の経済発展に関する先駆的研究でノーベル経済学賞を受賞しました。
ルイスは、発展途上国の経済を資本家的部門(近代部門)と生存維持的部門(伝統的部門)とに分けて分析する二重経済モデルを構築しました。
ルイスは、先進国と発展途上国との間で取り交わされる取引条件の決定過程をモデル化し、農業部門の相対的な労働生産性によって取引条件が決まることを示しました。
ルイスは、世界経済史や国際経済秩序などの分野にも貢献しました。また、アメリカ経済学会や西インド諸島大学の会長を務めました。
・クライヴ・ウィリアム・ジョン・グレンジャー
クライヴ・ウィリアム・ジョン・グレンジャーは、1934年から2009年にかけて活躍したイギリスの経済学者、統計学者です。2003年に時系列分析の手法の確立でノーベル経済学賞を受賞しました。
グレンジャーは、見せかけの回帰やグレンジャー因果性という概念を提唱し、時系列データの相関や因果関係を検証する方法を開発しました。
グレンジャーは、共和分やフラクショナル・インテグレーションという概念を導入し、非定常な時系列データの分析に貢献しました。
グレンジャーは、金融経済学や商品価格予測などの分野にも研究を行いました。また、エラスムス・ロッテルダム大学やカリフォルニア大学サンディエゴ校などの教授を務めました。
・ウィリアム・スペンサー・ヴィックリー
ウィリアム・スペンサー・ヴィックリーは、1914年から1996年にかけて活躍したカナダ生まれのアメリカの経済学者です。1996年に情報の非対称性下におけるインセンティブに関する研究でノーベル経済学賞を受賞しました。
ヴィックリーは、ヴィックリー競売と呼ばれる最適な競売メカニズムを提案しました。これは、各入札者が自分の評価額を正直に申告することが支配戦略となるような競売です。
ヴィックリーは、収入同値定理や密集価格付けという概念を導入し、公共経済学の分野に貢献しました。収入同値定理とは、所得税の代わりに消費税を導入しても、所得分布や社会厚生に影響を与えないという定理です。
ヴィックリーは、交通渋滞や道路通行料金、電力料金などの公共政策に関する研究も行いました。また、コロンビア大学やシカゴ大学などの教授を務めました。
・レオニート・ヴィタリエヴィチ・カントロヴィチ
レオニート・ヴィタリエヴィチ・カントロヴィチは、1912年にサンクトペテルブルクで生まれたロシアの数学者・経済学者です。合板の生産計画や資源の最適配分に関する研究で先駆的な業績を残し、1949年にスターリン国家賞、1965年にレーニン賞、1975年にノーベル経済学賞を受賞しました。数学の分野では、相関分析、近似理論、演算子理論、変分法、偏微分方程式などの論文を発表しました。
・ジョン・リチャード・ヒックス
ジョン・リチャード・ヒックスは、1904年から1989年まで生きたイギリスの経済学者で、ミクロ経済学とマクロ経済学の両方に多大な貢献をしました。彼は一般均衡理論、資本理論、消費理論、成長理論、景気循環論などの分野で先駆的な研究を行いました。彼の最も有名な業績は、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』を体系化したIS-LM分析と、福祉比較に関するカルドア・ヒックス基準です。彼は1972年にアローとともにノーベル経済学賞を受賞しました。
・カール・グンナー・ミュルダール
カール・グンナー・ミュルダールは、1898年から1987年まで生きたスウェーデンの経済学者で、ストックホルム学派の代表的な論客でした。彼は貨幣理論や経済変動理論に関する先駆的な業績を残しましたが、それだけでなく、アメリカの黒人問題や低開発国の経済問題などにも幅広く関心を持ち、政治家や国連機関の委員としても活動しました。彼は1974年にフリードリヒ・ハイエクとともにノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の経済学は、価値判断から独立した客観的な科学にはなり得ないという見解に基づいています。彼は自らの価値前提を明示し、公の議論の対象にすることで、理論的分析を行うべきだと主張しました。彼は価値判断の階層性を認め、最上位に位置する価値は「平等」であるとしました。彼は自由競争や最適人口などの伝統的経済理論や概念に批判的であり、福祉国家や経済統合、政治的民主主義や機会均等などを目指すべきだと考えました。
・チャリング・チャールズ・クープマンズ
チャリング・クープマンスは、1910年から1985年まで生きたオランダの経済学者で、線形計画法を経済学に応用したアクティビティ分析の創始者の一人でした。彼は1975年に「資源の最適配分に関する理論への貢献」が称えられ、レオニード・カントロビッチとともにノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の主な業績としては、以下のようなものがあります。
アクティビティ分析を開発しました。これは、ある商品1単位を生産するために必要な各生産要素の技術的な組み合わせ(アクティビティ)を有限に想定し、線形計画法の理論を用いて最適な資源配分の条件を具体的に求める分析手法です¹²。
交通経済学に重点を置いた研究を行いました。これは、最適経路選択や交通量調整などの問題に対して数理的なモデルや解法を提供する分野です¹²。
動学経済学モデルにおける統計的推論や予測制御などの手法を発展させました。これらは、時系列データや動的システムの分析において重要な役割を果たしています¹²。
・セオドア・ウィリアム・シュルツ
セオドア・シュルツは、1902年から1998年まで生きたアメリカの経済学者で、農業経済学や開発経済学における学問的貢献で知られるシカゴ学派の一人でした。彼は1979年に「発展途上国問題の考察を通じた経済発展に関する先駆的研究」が称えられ、アーサー・ルイスとともにノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の主な業績としては、以下のようなものがあります。
人的資本論を提唱しました。これは、個人が持つ知識、技能、能力、資質などの付加価値を生み出す資本とみなし、教育や技能向上などの人的資本投資の重要性を指摘した理論です。
農業近代化戦略を支持しました。これは、発展途上国の農業生産性を向上させるために、新技術の導入や研究開発などの投資を促進する戦略です。この戦略は1970年代から本格的に導入された緑の革命と呼ばれる運動に影響を与えました。
家計理論・人口理論を発展させました。これは、家計や個人が経済的な意思決定を行う際に、人的資本や人口動態などの要因を考慮する理論です。この理論は、教育や健康、出生率などの非経済的収益にも注目しました。
・ジェラール・ドブリュー
ジェラール・ドブリューは、1921年から2004年まで生きたフランスの経済学者で、数理経済学全般、特に一般均衡理論の研究に関する数理経済学者の代表的人物でした。彼は1983年に「一般均衡理論の徹底的な改良と経済理論に新たな分析手法を組み込んだこと」が評価され、ノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の主な業績としては、以下のようなものがあります。
厚生経済学の基本定理の定式化と証明を行いました。これは、競争市場の均衡がパレート最適であることと、パレート最適な配分が適切な所得移転と競争市場の均衡によって実現できることを示した定理です。
競争市場の一般均衡解の存在証明を行いました。これは、ケネス・アローと共に、任意の有限個数の財と消費者が存在する場合に、市場需要関数が連続であれば、市場価格が存在して需要と供給が一致することを示した証明です。
効用関数の再現性に関する条件を与えました。これは、消費者の選好順序が連続で凸であれば、その選好順序を表現する効用関数が存在することを示した条件です。
コア収束定理を発表しました。これは、ハーバート・スカーフと共に、エージェント数が無限大に近づくときに、エッジワース・ボックス内のコア(パレート最適な配分の集合)が競争均衡解に収束することを示した定理です。
トポロジーや微分解析などの数学的手法を経済理論に導入しました。これは、財や価格を線形空間や双対空間として表現したり、不確実性や準均衡などの概念を定義したり、超過需要関数や市場需要関数などの性質を調べたりするために用いられた手法です。
・ジェームズ・マギル・ブキャナン・ジュニア
ジェームズ・マギル・ブキャナン・ジュニアは、1919年から2013年まで生きたアメリカの経済学者で、公共選択論を提唱したヴァージニア学派の中心人物のひとりでした。彼は1986年に「公共選択の理論における契約・憲法面での基礎を築いたこと」が評価され、ノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の主な業績としては、以下のようなものがあります。
財政理論―民主主義過程の財政学―を発表しました。これは、伝統的な財政理論が無視していた民主的な意思決定過程や制度的な要因を考慮に入れた理論です。この理論は、その後の公共選択論の発展に大きく寄与しました 。
公共選択の理論―合意の経済論理―を発表しました。これは、ゴードン・タロックと共に、政治的な意思決定や集団行動を経済学的な分析によって説明しようとした理論です。この理論は、政治経済学や憲法経済学の分野に新しい視点をもたらしました 。
赤字財政の政治経済学―ケインズの政治的遺産―を発表しました。これは、リチャード・E・ワーグナーと共に、ケインズ的財政政策が民主主義社会においてどのような問題を引き起こすかを分析した研究です。この研究は、政府や政治家が人気取りの支出政策に走りやすく、一方で選挙民もその税負担を意識しないため、財政赤字が慢性化することを指摘しました 。
・ロナルド・ハリー・コース
ロナルド・ハリー・コースは、1910年から2013年まで生きたイギリス生まれのアメリカの経済学者で、新制度派経済学の創始者のひとりでした¹。彼は1991年に「制度上の構造と経済機能における取引コストと財産権の発見と明確化を称えて」ノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の主な業績としては、以下のようなものがあります。
企業の性質を発表しました。これは、企業が存在する理由を取引コストの観点から説明した画期的な論文です。この論文では、市場取引には情報収集や契約交渉などのコストがかかるため、それらを内部化することでコストを節約できる企業が生まれると主張しました 。
社会的費用の問題を発表しました。これは、外部性が存在する場合における最適な資源配分を分析した論文です。この論文では、取引コストがゼロであれば、外部性の出し手と受け手との間で交渉が行われれば、それが理想的な形で機能する限り、授権のあり方に関わらず、常にパレート効率的な資源配分を実現するという「コースの定理」を提唱しました 。
耐久消費財と独占を発表しました。これは、耐久消費財市場における独占企業の市場支配力の問題を扱った論文です。この論文では、耐久消費財の供給者は将来価格を下げる可能性があるため、現在価格を高く設定することができないという「コースの推論」を示しました 。
・ゲーリー・スタンリー・ベッカー
ゲーリー・スタンリー・ベッカーは、1930年から2014年まで生きたアメリカの経済学者・社会学者で、シカゴ学派の第3世代のリーダーでした。彼は1992年に「非市場における行動を含めた広範にわたる人の行動と相互作用のミクロ経済学分析の応用を称えて」ノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の主な業績としては、以下のようなものがあります。
人的資本を発表しました。これは、教育や訓練を通して高めることができる人間個人の能力を指す概念で、経済成長や所得格差などに大きな影響を与えると主張した論文です。
家族行動の経済学的アプローチを発表しました。これは、家族内の意思決定や出生率、結婚率などを合理的選択理論や人的資本理論で分析した論文です。
差別の経済学を発表しました。これは、人種や性別などに基づく差別が市場や社会にどのような影響を及ぼすかを分析した論文です。
犯罪と罰を発表しました。これは、犯罪行為や刑罰制度を合理的選択理論で分析し、犯罪率や再犯率などに関する政策提言を行った論文です。
・ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニア
ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアは、1928年から2015年まで生きたアメリカの数学者・経済学者で、ゲーム理論、微分幾何学、偏微分方程式で著名な業績を残しました。彼は1994年に「非協力ゲームの均衡の分析に関する理論の開拓を称えて」ノーベル経済学賞を受賞しました。また、2015年に「非線形偏微分方程式論とその幾何解析への応用に関する貢献により」アーベル賞を受賞しました。
彼の主な業績としては、以下のようなものがあります。
ナッシュ均衡を発表しました。これは、非協力ゲームにおいて、どのプレイヤーも自分の戦略を変えることで利益を得られない状態を指す概念で、経済学や政治学などに広く応用されるようになりました。
ナッシュ埋め込み定理を発表しました。これは、任意のリーマン多様体があるユークリッド空間にC1級同相写像で埋め込めることを示した定理で、微分幾何学や偏微分方程式の研究に大きな影響を与えました。
ナッシュ・モーザー定理を発表しました。これは、解析的なデータから解析的な解が存在することを示した定理で、非線形偏微分方程式や可積分系の研究に重要な役割を果たしました。
彼の人生は波乱万丈でした。1959年から統合失調症を患い、精神病院に入退院しながらも研究を続けました。1970年代から徐々に回復し、1990年代には完全に寛解しました。彼は妻アリシアと離婚した後も彼女の支えを受け、2001年に再婚しました。2015年5月23日、アーベル賞授賞式から帰る途中、交通事故で妻とともに亡くなりました。
・ポール・クルーグマン
ポール・クルーグマンは、1953年にアメリカのニューヨーク州で生まれた経済学者・コラムニストです。ニューヨーク市立大学大学院センターの教授で、2008年に「貿易パターンと経済活動の立地に関する分析」によりノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の主な業績としては、以下のようなものがあります。
新貿易理論を提唱しました。これは、規模による収穫逓増や産業集積などを考慮した国際貿易理論で、比較優位だけでは説明できない現実の貿易パターンを分析しました。
経済地理学を発展させました。これは、国内の産業や人口の空間的分布に関する理論で、貿易や移動コスト、外部性などの要因がどのように経済活動の立地を決定するかを研究しました。
流動性の罠やインフレターゲットなどのマクロ経済政策に関する論文を多数執筆しました。これらは、金融政策や財政政策が不況やデフレに対してどのように効果的に働くかを議論しました。
彼はまた、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストとしても有名で、リベラル派の立場から保守派や権力者に対して批判的な意見を述べています 。彼はSFファンでもあり、アイザック・アシモフの「銀河帝国の興亡」に登場する心理歴史学者ハリ・セルダンに憧れたことが、経済学者になる動機になったと語っています 。
・アマンティア・セン
アマルティア・センは、1933年にインドのベンガル地方(現在の西ベンガル州)で生まれた経済学者・哲学者です。1998年に「厚生経済学への貢献」によりノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の主な業績としては、以下のようなものがあります。
潜在能力アプローチを提唱しました。これは、人間の福祉や自由を、所得や消費ではなく、人間が実現できる様々な機能や可能性(潜在能力)として評価する理論です。
飢饉と権原理論を発展させました。これは、飢饉が発生する原因を、食料不足ではなく、人々が食料を入手するための権利や資源(権原)の喪失に求める理論です。
社会的選択理論や倫理学に関する論文を多数執筆しました。これらは、社会的な決定や正義の基準をどのように設定するかを議論しました。
彼はまた、インドの文民に与えられる最高の賞であるバーラト・ラトナ賞やドイツ書籍協会平和賞など、多くの栄誉や受賞も受けています。彼は現在、ハーバード大学の教授として活動しています。
・デイビッド・ハーヴェイ
デイビッド・ハーヴェイは、イギリスの地理学者で、人文地理学・社会理論・政治経済学・批判地理学の専門家です。マルクス主義を地理学に応用した批判地理学の第一人者で、資本主義の危機や不平等に関する多くの著作を発表しています。彼はまた、マルクスの『資本論』を読み解くことにも情熱を注いでおり、その講義はYouTubeで公開されています。彼は多くの賞や名誉博士号を受けており、世界で最も引用される地理学者の一人です。
・ロバート・ソロー
ロバート・ソローは、1924年にニューヨークで生まれた経済学者です。マサチューセッツ工科大学の教授として、ポール・サミュエルソンと共に戦後の経済学の主流を築きました。彼は経済成長理論において、資本と労働だけでなく技術進歩も重要な要因であることを示し、ソロー・スワンモデルと呼ばれる新古典派成長モデルを提唱しました。この業績により、1987年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼はまた、マクロ経済学や計量経済学の分野でも多くの貢献をし、世界で最も影響力のある経済学者の一人とされています。
・ダニエル・カーネマン
ダニエル・カーネマンは、1934年にイスラエルのテルアビブで生まれた心理学者で、行動経済学の創始者として知られています。彼は判断や意思決定の心理学に関する研究で、2002年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼は認知バイアスやプロスペクト理論などの概念を提唱し、人間の合理性や幸福について新しい視点を提供しました。彼の代表作には、『ファスト&スロー』や『NOISE 組織はなぜ判断を誤るのか?』などがあります。彼は現在、プリンストン大学の名誉教授として活動しています。
・ウィリアム・ダブニー・ノードハウス
ウィリアム・ダブニー・ノードハウスは、1941年にアメリカのニューメキシコ州で生まれた経済学者で、気候変動の経済学に関する研究で、2018年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼はイェール大学の教授で、ポール・サミュエルソンと共著した『サムエルソン経済学』などの著書があります。彼は気候変動の影響を経済的に評価するための統合評価モデル(IAM)という手法を開発し、その代表例であるDICEモデル(Dynamic Integrated Climate-Economy model)を作りました。このモデルは、気候変動による損失と温室効果ガスの削減にかかる費用をバランスさせる最適な政策を導出することができます。
・エドマンド・ストロザー・フェルプス
エドマンド・ストロザー・フェルプスは、1933年にアメリカのイリノイ州で生まれた経済学者で、マクロ経済学のミクロ基礎や自然失業率などの概念を提唱し、2006年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼はコロンビア大学の教授で、ポール・サミュエルソンと共著した『サムエルソン経済学』などの著書があります。彼はインフレ率と失業率との関係について論理的な分析を行い、スタグフレーションや黄金律貯蓄率などの問題にも取り組みました。彼は現在も研究活動を続けており、資本主義と社会についての考察を発表しています。
・ロバート・エマーソン・ボブ・ルーカス・ジュニア
ロバート・エマーソン・ボブ・ルーカス・ジュニアは、1937年にアメリカのワシントン州で生まれた経済学者で、新古典派マクロ経済学の中心的な人物として、1995年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼はシカゴ大学の教授で、合理的期待仮説やルーカスの批判などの概念を提唱し、1970年代以降の財政・金融政策などマクロ経済理論に大きな影響を与えました。彼は資本蓄積に関するルーカス-ウザワ・モデルやルーカスパラドックスも提唱しました。彼は現在も研究活動を続けており、グローバリゼーションや経済成長についての考察を発表しています。
・ロバート・アレクサンダー・マンデル
ロバート・アレクサンダー・マンデルは、カナダ人の経済学者で、コロンビア大学の教授でした。1999年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、最適通貨圏理論やマンデル・フレミング・モデルなどの貨幣経済学や国際経済学の分野で重要な貢献をしました。彼はまた、ユーロの創設に影響を与えたとして「ユーロの父」と呼ばれることもあります。彼は2021年4月4日にイタリアで死去しました。
・ジェームズ・ジョセフ・ヘックマン
ジェームズ・ジョセフ・ヘックマンは、アメリカの経済学者で、シカゴ大学の教授です。2000年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、労働経済学や計量経済学の分野で、個人や家計の消費行動を統計的に分析する理論と手法を発展させました。彼はまた、幼児教育の重要性や格差是正のための政策提言などにも関心を持っています。
・ヴァーノン・ロマックス・スミス
ヴァーノン・ロマックス・スミスは、アメリカの経済学者で、チャップマン大学の教授です。2002年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、実験経済学の父と呼ばれるほど、実験室の中で経済理論を検証する方法論を確立しました。彼はまた、行動経済学や資源経済学の研究も行っています。
・ロバート・ジョン・オーマン
ロバート・ジョン・オーマンは、アメリカとイスラエルの二重国籍を持つ数学者・経済学者で、ヘブライ大学の合理性研究所で勤務しています。2005年にトーマス・シェリングとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、ゲーム理論の分析を冷戦下の安全保障やアラブ・イスラエル紛争に応用し、対立と協力の理解を深めました。彼はまた、ベイジアンゲームの相関均衡を定義したことで知られています。
・エリノア・オストロム
エリノア・オストロムは、アメリカの政治学者・経済学者で、インディアナ大学の教授でした。2009年にオリバー・ウィリアムソンとともにノーベル経済学賞を受賞しました。女性初のノーベル経済学賞受賞者です。彼女は、共有資源(コモンズ)の管理に関する研究で知られています。彼女は、共有資源を効率的に管理するためには、政府や市場ではなく、コミュニティが自主的にルールを作り、監視し、制裁し、紛争を解決することが必要だと主張しました。彼女は、世界中の様々なコモンズの事例を分析し、共有資源の維持に不可欠な8つの設計原理を示しました。
・オリヴァー・イートン・ウィリアムソン
オリヴァー・イートン・ウィリアムソンは、アメリカの経済学者で、カリフォルニア大学バークレー校の教授でした。2009年にエリノア・オストロムとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、取引費用経済学の権威であり、市場と企業組織の関係や、企業の内部構造や契約形態に関する理論を発展させました。彼は、人間は限定合理的で機会主義的な性格を持ち、市場で取引する際には相互に駆け引きが起こり、取引コストが発生すると仮定しました。彼は、取引コストを節約するために組織が形成されると考え、組織のデザインや制度の変化を分析しました。
・トーマス・シェリング
トーマス・シェリングは、アメリカの経済学者・政治学者で、ゲーム理論の分析を通じて対立と協力の理解を深めたことで知られています。2005年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、紛争や交渉の状況における戦略的行動やコミットメント、フォーカルポイントなどの概念を提唱しました。彼はまた、人間のミクロな動機がマクロな行動やパターンにどのように影響するかを分析しました。彼は、住み分けや気候変動、核抑止などの社会的問題にも関心を持ち、多くの著書や論文を発表しました。
・ダニエル・リトル・マクファデン
ダニエル・リトル・マクファデンは、アメリカの計量経済学者で、現在南カリフォルニア大学の教授です。2000年にジェームズ・ヘックマンとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、離散選択分析理論とその計算手法の開発によって、個人や家計の消費行動を統計的に分析する方法を提供しました。彼はまた、エネルギー需要や環境問題などの応用分野にも貢献しました。彼は、1975年にジョン・ベイツ・クラーク賞や1986年にフリッシュ賞など、多くの栄誉や受賞を受けました。
・ロバート・フライ・エングル
ロバート・フライ・エングルは、アメリカの経済学者で、現在ニューヨーク大学の教授です。2003年にクライヴ・グレンジャーとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、時系列分析手法の確立によって、金融市場や金利などの不安定な動きを予測する方法を提供しました。彼は、ARCHモデルや共和分などの統計モデルを考案し、現代の価格理論やリスクマネジメントに貢献しました。彼は、1986年にフリッシュ賞や2000年にアーウィン・プレイン・ネンマーズ経済学賞など、多くの栄誉や受賞を受けました。
・ダグラス・セシル・ノース
ダグラス・セシル・ノースは、アメリカの経済学者で、新制度派経済学を代表する人物です。1993年にロバート・フォーゲルとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、経済史に経済理論や数量分析を導入し、経済と制度の変化に関する理論的かつ実証的な研究を行いました。彼は、所有権理論や歴史的過程における経済成長の分析などで知られています。彼は、ワシントン大学やスタンフォード大学などで教鞭をとりました。
・ロバート・ウィリアム・フォーゲル
ロバート・ウィリアム・フォーゲルは、アメリカの経済学者で、数量経済史(Cliometrics)と呼ばれる手法で経済史の研究に貢献しました。1993年にダグラス・ノースとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、アメリカの奴隷制度や鉄道の経済的影響などについて、経済理論や数量分析を用いて詳細な検証を行いました。彼は、シカゴ大学やハーバード大学などで教鞭をとりました。
・ジェームズ・アレキサンダー・マーリーズ
ジェームズ・アレキサンダー・マーリーズは、スコットランドの経済学者で、情報の非対称性の下での経済的誘因の理論に基礎的な貢献をしました。1996年にウィリアム・ヴィックリーとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、最適所得税率や最適貯蓄率などについて、経済理論や数量分析を用いて詳細な検証を行いました。彼は、ケンブリッジ大学やオクスフォード大学などで教鞭をとりました。
・ウィリアム・フォーサイス・シャープ
ウィリアム・フォーサイス・シャープは、アメリカの経済学者で、資産運用の安全性を高めるための一般理論形成に貢献しました。1990年にハリー・マーコウィッツとマートン・ミラーとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、資本資産価格モデルやシャープ・レシオなどの金融工学の基礎を築きました。彼は、スタンフォード大学やカリフォルニア大学などで教鞭をとりました。現在はウィリアム・F・シャープ・アソシエーツの代表を務めています。
・ジョージ・アーサー・アカロフ
ジョージ・アーサー・アカロフは、アメリカの経済学者で、情報の非対称性を伴った市場分析に貢献しました。2001年にマイケル・スペンスとジョセフ・E・スティグリッツとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、レモン市場や効率賃金などの概念を提唱しました。彼は、カリフォルニア大学バークレー校やジョージタウン大学などで教鞭をとりました。現在はブルッキングス研究所のシニアフェローを務めています。
・ジョセフ・ユージン・スティグリッツ
ジョセフ・ユージン・スティグリッツは、アメリカの経済学者で、コロンビア大学の教授です。2001年にジョージ・アカロフとマイケル・スペンスとともにノーベル経済学賞を受賞しました。彼は、情報の非対称性や市場の失敗に関する研究で知られています。彼は、クリントン政権で大統領経済諮問委員会の委員長や世界銀行のチーフエコノミストを務めたこともあります。彼は、グローバリゼーションや金融危機に対する批判的な見解を多くの著書で展開しています。