私が恋した喜界島#1島との出会い
喜界島との出会いのきっかけは
喜界島との出会いのきっかけは
2020年コロナパンデミック。
看護師として就職して3年。英語の勉強を進め、学生の頃からの目標だった海外専門学校の入学許可をもらえて地元近くの病院の退職を決めた。
離島に住む。
海外へ行く前に絶対に日本でやっておきたい事。看護師になった理由のひとつでもある。渡豪までの半年間、離島看護師をする事を選んだ。
2020年2月から3月、有給消化のお休みをもらっている間にどんどん広がる感染症。
当初の派遣予定は長崎の五島列島だったが、コロナの影響でキャンセルに。急遽ニートになった。
救急外来で働いている同僚が最前線にいる中、何もできないもどかしさを紛らわせるために、寮をでた後に転がり込んでいた実家でお母さんとYouTubeエクササイズをしたり、時々近所の施設でバイトをしたり、何かしらのやる事をつくって時間を潰した。首都圏の寮付きの病院に申し込んだが、コロナ第一波真っ只中で面接見合わせとなっていた。
そんな時に、離島派遣の担当者さんが再度連絡をくれた。"奄美群島なら今もいけますよ。"
今も行ける島がある!のワクワクと、パンデミック真っ只中の関東から行っていいものかとの不安がひしめき合いながら…行きたい!が勝った。
"第三希望まで出してください。"と言われ、ホームページをみながら島と病院の規模を調べる。できるだけ島っぽい環境、小さな病院に行きたくて、第一希望にあげたのが喜界島だった。
Googleマップで指を広げ拡大しないと見えない小さな島。何度も何度も地図をみた。青い海にポツンとある今まで全く知らなかった場所。どんな場所なのだろう。
その後、履歴書を送り、電話面談があり、派遣が決まったのが出発の約2週間前。
ドキドキとそわそわが止まらない。荷物は長崎に行く予定で送って、キャンセルになって送り返してもらったものがそのままになっている。準備万端。
そこからの2週間はあっという間だった。
地図でみた喜界島
今回はとっても看護師さん向けの情報になってしまった。こんな仕組みがあるんだなあ…と読んでみてもらえたら嬉しいです。
島に行くために利用したサイト
国際医療NPO法人Japan heartが取り組んでいる
離島.僻地医療看護師サイトRIKAjob
国際協力、離島僻地医療と生活に興味があった私は、看護師2年目の夏休みにJapan heartを利用してミャンマーの病院でのボランティアをした。それがきっかけで国内派遣もやっている事を知った。離島派遣担当さんが、ミャンマーのミッションで一緒に活動した方で嬉しかった。(その方は今退職されて、まさにDr.コトーな場所で働いておられる。かっこいいです。)
離島派遣は応援手当がつく事が多いが、リカジョブは手当なく現地の看護師と同じ条件で働く事で、派遣を受け入れる病院の負担を減らす仕組み。手当はないが、働いた期間にあわせたボーナスと有給はもらえるし特別困る事はなかった。住む場所も準備してもらえ、家具家電つき。交通費や荷物を送った費用は出してもらえる。
リカジョブ以外で奄美群島の派遣をやっているのは結の島ナース。これは奄美群島に特化したサイト。
私が行っていた時は、首都圏から地方、離島に幅広いナースパワーからも来ていたけれど、今はどうだろうか。リカジョブと結の島に移行していこうかみたいな話も出ていたけれど。ナースパワーは本当に幅広い。島で出会った看護師さんに教えてもらって登録だけした。小笠原諸島、八丈島やら惹かれる場所からの求人メールが届く度に心揺れている。笑
島に行く1年半前のはなし
途上国、国際協力に興味はあるけれど、看護師として長期的に海外へ行く道を選ぶか迷っていたので、決める前にミャンマーへ短期ボランティアに参加してみた。ミャンマーを選んだのは、その時行ける中で1番現地の環境や人達の近くに行けそうだったから。その希望通りだったと思う。
ジャパンハートの海外ボランティアは、短期なら医療従事者じゃなくても参加できるものがあるし、経験年数関係なく行く事ができる。もし国際協力や医療、途上国の生活に興味がある人がいたら見てみてほしい。
実際に私がミャンマーに行った時は、アジア文化を学ぶ大学生がきていた。タイでのトランジットの時にみたオブジェを宗教とかも絡めて詳しく説明してくれた。1人だったら、ただのタイっぽいなで終わっていただろう。知識があるとこんなに見え方が違うのか!と、とても感動したのを覚えている。
ミャンマーでの生活を少し。
行った結果、すごく行きたい!やりたい!にはならなかった私は違う道、海外の学校と離島看護師を目指す道を選択することに。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次は#2は喜界島に向かいます。おたのしみに。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?