15歳から周りと違うと自覚し始めたけれど、周りに合わせる人生が良かったと全く思わなかった
ふらん(@tuppy_osakacafe)です。来て頂いたお客様が「一人でも多くの人に理解されたい」というのに対して「そんなの必要ない!都合の良い時だけ関わる100人なんて要らないよー」という会話をされていて、聞こえてしまったのをキッカケに書こうと思いました。
大体思い込みをしている事も多いと思っていて、育ち方の中で、共感とか周りに合わせるとかが身体と頭に染み付いているのかも知れません。
中学生の頃に見下した自分
中学生の時に「周りと合わせる」というのが苦手で、ノリが良いか悪いかみたいな空気感も蔓延っていました。中学1年の時はまだノリは悪くなかったと思いますが、次第に「疲れる」「合わない」というのが先行して合わせなくなりました。
原因がこれかは分かりませんが、それでいじめられるようになりました。それと同時に「こんなしょうもない奴ら、中学終わったら離れるし無視しよう」とどこかで見下していました。自分のコミュニケーション能力が低い事には目を瞑っていました。
何が面白いかも分からなかったり、皆が当たり前に出来る事を出来なかったりして劣等感を覚えると同時に「周りとは違う」と思う様になりました。
良くも悪くも15歳の自分はほぼ誰も味方と思う人はいなくて、今のメンタルの支えになっている1つです。仲間と思える人が誰もいないのは相当しんどい。僕の場合は自分が招いた結果なのですが。
高校での能力の発揮
普通って何なの?とよく考えた3年間でもありました。端から見たら変わっている人だったかもしれませんが、ある事で能力を発揮できたのでそれなりに満足した生活を送っていました。
たまたま選んだ環境で、誰かに認められて特に不自由なくむしろ良かったと思えた。ドラクエとかにあるパラメータグラフだったらバランス型ではなくて突出型。それでいいんだと思いました。
結局は自分がどうしたいか
会社員時代の頃を振り返ってみても、いつかは自分で仕事を始めたいと思いつつも、会社に勤めて「一体いつになったら自分でやれるようになるんだろう」と思う日々でした。
最終的には、このタイミングというのが自分の中に訪れて半分勢いで辞めたのもあります。以前より金銭的にも時間的にも余裕がなく、時給換算したら一体いくらなんだろうと思うぐらい。
得られるメリットと失っても良い物を比較して、楽しいと思う方法を選んだのですが今でも全く後悔はないです。「あの頃は楽しかった」と思う事もほぼなく、前に進むのみ。
暗いトンネルを今は突き進んでいるだけで、いつの日か光が差す。