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産みの苦しみ、産みの喜び。そういう話。

 ちょっとした小話のつもりで書き始めた話が案外長くなったりするの、割とあるあるなんですが創作者の皆様如何でしょうか?

私は小説を書く時プロットを作らない派なので、元々あまり長いお話は書かないのですが、最近はそれがちょっと変わってきたように思います。と言っても、掌編より短編が書きやすくなった、とかその程度の変化なんだけど、書いている時に筆があまり立ち止まらない感覚があって、それが私にとっての『書きやすさ』なんだろうなぁ …… ってことを実感していたりする。

私は長いこと執筆スランプでした。それこそ数年単位で。全く書けない訳じゃないけど、納得いくものが書けない。そんな感じ。執筆スランプ期間中は、野球でいうところのイップスみたいな感じだったんだけど、本当に何も思い浮かばなくて文章を何となく書いては消して、を繰り返していた。特にきっかけとなるような、トラウマになるような何かがあった訳じゃなく、枯渇して何もない。みたいな感覚だった。丁度その頃二次創作のジャンルを移動する過渡期みたいな感じだったし、初めての小説本を作った後でもあったから、燃え尽き症候群みたいなものかな?とか思いながら小説を書くのから少し遠ざかっていたりもしました。

短い文章を書けなくはなかったから、SSを書いたり、短歌を詠んだりすることはあったけど、自分の中で『もう小説は書けないのかもしれない』という感覚があったので、どれも兎に角中途半端だった。なんかこう …… 座りが悪いというか、精彩を欠くというか、しっくりこない。納得がいかない感じ。表に出さずに消したものも結構あった。

調子よく書いていた時期の文章が私にとって『小説を書く』ということだったから、あの頃の小説はもう書けないのかな?とちょっとしょんぼりとした気持ちと、書けないものはしゃーない!という開き直りの気持ちで、まぁ今書ける(描ける)ものを、って感じで創作自体はコンスタントに続けていました。比率的には絵が一番多く占めていたかな?文章は不快にならない程度にそこそこ。

そうやって数年の期間を過ごして、本当につい最近、急にそのスランプを脱する瞬間があった。何となく視界が開けて解像度が高くなって、文章がすらすらと形に出来るようになった。好きだった頃の自分の文章とは違うけど、座りは悪くなくてそれなりにしっくりくる感じ。小説を書いてる!っていう感覚。『あれ?スムーズに書けるぞ?書いてるぞ?』となった。本当に不思議。相変わらずプロットは作らないんだけど、頭の中のイメージを引き出しやすくなっていて文章化する時に、手が止まらなくなった。それまで苦戦して書いていた文字数があっさりと書けるようになったし、物語の全体像が見通しやすくなった。

これを書いて、次はこれを書いて、そうしたら物語の結末に辿り着けるな、っていう全体の流れが見えるようになったというか …… 文字通り、物語の解像度が上がった感覚なんです。自分の中にあるものが、想起しやすくなった。

それがすごく気持ちいい。

物語を進めることが億劫じゃなくなったことは、自分の中でとても大きな収穫だなって思う。

 なんで物語の解像度が高まったのかな?と考えたんだけど、結局明確な答えは分からないままです。

スランプに関しては、何となく思い当たる原因が二つあるなって自己分析しています。当時書きたいと思ったものを書き切ったこと。また、その当時の筆力では到底書けないだろう物語を形にしようとして壁に打ち当たったこと。それが書けなくなった総合的な原因なのかな?と今はちょっと思ってます。(結末まで書けなくて放置しているお話はまさにそんな感じだったので …… )

『書きたいのに書けない』って、結局は没頭するほど書きたいものが自分の中にはないってことなのかな?と思うし、または書きたいけどスキル上書けないジレンマによる焦燥感なのかな?とも思いました。

私の場合はこの二つが同時に押し寄せてきた。

絵に関しては経験値があるから、スキル上描けないものは無意識に回避するんだけど、小説や文章に関しては絵ほどの経験値がないから、回避が難しいのかもしれない、とも思いました。だからガクッと崩れて立て直せなかった。

ーー 改めて創作って難しい。まさに地獄のような産みの苦しみ。

 最近になってまた書けるようになったのは、書きたい物語にまた打ち当たったことと、少しだけスキルアップして今まで書けなかった描写が書けるようになったこと、が作用起点になっているのかな?と勝手に思っています。

文章の成長って絵ほど分かりやすくはないので、ここに来て急に、今までインプットしていた貯金が結実したのかな?とふと考えた。というか、それを実感して困惑しているというか …… 本当に、自分では説明が難しい不思議な感覚なんです。語彙力が足りない。

小説を書くタイプには映像派と文字派が居て、私は間違いなく前者です。浮かんでくるイメージが強固なほど書きやすい。書きたい物語のビジョンがクリアなほど、スラスラと書ける。逆にそのイメージが不鮮明だと全然書けないので、ある意味分かりやすいタイプなんですが(だからどちらかというと二次創作の方が、小説は書きやすい)今書いている物語はそのビジョンが本当に悔しいくらいに鮮やかで、イメージを掴みやすい。その鋭い感覚が、スランプから脱する勢いになったのかな?と改めて思いました。

ーー 今書いているのは友人の一次創作の漫画のキャラクターたちの二次創作の小説です。

 元々私はこのお話とキャラクターたちの大ファンで、友人にファンアートを描いて贈ったりしていたのですが、その時はまだこのお話の二次創作の小説を書くとは全然思ってもいなかったのです。

本当に不思議な巡り合わせ。

本当に偶々、お互いの創作の話になり、その派生で色んなストーリーが広がっていって、その物語の広がりが本当に楽しくて、久しぶりに物語の中にのめり込んでいきました。友人は物語の設定からお話を広げていくのがとても上手で、(私はこれが途轍もなく苦手)物語のイメージがすごく鮮明にビジョンとして浮かび上がってくるのです。

それこそ『これを小説で書いてみたい!』と思い立つほどに。本編のif、派生の物語を私は『書いてみたい!書かせてほしい』と、友人に思わずお願いしてしまった。

 友人はそれを快諾してくれて、二人でキャラクターや設定をひとつずつ詰めながら小説を書き起こしていくことになりました。キャラクターにブレがないか?物語の展開に齟齬はないか?二人で解釈を擦り合わせていく作業が本当に楽しくて、小説を書くのってやっぱり楽しいな、っていうのをようやく思い出すことが出来た。

ーー そんなこんなで今に至ります。

友人と二人で擦り合わせながら書いているこのお話も、いよいよ折り返し地点。こんなに長いお話を書くのは私史上初めてなので、物語がどう着地するのかは正直まだ分かりません。朧気に見えているそれを、今はまさに引っ張って捕まえようとしている最中です。しっかりとキャラクターたちの心情に寄り添いながら、この物語に了を結びたいな、と思う。

私は私をスランプから引き上げてくれたこの物語とキャラクターたちを生涯忘れないんじゃないかな?って思っています。そのくらいに特別で、愛しいキャラクターたちなんです。

本当にありがとう!この物語とキャラクターを産んでくれた友人に、感謝感謝です。創作者ってキャラクターたちにとってはまさに神のような、親のような存在だよなって、創作の当たり前を実感しています。

創作って産み出すってことなんだよね。本当に不思議だな。

ーー 私は今日も携帯片手に、四苦八苦しつつ、小説という名の文章をゆるっとしたためています。

親愛なる物語への愛を叫びつつ。

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