何も書く気が起こらない、と書いている矛盾。 よく考えるとその逆の矛盾ってないよなぁ。
自分勝手に振る舞う人たちが苦しんで苦しんで苦しみ抜いて欲しい。 ほんといつもそれしか願っていない。 ずるい、とは一度も思ったことないけど、自分勝手達のツケを払わされるのにうんざりし続けている。だから、やつらには苦しんで苦しんで苦しみ抜いてほしい。まあ、そう願う相手は全世界の6割くらいに達するわけだが。
たとえ自分がどんな決意を述べたとしても、他人はそれが自分にとって不都合であれば無視するであろう。 某党首が、憲法第9条について、「たとえ某大統領が日本に現れたとしても、他国を侵略することを遮るためのもの」とようやく事実を述べた。そして、自分たちが述べてきた「攻められないため」という主張を消した。 そのとおりである。第9条があっても他国にとっては関係ない。日本は他国を軍事力に基づいて攻める権利を放棄しているが、他国は日本を軍事力に基づいて攻める権利を放棄してはいない。当然、
みんな自分の問題点を指摘されると、「自分だけが怒られている」「あいつはどうなんだ!」と叫ぶ。 自分の指摘された問題点の妥当性は?
「利権」と「忖度」。自分が感知できないけど、誰かが得してそうだという漠然とした嫌な感情を、それを表明することなく訴える便利でしょーもない言葉。 「利権」という言葉を使う人にとって、ほんとにそんな利権があるかなんて実はどうでもいい。 「忖度」という言葉を使う人にとって、ほんとにそんな忖度があるかなんて実はどうでもいい。 ただ、自分が得をせず、誰かが得をしているかもしれない、という邪推とその邪推に基づく嫉妬を自分の中で慰めたいだけ。 「ずるいずるいずるいずるいずるい!」 た
自然から得られるエネルギーは無尽蔵にあり、それを効率よく手に入れることで環境にも優しく我々の生活も最大限支える、夢のような生活が手に入る、と夢想する。そんな方々が推し進める太陽光発電や風力発電。そして、そんな方々が徹底的に毛嫌いする原子力発電や火力発電。個人的にここまで散々お世話になっておいて、原子力や火力に唾を吐ける神経はよく理解できない。とはいえ、環境調和性を考えると、やはり少しずつでも、これまでの彼らの貢献に惜しみない賛辞を送りながら、より望まれるエネルギーにシフトして
「午前中は、〇〇があって不在にします。」というのは「丸一日いない」ということと同義なのだろうか。私の持つ日本語的感覚から言えば、「午前中は」といえば「午前中限定」のことであり、午後以降の予定変更については改めて連絡をするべきものであると考える。なぜか私の周囲にはそれができない人が多い。それができない人が多いため、それが当たり前と捉えられ、私の感覚がおかしいのではないか、という錯覚に陥る。 30余年生きてきた自負もあり、少なくとも私の感覚は間違っていないと思う。そして、それら
カウンセラーに相談すると頭を抱えられてしまった投薬治療中のふんわりさんの感じる絶望感を、さまざま文字化しようと思い、noteを始めてみることにしました。正論かもしれません。支離滅裂かもしれません。ただ、吐き出すところがどこにもないんです。少しでも共感してくれる人がいればそれはそれでうれしい。反論してくる人がいればそれもそれでうれしい。あるいは、全く興味がない人がいたとしてもそれもそれでうれしい。 いつ消えゆくかわからない、そんな世の中に対する愚痴を、皮肉を、嫌な気持ちを、こ