私が恋した喜界島#6仕事はじめ。
島の看護師はじまる。
島同期。
はじめての出勤日。裾上げしたズボンを持って、お気に入りの木のトンネルをくぐって初出勤。(#3参照)
着替えて会議室前に集合。初めましての3人。
「おはようございます。ここでいいんですよね?」
みんなそわそわ、お互い探り探りの会話。
そんなこんなしていると、院長や看護部長、各々部署の代表スタッフが集まってきて朝の会がはじまった。
挨拶をして、院長からのお言葉を頂きそれぞれの配属先へ。
私の配属先は一般病棟。
同期は2人。同日入職同期がいるのは心強い。
2人とも私と同じく、コロナで長崎の島がキャンセルになって奄美群島配属になっていた。
コロナじゃなかったら、なかった出会い。
ひとりは同い年の、今までオペ室看護師さん。
もうひとりは少しお姉さんの元々脳神経専門病院にいた看護師さん。
2人ともジャパンハートの長期研修組。離島看護6ヶ月、海外派遣1年のプログラム。この離島6ヶ月をまるまる一緒に過ごすことになる。
応援看護師はそれぞれいろんな経験を持って集まってきていて、それぞれの目標があって面白い人が沢山。
一緒に働いていた時から、今でもずっとお互いの頑張りに励まされている。
みんなとの島でのいろいろは、またこれから。
初めての病棟。
新卒から救急外来、内視鏡室、放射線科を受け持つ外来で働いていた私は、島で初めて病棟勤務。実習で行った事があるにしろ、わからない事だらけ。同期のオペ室看護師だった子も同じく。
通常2部屋持ちのところを、1部屋持ちからはじめさせてもらった。(その後わかった事だけど、かなり特例だったみたい。この時の応援さん達が充実していたからか…)
1日の病棟の流れ、物の場所、カルテの見方から教えてもらい、フォロー担当さんに確認しながら慣れていく。
一般病棟はひとつしかない、どの科も全てこの病棟に入ってくる。島の看護師はジェネラリスト。
喜界島の応援看護師は3ヶ月から来れるため、人の入れ替わりに慣れているのか、どんなに聞きまくっても嫌な顔せず答えてくれる。この確認できる環境に助けられた。
そして島の病院は、とってもアットホーム。
患者さんは誰かの親戚で、同じ集落のおじいおばあで、どこの誰かわかる人が絶対にいる。
患者さん同士の同窓会みたいになったり、どこの集落の人ねと知り合いだったり。
島はひとつの大きな家族なのではないかと思うくらい。
島で生きていくということ。
働き出して数日した頃、はじめての病棟内急変。
救急で来て、島外搬送を検討されていた方。
ステーションに戻ろうとした時に心臓マッサージを始めるところに出くわした。記録をして!と言われ参加。
心臓マッサージ、呼吸補助、アドレナリン投与…
心電図測定をすると心筋梗塞を示す波形。
私が本土で働いていた病院であれば、心筋梗塞とわかり次第、心臓カテーテル室に連絡をして準備が整い次第治療に入る。
私がいた部署はまさにその場所だった。
ドアtoカテ30分。救急搬送からカテーテル室入室までを30分以内に行うという目標があるくらい時間との戦い。
しかし、島にはカテーテル室はない。
島外搬送をするにしても、ドクターヘリが来て移動する時間は30分どころでないだろう。
必要な治療がわかっていても、ここでできる治療ではない。もどかしい。
医師から家族に説明がされ、死亡確認がされた。
島に来てすぐ、島で生きていく事の厳しい一面を知った。
自分の生きる場所と死ぬ場所。
病院に入院する時、特に高齢の方の場合
いざとなった時に治療をどこまでするか
を確認される。
島の病院では、それと一緒に
島外での治療を希望するか、しないかを確認する。
総合病院があるとはいえ、島でできる治療は限りがある。しかし、治療の為に島外に出て、そのまま島に戻ってくるのが難しくなってしまう事があるのも確か。
島のおじいおばあは、島での治療を望む事が多かった。今まで生活してきた故郷で最後まで過ごしたい
知らない場所で最後を迎えたくない
そんな気持ちだろうか。
島全体がホームのようなこの場所にいると、出て行きたくない気持ちが、ほんの少ししかいない私でもわかる気がした。
島に来て、自分の生きる場所、最後の場所の選択を今まで以上に意識するようになった。
嬉しかった事。
そんな日々のなか、嬉しい出来事がひとつ。
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