ヤバい人は気付く機会がない「歪んだ正義感」
ふらん(@tuppy_osakacafe)です。真ん中は右から見たら左。違った視点で見ると違う様に捉えられます。思考や性格、根本の癖みたいなのはそうそう変わらない。
「あの人、良い人だよ!」と言われても自分がそう思うとは限らない。相性が合わない人と無理に付き合う必要はほぼ無いと思う。
何かで「半年ぐらいでも人格が変わることはあるから、合わないと思っても疎遠にならなくてもいい」と書きました。しかし、自分から理由もなくストレスを感じにいく必要はないと思うので、どうでもいい人には徹底的に最小の時間で済ませたら良いとも思います。
ネット上での会ったことも話した事もない人に、必要以上に時間使って気分良く無かったら意味なくないですか。
という前提がある上で周りに対しての影響の輪をどれだけ大きくできるか。器がついていくか。
そういう人達が集まる
時事ニュースや企業のネタを取り上げている人は個人でも多く、Youtube時代なのか動画で面白おかしくまとめている人もいます。必要以上に煽っているのを見ると「これ病気やん」と思う様になりました。
継続的に見る人、面白がる人は安全な所から攻撃したい人、自分の周りがそんな事になっても同じ事するの?というのが分かっていない人。
いきなり!ステーキのネタは見ようとしなくてもすぐに目に入ってくるのですが、株主や利害関係者ならともかく外野が必要以上にあーだこーだ言って良くもまあそんな好き勝手言うのうるさい。
そういうのが好きな人が集まってくるとしたら、自分の周りにそういう人ばかりいたいか?楽しく何かを一緒にできそうか?全然考えられなさそう。もし自分が誤った方向に行きそうな時は自分がネタにされる確率が高そう。
周りに舞台に立っている人いないのではないか?
僕の周りはお店をしている人、個人で仕事をしている人、会社として事業している人と様々です。ジャンルも別々で多方面に知り合いがいます。
どうしたらいいか分からずに軌道修正しようとしたり、新しい策を講じる事は度々あるもの。そのやり方だと違うと感じたとしても、終わる、潰れるなーwwとかのテンションで言う訳がありません。どうやったら上手くいきそうかなーと一緒に考えます。今までもこれからもそのつもりです。
ミュートで見ない選択
特に意識して見ようと思わなくても、自然と目が入ってしまうので遮断する必要があるかどうか。Twitterは見たくない界隈もあるので、フォロワーとか年商月収どうのばかり言っている人はミュート。
また、おかしい事をしていそうな人をずっと叩いている人も病気だと思うのでミュート。そもそも関わらなければ、誰もネタにすらしなければ良いのにと。「注目されている自分が幸せ」と思う人はいるので。
歪まない為には終わりを思い描く
もし死ぬ前にどんな光景が目の前に広がっていたら良いか、理想を考えた事があるのかないのか。
知り合いの知り合いなので、すぐに連絡を取れる近い知り合いではないですが、保護犬の殺処分が問題で一匹でも多く救えたらとずっと働いている人もいるぐらい。「この人は本当に心が優しい人だった」「保護犬の為に〜年と〜円ぐらい使っていたかな」とか、僕ならこういう事を言うと思います。そして、そういうのを言われたい。
何が正義か分からないけれど、こちらの方が人情味あって好き。
死ぬ直前に「フォロワー2万人いて幸せだった」「月収1000万稼げて幸せだった」と思うのでしょうか。理解が出来ません。
去年トイレットペーパーが市場で簡単に買えなかった時も、知り合いが転売屋に対して「アホちゃうかな。トイレットペーパー高値で売れて幸せやった!とでも思うのか」と毒気味に突っ込んでいて。
闇落ちしていく怖さと共に、歪まないようにしていかないといけない。間違いそうな時は注意してくれる人が周りにいた方が良いと思う。逆の立場でも想定する事。