おでんがやってきた。
それは、5月初旬のこと。
夜、帰宅すると、家の玄関の前に1匹のカタツムリがいるのを見つけた。
殻径が3センチほどのクリーム色のカタツムリで、それは玄関の前の共有廊下の手すりの上をこちら方向に向かって這ってきた。
そして顔があった瞬間、イメージ的にはぼんやり「?」という表情をした、ような気がした。気がしただけのような気がするが…。
私はなぜか、無意識にそのカタツムリの殻をつまみ上げ、一緒に家に入ってしまった。この時の自然な感じは、今思い出してもなんだかちょっと変だ。
私は片手に殻を持ったままどうするか一瞬考えて、家族に「飼おうと思う」と言った。家族は「ええっ、飼うの? …と言うか、カタツムリって飼えるの?」と言って引いていた。
とりあえず、家にあった菓子のプラスチックの空き箱に入れてキャベツや人参の千切りをあげた。カタツムリは、ゆっくりモソモソと食べた。
カタツムリと言えば、ひとつ甦って来る記憶がある。小学生の頃、週1回、絵画教室に通っていた。
先生は当時60代半ばくらいのY先生というおばあちゃん先生で、教室は先生の自宅にあった。古い木造の日当たりのよい一階の部屋で、絵の具がついた手製の木の椅子が置かれ、本棚には読み込まれて子供の手の跡がついた図鑑などが入っていた。昭和の小学校の図工室のような雰囲気で、そこで毎週色々な絵を描いた。
先生の教室は住宅地の奥まったところにあり、昭和の昔、梅雨時には家々のブロック塀や紫陽花の葉にたくさんのカタツムリがいた。白い小さいカタツムリで、ブロック塀にびっしりいるのをツノをつついたり、つまんで手にのせたりして遊んだ。
触覚が透明で、小さい子供のカタツムリも可愛くて、子供心になんだかこの形は好ましい、きれいな生き物だなと思いながら遊んだような記憶がある。そして、その場所の風景の中で完結しているような雰囲気があり、そこで遊ぶだけで満足し、家に連れ帰りたい、飼いたいなどと思った事はなかったような気がする。
またY先生は優しくて、実は絵画教室は小学校より楽しかった。小学校の担任の男教師は頭の堅い厳しい人で、当時すでに十分変わっていた私は目の敵にされていた。しかしY先生は、私が変わっていることをかえって褒めてくれたのである。私が、自分の変態性を多少なりとも肯定できる人生はここから始まった…。
そんな懐かしく幸せな記憶が甦ったため、つい反射的に連れて帰ってしまったのかも知れない。
カタツムリの名前は「でん助」にしたが、その後、カタツムリは両性具有で性別がない事を知った。そのうち、でんちゃん、おでんなどと呼ぶようになった。
しかし、ペットを飼うのは久しぶりである。実家で猫を飼っていたのが最後で、それは20年以上前の事になる。メダカですら飼った事がなかった。20年ぶりに飼ったのがカタツムリだったとは…。