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音楽の話


 私は音楽が好きなんだなぁって最近しみじみ思ってる。楽器を演奏したり歌をうたったり、発信する側の人間にはなれないけど音楽を聞くのは好きだ。専門的な知識があるわけじゃないし音楽のこういうところが好きなんだ、と言語化できるほど詳しくもないけど、それでも好きだ。

気持ちが沈んでいて浮上出来ない時やモヤモヤとした消化出来ない気持ちを抱えている時やしんどくて目に入る情報をシャットダウンしたい時、心を奮い立たせたい時に私は私だけのために作ったプレイリストに入った曲を聞く。受動的に入ってくる音やリズムや声や言葉が私の心を楽にしてくれる。そういう楽しみ方だ。音楽が私の抱える問題の根本を解決してくれる訳じゃない。最終的に問題を解決するのは自分の力だと思ってる。でも折れないように、倒れないように、踏ん張るためのパワーが私には必要で、それを補ってくれる一部分が歌であり音楽なんじゃないか、と今しみじみと思ってる。

最近気持ちが沈むことが殊更多い。どうしようもない遣る瀬なさや心許なさに泣きたくなってしまう。そんな私を引き上げてくれる歌声があって、本当によかったなぁって心から思う。

歌を聞いて、音を聞いて、泣きそうになることって本当にあるんだなって日々実感している。じわじわと迫り上がってくる感情に頭から浸かる。余計なことを考えなくて済むのがひどく楽だ。それに救われている。私の脳味噌はある意味お手軽に出来ているので、今の自分を肯定してくれる歌詞を歌の中から勝手に拾ってくれる。自分で自分を掬い上げる儀式のようだと思う。同じ歌を何度も何度もリピートして過ごすことだって結構ある。周囲の人は『同じ曲ばかり聞いて飽きないの?』って不思議に思うかもしれない。でも私にとっては割と普通だ。

そうやってバラバラになりそうな心を音楽を聞くことで継ぎ接ぎして、組み立て直しているんだろうと勝手に思っている。漫画や小説を読むのがしんどくて駄目な時も音楽は案外大丈夫で、私はそれに救われている。

最近ずっと聞いているのが星野源さんの歌だ。彼の奏でる音楽のテンポやリズム、メロディラインはとても心地よい。耳に栄養が行き渡るような快感がある。歌声は優しくて気持ちよくて、子供みたいに満たされて泣きたくなる瞬間がある。彼の創り上げた言葉の世界は厳しくて重たくて独特の暗さがあるのに、同時に底抜けに明るい優しさがあって、聞いていると赦されたような心地になる。生きにくくても生きていていいんだと肯定されているような気分になって、気持ちがすごく楽になる。すごく好きだ。

星野源さんは自身の書いたエッセイで『音楽で世界は変えられない』と言っている。でも『音楽でたった一人の人間は変えられるかもしれないと思う』と言っていた。そして『音楽でたった一人の人間の心を支えられるかもしれないと思う』とも言っていた。私はそれだけで泣けてきた。彼の奏でる音楽や歌声に支えられている実感があるからだと思う。

 私は駄目な自分を変えられないことにいつも罪悪感を抱いている。『駄目だと分かっているのに何故変えられないの?何故同じことを繰り返すの?』と叱責されても、私はそんな自分をやっぱり変えられない。『そんなこと自分が一番分かっているわ!でもどうしても駄目なものは駄目なんじゃ!』と心の中で吠えている。情けなくていい歳した大人なのにあられもなく泣いちゃうことだってある。そんな私のバラバラになりそうな心を音楽はきっと支えてくれているし、音楽を聞いているわずかな時間だけは救われている。

だから私は音楽が好きだし、今日も私だけの特別なプレイリストをオールリピートしている。

少しでいいからマシな自分になれるように、バラバラになりそうな心を繋ぎ止めるように音楽を聞いている。

ああ、音楽っていいなぁ。

(了)

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