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自由な人

毎月25日に当たり前のように給与が振り込まれる生活を捨てて、もうすぐ三ヶ月が経つ。

当たり前なことを当たり前じゃないと気づくのは難しい。

「そうか、25日になっても給料が入らないんだ」

そんなことすら後から気づき、困ったことのなかった毎月の固定費の支払いもタイミングが合わなくて、いちいちどこかから引っ張ってきたりして、まあお金のことはいろいろある。


悪いことばかりじゃない。

自由になってしばらくして、ハローワークに向かった。縁のなかった昼間の大森駅。あまり入る気にならない飲食店の並んだ、通行人が多くて狭い駅前商店街を歩いた。

不思議と、大げさながら、世界が輝いて見えた。

私が毎日たった一箇所で働いている間も、世界はこんなに活動していたんだ。こんなにたくさんの人が昼間から行動していたんだ……。

小さな個人事務所で働いていた自分にとっては、それすらも幸福な未来との出会いに思えた。


明確なビジョンがあったわけじゃない。

大企業に転職して、安定を得るために何かを捨てるか。

中小企業に転職して、何かしらのやりがいとそこそこの安定を得るか。

また同じような場所で働くのか(いったいどこで?)。

独立、というのは無理だと思っていた。自分にはそんな能力もセンスも度胸もやる気も何一つないと思っていた。

何も決まらないままに辞めた。私は先のことを見通すのが苦手な性格なので、辞めてから考えるしかないさ、と楽観視していた。


で、辞めてみると、本当に考えなくてよかったな。いや考えても無駄だったな。と思った。

世界は広い。私は自由だ。

などという気分になってしまった。


「建築をやるんだろうな、やっぱり。文章を書くったって今さら方向転換してうまくいくかわかんないし」

と、辞める前は思っていた。

けれど、辞めてみればそんなAかBかCか選べなんて状況でもない気がしてきた。

こんなに自由なのだから、やりたいことをやりたいだけやればいいじゃん。

そういう気分になってしまった。

設計もやって、勉強もして、文章も書いて、旅行もして、写真も撮ればいいじゃん。

私はすっかり、自由に魅了された。


いいことばかりじゃないのは当たり前なのだけど、でも、はみ出したこちら側がこんなにも多種多様な人がいて広くて広くて広い世界なんだということを知れた。

自由な人、という生き方もあるらしい。



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