僕たちは三谷作品をどう評価すべきか
日本人はアレンジが得意だといわれている。
それを聞いて連想するものが二つある。
一つは後述するが、もう一つは麻雀だ。
僕は麻雀が好きで(下手の横好きだが)、
ネット麻雀をよくやっている。
日本で親しまれている麻雀はいわゆる「日本式麻雀」と呼ばれるもので、中国発祥の麻雀を改良して生み出されたものだ。
この日本式麻雀のルールは洗練された印象が強く、
見た目の美しさを始め、
アガり役の根拠、
点数システムのロジックなど、
本場の(素人目には大味に映る)中国麻雀と比べて細部の一つ一つが際立っており、
麻雀というテーブルゲーム一つとってみても日本人のアレンジ力の高さを窺い知ることができる。
しかし、裏を返せば「日本人はオリジナルが苦手」と見なされていることもまた事実だ。
三谷幸喜の「古畑任三郎」が「コロンボ」のパクリだと初めて聞いたのは十数年以上前のことだったと思う。
僕は古畑が好きだったから、「あれはコロンボのパクりだよ」と友人から聞かされた時は軽い反発心さえ覚えたが、
その後、30歳を過ぎて遅ればせながら脚本家を目指すようになり、映画やテレビドラマを学んでいくうち、
三谷作品に対して見えてくるものがあった。
(以下、箇条書きであげます)
・「古畑任三郎」
コロンボそっくりだった
・「12人の優しい日本人」
オリジナルだと思っていたら「12人の怒れる男」のパロディだった
・「マジックアワー」
面白いと思ってたけど、まんま「サボテンブラザーズ」のアイデアだった
・「ラジオの時間」と「笑の大学」
「ブロードウェイと銃弾」を二つに割ったものだった
こんな具合に次から次へと出てきて、
全幅の信頼を置いていただけに裏切られた感があり、正直にいうと三谷作品が嫌いになった。
三谷幸喜は作家として信用できない。
一時期はそんな思いさえ抱いた。
しかし、現時点では見方が変わり、
「オリジナルを生み出すのは不得手だが、
外国産のものを日本人の舌に合わせてアレンジする手際は天才的」
という評価に落ち着いた。
三谷幸喜の優れた点としては、
前述の通り、外国から輸入したものを日本式に改良する技術(ジャパナイズ化する能力)に長けていること。
その場合、当然ながら古典や外国映画に詳しくなければならないので、浴びるように映画を観ているであろうこと。
この二点は脚本家として腕と目が肥えていることの十分な証拠になり得る。
逆に否定すべき点として、
「古畑任三郎」や「マジックアワー」など、(個人的には許容できない)グレーゾーンの次元でアレンジを行っていること、
例えば、僕世代でいうとマイケルベイの「アルマゲドン」。
仮にあの映画の核となっている「素人集団が宇宙にいって隕石に穴を掘る」というアイデアをそのままに、
それを日本流にして工事現場のガテン系の人々が宇宙にいくという映画があったとしたら、パクりといわれてもしかたがない。
そういう次元で三谷幸喜はアレンジをしている節が多々見受けられ、オマージュという体のいい言葉で飾ったところで目の肥えている人には通じない。
ゆえにその人気は当代限りで、今後評価がさがることはあってもあがることはまずない、
そんな脚本家だと思う。
つまり、僕の中でジャパナイズ職人といえば三谷幸喜なのだが、
似通った人物に「カメ止め」を書いた上田慎一郎がいる。
「12人の怒れる男」を下敷きにして「お米とおっぱい」を書いたことからもわかるように、三谷幸喜と同じくアレンジ志向の強さが窺える。
「カメ止め」は傑作だが、今一つ評価できないのは、その面白さが改良からくるものだからだ。
パクり騒動で問題になったように、「カメ止め」の元ネタは「GHOST IN THE BOX!」だといわれている。
僕は「GHOST IN THE BOX!」を観たわけではないのであくまで文章ベースでの比較になってしまうが、
あらすじを読む限り、(おそらく)元ネタを洗練させて完成させたのが「カメ止め」なのだろう。
つまり「カメ止め」は0から作り上げた作品ではなく、すでに1以上あるものから10に仕上げた作品ということだ。
こう考えると、面白い作品と評価される作品はまた別の話ということになる。
例えば「マジックアワー」と同じく「サボテンブラサーズ」のアイデアを元に作られた「ギャラクシークエスト」などはその典型で、
そのストーリー内容からして「サボテンブラサーズ」のリメイクと呼ばれてもおかしくない作品だ。
そして面白さでは間違いなくオリジナルを越えているのだが、既に7くらいあるものから10を作って「はい、面白いのできました」と差し出されても評価のしようがない。
アレンジは面白いものが生まれやすい反面、そんな脆さがある。
そういった観点で考えれば、オリジナルの偉大さがよくわかるだろう。
もちろん創作物というのは先人の影響の上に成り立つ以上、完全なオリジナルというものは存在しないかもしれないが、
1から10を作った作品よりも、限りなく0に近いところから生み出された、3とか、4とか、
そういったものにもっと光が当てられるべきだと思う。
ただし難しいのは、評価をするには前提としてあらゆる映画を網羅していなければならないことだ。
僕はそれなりに映画を見てきた自負があり、
「12人の怒れる男」や「七人の侍」はオリジナルと呼べる作品だと思っているのだが、僕より映画に詳しい人は鼻で笑うかもしれない。
そう考えると2000本程度では心許ない。
少なくとも一万本は必要で、
その博識をもって映画のストーリーを体系化し、評価するのが映画評論家の仕事だと思うが、
オールタイムベストに「アポカリプト」をあげておきながら下敷きになっている「裸のジャングル」(TSUTAYAにフツーに置いてある)を知らない評論家もいるようなので、頼りになりそうもない。
このように映画を評価することはかくも難しく、作り手の立場からするとオマージュの名のもとに7から10を作ったほうが手っ取り早いのが現状だ。
麻雀といえばやはり日本式麻雀に限る。
当然、コロンボよりも古畑任三郎がいい。
それは日本人として当然の感覚だ。
しかしアレンジはオリジナルには及ばない。
オリジナルに敬意を表すればこそ、先人の影響を受けつつも全く異なるものを生み出さなければならない。
それは果てしなく困難だが、創作をする一人としてそういう姿勢でいたいと思う。
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