見出し画像

狂咲乙女

🌸とある企画(『ヴァンパイア』をメインテーマとし、サブテーマを各々一つの宝石、及び宝石言葉とする、また、指定文字数4000〜4400字)において創った掌編小説です🌸

💎宝石→ストロベリークォーツ
 宝石言葉→美


※若干グロテスク、血の表現を含みます
※義務教育終了済の方推奨

『狂咲乙女』

 子どもの頃から容姿を褒められてきた。最初は嬉しかったが、思春期になる頃には褒められる度に肌をアイスピックで刺されるかのような痛みを覚えはじめた。綺麗だ、と言われるほどに私は血を亡くしていき、冷たい人形になっていくようだった。
 三十六歳になった。同年代は新たなライフステージに踏み出していくが私は違う。病理医としての仕事のみで十分充実しているからというのもあるが、そもそも異性に関心を持てないのだ。私は血液を眺めて性的興奮を覚える。初めてそれを自覚したのは、良くしてくれていた家政婦が料理中に誤って手をざっくりと切ってしまった時だった。
 
自宅アパートに帰ると心愛[ここあ]が出迎えてくれる。私の世界で一番愛する、薄紅色の瞳を持ったシャム猫だ。猫のイメージには似合わず愛想がよく、とても懐いてくる。荷物を置いてコートを脱いで、洗面所でいつものようにメイクを落とし、ハッとした。薄くではあるがポツポツと出来たシミ、浮かび上がるほうれい線。そこに居るのは美形ではあれど、もう若くないオバさんだった。
数秒の間逡巡した私は、言葉にならない嗚咽と共にその場に頽れた。ショックだった、自分がいつの間にか誰よりも見た目に執着していたことが。
心愛がすり寄ってきた。ああ、優しい、慰めてくれるのだ。ふと、ある説が思い起こされた。血による若返り効果だ。どこかしらの大統領は最近でも鹿の血の風呂に入って若さを保っていたと聞く。日本のスッポンの生き血を飲む習慣だってそうだ。気味悪がっている人間は多いがただ赤い血が怖いだけだろう。
 改めて心愛を抱きしめる。温かい、血の通った感覚……欲しい……整った外見を失いたくない! 洗面台に置いてある剃刀をその首元にあてがう。力を込めて横に滑らせると、ビュッ、と待ち望んだものが飛び出す。心愛の断末魔をバックミュージックに、その傷口に唇を寄せて芳醇な蜜を思う存分貪った。愛らしい顔と毛皮は葬るには惜しいので解体して腐らないよう施す。ひと際麗しい二つの瞳を口にした時、何者かの声が聞こえてきた。私には分かる、その声は心愛のものだ。彼女は囁いた。活きのいい血を求めよ、と。洗面台の鏡に目を向ける。口回りに血がべっとりだ。一旦洗おうと思って更に鏡に近づくと、シミも消えて心持ち肌にも張りが出て、何より元の肌の血色が良くなっていることに気づいた。ほら、やっぱり若返り効果は本当だった。
私は、なるべく自然に若い美女たちに近づく方法を考え、キャバクラで働くことにした。年は二十九歳、とサバを読んで。そうして初出勤の日、まず控え室で四人のキャストの女と出会ったのだが、私はそのうちの一人が着けているネックレスに目を奪われた。斑な薄紅色の宝石が心愛の瞳を彷彿とさせたのだ。そんなことを思っていると残りの三人がその女にわざと聞かせるように喋りだした。
「ホノカ、処女だよね」
「ってか、一生恋愛とは無縁でしょ」
「そもそも友達も居なさそうだけどね」
嘲笑と共に繰り広げられる陰口の嵐。ホノカという女は皆に比べてかなり顔立ちは悪い。陰口の大部分の原因はそこにあるのだろう。初対面の私も同意を求められたが、苛つきはしない、と告げると一瞬間三人は沈黙する。が、すぐにまた話題は店の客の愚痴へと転じていった。いたたまれなくなったのかホノカはそそくさと部屋を出ていく。
 帰宅しクタクタになった私を相変わらず心愛は出迎えてくれる。接客は不慣れ故に多少骨は折れたが、それよりも控え室でのやり取りが思い出された。別に友達も恋人も居なくったっていいではないか。愛する対象など人それぞれだ。心愛を抱きしめ、眠りに落ちる。
 それから一週間のうちに、私は準備を整えた。狙うのはキャバクラのあの三人組だ。顔面偏差値六十台後半。二度目の出勤時にそのうちの二人に会ったので、親睦を深めるために食事でもどうか、この間のもう一人も一緒に、と誘った。勿論奢ること前提で。何気ないふうを装い自分の実年齢もばらしておいた。二人は、私がこの年で水商売を始めたことへの好奇心と、恐らくは美容の秘訣を知りたいという気持ちもあるのだろう、親しくするのはまんざらでもない様子で誘いに乗ってきたのだった。
 普段使いにしても自然なダッフルバッグの中に、スタンガンと念のため用意しておいた睡眠薬、折り畳み式ナイフを入れる。
ちゃんと家に連れてきてね。
と、心愛。どうしてもその様子を見たいようだ。彼女は更に、化粧ポーチは入れたか、と確認をしてきた。
いけない、忘れてた。
美しくしてなきゃ、駄目よ。
 
 予約しておいた店は大型ビルの敷地内にある、いま若者に人気のカジュアルフレンチ店だ。到着すると三人は既に席についており、盛り上がっていた。
 三人の質問には嘘と本当を交えつつ答えた。本名は桜木葉子[さくらぎようこ]、昼の職業は全国規模の有名チェーン店【エルムス】のエステティシャンで、恋愛に興味がないバージン、水商売を始めた理由は実家の病気の母へ介護費を仕送りするため、という設定。(実のところ、両親とは随分長い間連絡すら取っていないのだけれど。)話題はそれからホノカの話に移った。あいつの顔を見ていたら苛ついてくる、という一人の発言に二人は深く頷いていたが、私は案外そんなこともない、と言った。すると一瞬、どこからか鋭い視線を感じた。それは心愛が話しかけてくるときのものにどこか似ていて思わず辺りを見回したのだが、誰だか特定できなかった。
 おりを見計らい、切り出す。実は今エルムスで無料モニターを募集しているのだが良ければ説明だけでも聞きに来ないか、という内容だ。
必死の演技が功を奏したのもあってか皆乗り気で、店まで早速三人を自家用車で乗せていくということになった。地下駐車場に向かう。下調べして一層人気[ひとけ]のない辺りを選んでおいた。三人が乗り込んだ後、まず一人の首にスタンガンを当てて気絶させる。残り二人は驚き、何事か、と戸惑いあたふたしていたのでその隙にもう一人の胸にスタンガンを当てたが、気絶しなかったのでもう片方の手に持ったナイフで目玉を思いっきり突き刺し、抉るように回転させる。ナイフを抜いた拍子に視神経を伴った眼球が零れてぶら下がった。高揚して顔が歪むのを感じる。最後の一人はドアを開けて逃げだしたが、衝撃で力が抜けたのか足元がおぼつかなかったので捕まえるのは容易かった。でも、逃げやがったのが何となく癪でナイフで両のアキレス腱を切っておいた。ぐったりしていたが、車から然程離れていなかったので引きずって押し込むまでそれ程時間はかからなかった。
三人を乗せ、自宅アパートに向かう。正直ここまで巧く運ぶとは思わなかったが上々だ。これでまた老いを遠ざけられる。それに、ホノカという子も働きやすくなるだろう。
人目に付かないよう、日が落ちてから一体ずつ三往復して運んできた為、既に疲れ果てていた私はそれ故に一刻も早く至福の境地に身を沈めたかった。メスで一体目の頸動脈を切り裂く。職業柄場所を特定し一発でやるのは慣れている。もうこと切れていたので勢いよくは噴き出さなかったが、とろりと溢れ出る赤い蜜をワイングラスで掬い取る。二体目、三体目と同じように切り裂き、グラスが赤で一杯になると喉を上下させてごくりと飲む。勢い余って口角から溢れた一筋を舌で舐めとった。心愛はその様子を満足そうに眺めながら美味しいか、と訊ねてくる。味はまあ鉄っぽいが、それがまたいい。途端、チャイムの音に肩が跳ねる。警察かと思い慌てるが、聴こえてきた声は予想外のおどおどしたものだった。
訪問客の正体は、キャバクラのホノカだった。そこで私は、彼女が今日もこの間と同じネックレスを着けているのに気づく。不味い状況ではあると分かりつつも、気づけば家にあげてしまっていた。扉を開けた時からそうだが、返り血まみれの私に対しても無反応、更には部屋の様子を見ても少し声を漏らして眉を顰めただけだ。元々感情表現が薄いのだろう。どうやら私のことが気になり、初出勤の日の帰り、同じく終電上がりだった彼女はこっそり家まで尾けてきたようだ。控え室で自分のことを笑わなかったのが嬉しかったらしい。そして、最初にこの部屋まで尾けてきた日に、開いていた窓から聞いていたのだ、私が血で若返りを望んでいることを一人で話していたところを。今日も、三体のうち二体が話していたのを聞いて、ランチをしていたときから尾行をしてきたようだ。目から鱗の証言だが、どうもそれより無性に気掛かりなのがそのネックレスだ。お気に入りなのかと訊いてみると、その、ストロベリークオーツという宝石が好きだから着けているらしい。宝石には花言葉のようにそれぞれに意味がある。ストロベリークオーツは「美」。それが気に入っているからだと。自分は外見はさておき、心の綺麗な人でありたいから……言ってから照れたように俯く彼女に対し、笑いが込み上げてきた。抑えようにも抑えられず、いや、最早抑える意味すらないのだが、彼女の目の前で狂ったように笑い転げた。馬鹿だ、この娘は。内面の美、なんて幻想なのに。アンタはまだ若いから分かってないのよ。
「夢みてんなよ、整形しろよ、ブス」
途端彼女は意表を突かれたのか言葉に詰まり、暫し固まった。その後、私につられたかのようにハハッ、と乾いた声で笑っていたが、すぐさま絶望の面持ちになった。そして床に置いたままにしておいたメスで躊躇いなく自らの喉を裂いたのだ。見事な血飛沫が上がったが、私はこの時初めて、血を見て全く興奮しなかった。彼女は最期に自嘲して何か言いかけたが、まもなくぐったりとなってしまった。なんて愛らしく、憎らしい。この娘は違う顔で生まれた私なのだ。冷静になって辺りを見回す。その拍子に、洗面台の鏡に映った自分が視界に入った。
ああ、醜い。
ホノカの首筋にそっと唇を寄せ、血を啜った。彼女の血の味は涙と混じり、しょっぱかった。心愛の方を見遣る。もう何も言ってはくれない。言えるような姿ではないから。私はホノカの手から滑り落ちたメスを、自らの首筋に突き立てた。
 
目撃情報から駆けつけ、部屋に突入した警察一行はその凄惨な様子に愕然とした。剥製のようにされ玄関に顔を向けた眼球のない猫が、この一室の主の如く出迎えている。中には五人の遺体。うち三人は床に転がっていたが、残りの二人は寄り添うようにベッドに倒れている。そうしてベッドの脇には、真っ赤な血が斑に飛び散った宝石付きのネックレスが放り出されていた。その宝石を見た一人の若い男性刑事は不謹慎だと思いつつも、妖しくも艶やかな魅力に惹きつけられずにはいられなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?