嗚呼ややこしきリアリティ
「リアリティがある」
よく耳にする言葉だ。
リアリティを一口にいえば、現実味がある、生々しい、といった至極単純な意味になる。
しかし脚本における「リアリティとは何か」という話になると途端に意味が複雑になる。
兼ねてより思っているが、脚本用語なるものは「ドラマ」や「ストーリー」といった言葉を筆頭に何かとややこしく、
脚本(フィクション)を語る文脈での「リアリティ」の意味を正しく理解しようとする場合、
前提としてフィクションには以下の四種類のケースが存在するという認識から始めなければならない。
①リアル路線で、リアリティのないフィクション
②リアル路線で、かつ、リアリティがあるフィクション
③リアル路線ではない、リアリティがあるフィクション
④リアル路線ではない、かつ、リアリティのないフィクション
このうち作品として鑑賞するに耐えるのは②と③のみで、
リアリティのない①と④はその基準を満たしていないことは説明するまでもない。
しかし後述するように、この中で一般的に「リアリティがある」といわれるのは②のみで、
②と同様にフィクション上のリアリティが保証されている③については(不思議と)「リアリティ」に関して言及されることがない。
この理由を知るためにはまずは「リアル路線」と「リアリティ」と違いを説明しておく必要がある。
「フライングギャロップ」と呼ばれる絵画がある。
疾走する競走馬を描いた絵で、四本の足が伸びた状態ですべて宙に浮いているところから、非現実的な絵とされている。
しかし、これをフィクションという観点から観ると「リアリティがある」作品ということになるだろう。
仮に競走馬をリアルに写実した絵が、
①リアル路線で、リアリティのないフィクション
とするならば、フライングギャロップは、
③リアル路線ではない、リアリティがあるフィクション
となる。
①の絵は確かにリアルを描写した「リアル路線」の絵ではある。
ここでいうリアル路線とは非現実的なものを排し、ひたすら現実を描写した作品を指す。
しかし、リアルをなぞっただけの作品に観客がフィクション上のリアリティを感じられるはずはなく、
(このことはテネシーウィリアムズを始め多くの作家が結論を出している)
一方で、③の絵は非現実的でこそあるが、疾走感、躍動感がものの見事に表現されており、
リアルよりもリアリティのあるもの、真実よりも真に迫っているものとして描かれている。
そして③のような表現を「フィクション上のリアリスム」と呼ぶ。
つまり、「フィクション上のリアリスム」が脚本(フィクション)におけるリアリティのことなのだが、
前述の通り、ややこしいのは③を一般的にリアリティと呼ぶことはなく、ゆえにフライングギャロップを「リアリティのある絵」とはいわない。
もう少しわかりやすくいえば、例えば、漫画の「名探偵コナン」。
以下のようなシーンがある。
黒ずくめの男に追いつめられたコナンがロッカーの中に隠れる。黒ずくめの男がロッカーを一つ一つ開けていきコナンを追いつめる。
このシーンに対して「リアリティがある」という人はまずいないと思う。
しかし、間違いなくフィクションとしては成立している。
ゆえに上記のシーンにはリアリティがあるといえるが、この場合「リアリティ」という言葉の代わりに、
「ドラマ的」とか「ドラマチック」とか、そんな言葉で語られると思う。
もしこれがロッカーに隠れたのがコナンではなく高校生の工藤新一ならば、あんな狭いところに入れるわけない、となり、途端にリアリティがなくなる。
つまり④
④リアル路線ではない、かつ、リアリティのないフィクション
のパターンになる。
そう考えると、「リアリティ」とは「ご都合主義」の反対の意味であるが、
「リアル路線」のストーリーでない限り、リアリティという言葉が用いられることはない。
このあたりが捻れている。
つまり、リアル路線の話であり、かつ、フライングギャロップやコナンの表現のようにフィクションとしてのリアリティが保証された場合に限り、人は「リアリティがある」という言葉を使う。
反対に、「リアリティがない」というふうに使われるのは、リアル路線でもなく、リアリティもない話の場合だ。
このようにリアリティなる言葉はややこしい。
①リアル路線で、リアリティのないフィクション
②リアル路線、かつ、リアリティがあるフィクション
③リアル路線ではない、リアリティがあるフィクション
④リアル路線ではない、かつ、リアリティのないフィクション
一般的にいう「リアリティがある」は②を指し、「リアリティがない」は④を指している。
しかし、脚本における意味での「リアリティがある」は②と③だ。
この理解をしているかどうかで、脚本あるいはフィクションに対する目の確かさがある程度わかる。
目の肥えていない人は、①に対して「この話はリアリティがあるね」ということも考えられ、
その場合、話をするだけ馬鹿馬鹿しいし、
同様に③に対して「リアリティがない」
というのも目が肥えていない証拠なので、出来る限り関わりたくない。
逆に目の肥えている人ならば③に対して、
一般的にはまず持ち出さない、リアリティに関する話を持ち出すことも当然ある。
このようにリアリティとはかくも複雑なもので、だからこそこういう複雑な意味合いを理解した上で、
リアリティの言葉を正しく用いて話や議論ができる人、
そういう人を僕は信用するし、
逆もまた然りだ。
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