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「そして自分はなんという素晴しい世界の中に生きているのだろうと思った」
Twitterが流行り始めたのは確か私がまだ大学生だった頃なので、10年ほど前だろうか。
記憶では、数あるSNSの中でも日本で最初に広くヒットしたのはTwitterだったと思う(mixiを除いて)。その後FacebookやInstagramへと時代は続いていった。
10年前はまだSNSとのうまいつき合い方なんて誰も知らなかった。そんな概念も特になかった。
SNS上の言葉がずっと消えないということも、よくわかっていなかった。
ネガティブな思考をどんどん書いたりもした。
別に書いたっていい。けれど、そのせいで後から居たたまれなくなったり良くない結果になることを知らず、全くコントロールできていなかった気がする。
あれから10年たって、ネットリテラシーみたいなものがだいぶ発達したように思う。他人との関わりについてだけでなく、自分自身のために「SNSとどうつき合うか考えなきゃ」という感覚はみんな持っているんじゃないだろうか。
マイナスな言葉を書きたいときは今でもある。すごく落ち込んだときや、すごく腹が立ったときに、吐き出してしまいたいと思う。
でもたぶん、SNSの言葉は時に強すぎる。
直子への手紙の中で僕は素敵なことや気持の良いことや美しいもののことしか書かなかった。草の香り、心地の良い春の風、月の光、観た映画、好きな唄、感銘を受けた本、そんなものについて書いた。そんな手紙を読みかえしてみると、僕自身が慰められた。そして自分はなんという素晴しい世界の中に生きているのだろうと思った。僕はそんな手紙を何通も書いた。
― 出典: ノルウェイの森 下 (講談社文庫) 村上春樹 [218ページ] より
素敵なこと、気持ちのよいこと、美しいこと。
それだけを書き続けるのは嘘くさいし面白みがないかもしれない。リアリティがない、盛ってるだけと思われるかもしれない。
でも私はそうすることで、自分が素晴しい世界に生きていると実感したい。自分が素敵な経験をしてきて、これからもそういう人生の希望があると思っていたい。
だから、美しい言葉と美しい写真をたくさん並べたいと思った。
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