クソデカのパネトーネと弔い合戦。
それは、人肌恋しい冬の出来事であった。あたしはコンビニで買ったホットコーヒーで暖を取りながら、いつもの如く職場へと向かった。
あたしはお菓子屋さんで接客の仕事をしている。この時期になるとクリスマスのお菓子が店頭を彩り、道ゆく人々が興味深そうに足を止める。毎日一つずつ開けて楽しむアドベントカレンダー。色んな種類の味が入ったキャンディ。可愛いキャラクターの形をしたチョコレート…。クリスマスを控えた店内は甘い宝箱のようである。そんな宝箱の中でも一際異彩を放つものがある。それが、クソデカのパネトーネ である。
※パネトーネとは、イタリアの伝統的なクリスマス菓子だ。当日までに少しずつ食べていくのが主流である。
お洒落な包装紙にズッシリとした重量感…。それは、『プラダを着た悪魔』のミランダに匹敵するほどの威圧感… 存在感である。こんなにビックなお菓子が店頭を飾っていたら、周りの小さなチョコレートやキャンディたちは新人さながら萎縮してしまうことだろう。特に私の職場で売り出しているのは、およそ1kgにもなる大物パネトーネである。お値段はなんと3千円超え。他のケーキの値段と比べると妥当ではあるが、店内を見渡せば確実に"高級商品"として分類される。そのせいもあってか、私が知る限りあまり売れていない。どのお客さんも「すごい…!」や「豪華ね」と称賛はするものの、なかなか手に取らない。日本全体が不景気な今、ミランダ・パネトーネ(通称パネ子)は高値の花である。不運にも売れ残り続ける彼女を見て、私はいつしか切なさを感じた。人肌恋しいこの季節。独り身のあたしは互いの孤独を埋め合おうとパネ子に寄り添う。
パネ子はいつでも気高いオンナだった。金色のリボンで自分を飾り、赤色の包装紙を身にまとう。そして、たとえ売れ残ろうと、自分の誇りは決して失わない。いつでも堂々と表に立った。賛美しつつも買ってはくれない薄情な人たちにも、パネ子は許容という名の愛を差し向けるのであった。
ある日、パネ子はあたしに夢を語った。それは華麗なパネ子にしては純朴で、実に愛らしい夢だった。
いつもは強気なパネ子がその日に限って酷く臆病だった。パネ子が不安を抱くのも無理はない。実はその日、あたしは店長から衝撃的な事実を聞かされていた。「今日中にパネトーネが売れなかったら、店頭から店内奥へと引き下げる」と。勘のいいパネ子のことだ。あたしが隠し事をしても、何かしら不穏な気配を察知したのかもしれない。あたしは曖昧に笑って、「きっと寒さのせいよ」と誤魔化した。
パネ子のタイムリミットが迫る一方で、その日は朝から集客率が低かった。天気の悪い平日だからだろうか。あたしが一生懸命に店頭で声を上げても、店内に入ってくれるのは一時間に二、三人だけ。いつもだったらもう少し多いのだが、"運命"とは実に残酷なものである。それでも、あたしは少しでも運命に抗おうと声を張り続ける。
あたしなす術もなく、このまま敗北を喫すのだろうか。大事な友達にしてやれることはないのか。私は自分の無力さをひしひしと痛感した。
しかしーーーー…!
あたしが無力感から膝を折そうになった時、何処からか救いの声が聞こえたのであった。
「すいやせーん。これ、いくらっすか。」
声の主はまだ若い男性だった。若干色がはげている金髪に、鋭い一重瞼。真冬なのにダメージジーンズを履いて、上は髑髏が描かれたタートルネックという、まるでチグハグな格好だ。また、手首にはジャラジャラとアクセサリーをつけている。正に絵に描いたようなヤンキーである。
しかしーーーー…!
あたしは見逃さなかった。ヤンキーが持っている鞄にキティちゃんのキーホルダーが付いていることを。キティちゃんは我が国の良心である。キティちゃんの前では何人たりとも悪さはできない。それに、キティちゃんのポップコーンは幸せと慈愛の味だ。昔、ゴリゴリヤンキーの前田くんが「俺、キティちゃんを見てると優しい気持ちになる。」と呟きながら食べていた。
逡巡の後、あたしはカッと目を見開き、ついに確信した。
この人、一見ヤンキーだなと。
「良いでしょう。あなたになら任せられます、この友を。」
「は…?普通に値段聞いてスけど。」
「友情はプライスレス…。想い出はフォーエバー。」
「はぁ…。なんかもう面倒になってきたんで、値段とかいいです。それ下さい、買います。」
「ところでお客さん…。このパネトーネはどなたと食すので…?」
「話聞かねぇな、この店員。…普通に彼女とスけど。」
「クッ…。」
一見ヤンキーの返答に、あたしは感涙した。
一見ヤンキーはあたしを訝しげに見つめ、そそくさとレジの方へ行ってしまった。数分後、クリスマス用の紙袋を手にした一見ヤンキーは、別店舗で買い物をしていたらしい彼女と合流し、二人で手を繋ぎながら帰っていった。あたしはそんな二人の様子を見送りながら、ただただパネ子の幸福な最期を想うのであった。
パネ子ーー…Thank you.
パネ子と別れた翌日、あたしは意気揚々と職場に行った。もちろん、パネ子と別れた寂しさはあった。しかし、それ以上に、彼女の夢を叶えられたことが自分のことのように嬉しかった。あたしは鼻歌を歌いながら、踊るように出勤した。
しかしーーーー…!
一体、運命というのはどこまで残酷なのだろう。あたしは職場の休憩室にて、とんでもないものを見てしまったのだ。
キィー…。あたしは少し立て付けが悪くなっている扉を開けて、休憩室の中へと入った。この時間帯はみんな店舗に出ているから、当然、部屋の電気はついていない。それなのに、暗がりの中、あたしはぼんやりと光る"何か"を見つけた。
(あれは…一体…?)
目を凝らしてみると、光の正体は見覚えのある金色のリボンだった。あたしは自分の鼓動が早くなるのを感じた。両手は汗ばみ、額には汗の粒が吹き出る。
あたしは恐る恐る電気をつけた。部屋が段々と明るくなる。そして、テーブルの上に置かれた"何か" が徐々に姿を現すー…。
金色のリボン。赤色の包装紙。あぁ、彼女は、彼女の名はー…!
「ミランダ・パネートネ!(通称パネ子) どうしてっ!どうしてここにいるのよ!!!」
あたしは意味がわからずに泣き叫んだ。彼女は昨日カップルに貰われて、幸せな最期を迎えたはずだ。それなのに…。
ガチャッ!
突然、勢いよく扉が開く音がした。それから、慌てた様子の店長が休憩室の中へと走ってきた。
「なになに!?どうしたの!?」
「てっ店長…!パネ子…このクソデカのパネトーネは昨日売れたはずですよね!?!?どうしてここに戻ってきてるんですか!?」
あたしが泣きながら質問すると、店長は困ったような、少し怒っているような表情をした。
「あぁ、それね…。昨日のお客さんがさ、"やっぱりいらない"って返してきたんだよ。なんでも、あの後に別のケーキを見つけたらしくて。」
「はぁ!?!?!?なんですか、それ!!あたしは…ヤンキーを信じて見送ったのに…!!!」
「見送る…?まぁ、確かにあんまり気持ちの良いものではないよね。」
あたしは絶望に打ちひしがれた。パネ子は望みを果たせなかったのだ。少しでもヤンキーを信じた自分が憎くて仕方がない。あたしはやるせなさのあまり、自分の手を噛み始めた。店長は何やらギョッとした顔をして、慌てて付け足すようにして言った。
「そそそそうだ…!このパネートネ、君にあげるよ。お代はいらないよ。美味しく食べてもらえれば……」
「良いんですか!?!?!?!?」
あたしは店長の言葉を遮って、大声で叫んだ。
「もちろんだよ。あっ、でもこれは1kgくらいあるんだよね。君、一人暮らしだろう?食べ切れるかな…。」
あたしの耳にはもう店長の言葉は届かなかった。あたしはただパネ子だけを見つめて、パネ子のことしか考えられなかった。私は丁寧な所作でパネ子を袋に入れると、足早に休憩室を出た。
「えっ…!ちょっ、仕事は!?!?!?!!」
あたしの耳には…(以下略)。
あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。あれから、どれほどの道を走ったのだろう。あたしはパネ子と共にアパートへと急いだ。それは、燃え盛る野山を駆ける戦友同士のようでもあり、はたまた、駆け落ちをする恋人のようでもあった。パネ子とあたしの間に生まれたのは、もはや友情を超えた何かであった。もしも、友情の先が"激しい恋"であるのなら、あたしはいつの間にかパネ子を愛してしまっていたのかもしれない。
あたしはパネ子を抱えながら、またも涙を流した。次から次へと溢れ出す涙。懸命に駆けるあたし。それから、ふいに口ずさむRADWIMPS。
※歌詞の該当部分は1分15秒から。
ようやく家に着いた時、あたしは疎かパネ子の息は絶え絶えだった。
パネ子は一瞬驚いたように目を見開いた。それから、安堵のために息を漏らしてー…あたしの腕の中で静かに眠った。
あたしはパネ子との約束を果たすために、ファミリーサイズのクソデカ・パネートネを一晩で食べ切った。それは一種の弔い合戦だった。胃もたれを感じなくはなかったが、それでも負けられなかった。人々が幸せなクリスマスを迎えるために、パネ子は生まれた。そのパネ子の思いを無駄にはしたくなかった。本当はクリスマスまでに少しずつ食すのが主流なのだが…、あのヤンキーたちにしてやられたのが悔しくて、つい意地を張ってしまった事もある。
パネ子は甘くて、ふわふわしていて、まるで夢を見ているようなおいしさだった。
あたしは来年の冬ー…今日と同じくらい寒くて、人肌恋しいこの時期に、きっとまた思い出す事だろう。かつて愛したパネートネを…。
【あとがき】
職場でもらったパネトーネ があまりに美味しかったので、感動のあまりにこれを書いてしまいました。何を書いているのか私もわからないです。でも、パネトーネが美味しかったのは事実です。