夜の子どもと窓
一番古い記憶は,窓から見る雨の景色だ。
すりガラスの向こうにぼやけて見えるのは,湿った夜の空と窓に当たる雨粒,そして,等間隔で妙にきれいに揺らめく街灯の光だった。
分厚いえんじ色のカーテンと,かび臭いレースのカーテンを順番にくぐり,僕は窓の前に立つ。雨の匂いに惹かれて顔を寄せると,鼻がガラスにくっついて,ひやり,とする。
とても悪いことをしているような,それでいて誇らしいような気持ちで,僕はぼやぼやした空と田舎をひっそりと見つめていたのだった。
地方都市近郊の,しかしそれにしては驚くほど長閑な町に,3歳の僕は暮らしていた。小さなアパートの2階からは,遠くまで続く田んぼの緑と幹線道路が見えていた。家の裏の空き地には水路と砂利道があって,幼い弟がよくそこで転び,そのまま口に入った砂を食べていたのを覚えている。
子どもは8時に寝る約束とされていた家だったが,僕は眠らない子どもだった(前にも書いた)。いつまでもごろごろばたばたと落ち着きのない僕に両親は,「目をつぶってじっとしていれば知らないうちに眠れるよ。」などと役に立たないアドバイスばかりしてくる。そしてそのうちに,僕より早く眠りに入ってしまうのだった。
だから僕は布団を抜け出して,窓に手と顔を貼りつけ,永遠に思える夜をやり過ごす。豆球の薄明りの中を。心細くも,どこか愉快な気持ちで。弱い雨の音に包まれて。
僕はもう,ほとんど大人としか呼ばれない年になった。よく働いてよく眠る日が多いし,眠れない日には別に眠らなくていいことも知っている。夜中の時間のつぶし方にだって多くの選択肢がある。怖い夢を見て起きることだってあるけれど(秘密だ),自分で機嫌を取り戻すことも,人に助けを求めることだってできる。でもあの頃の小さな僕は,まだ確かに、存在している。
あのピンボケの光たちと,こっそり舐めた冷たいガラスの質感を,きっと一生忘れない。
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