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歌舞伎町 大森靖子祭に行って、僕は少しだけ新宿が好きになれた。


僕は新宿が嫌いだ。

さして向いていない営業の仕事を新宿でやった経験もある。帰りに疲労困憊でネクタイを緩め、汗ばんだワイシャツで小滝橋通りを歩くと、毎夜のように居酒屋を目指す声の大きな連中とすれ違って不快だった。

JR新宿駅から中央東口改札を抜け、階段を上がると待ち受ける光景は、まるで都心のサバンナ。

ハイエナみたいな男とハイエナに懐柔されるのも厭わない女で溢れ、待ち合わせらしき人たちの表情も何故だかいつも憮然として見えた。

それでもライブハウスに通うときにはその厭なルートを辿った。

ライブ好きの友人に誘われ、初めて訪れたライブハウスは新宿ACBだった。そこでニューロティカやミドリといったバンドと出会い、僕の日常は少しずつ変化を帯びてゆく。

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新宿LOFTにはよく通った。
ニューロティカのホームといえる歴史あるライブハウスで、立地はまさに歌舞伎町のど真ん中といってよかった。
だから仕方なく何度も不快なルートを通った。

LOFTに辿り着くまでにすれ違うホストや反グレとは視線を合わさないように向かうのだが、欲と自我と敵意を剥き出しに闊歩する彼らは、当時まだ山梨から出たての10代終わりの僕からすれば異端と恐怖でしかなかった。

イメージそのままの、絵に描いた歌舞伎町がそこにはあった。

新宿LOFTそのものはとても居心地のいいライブハウスで、キャパやフード、奥のソファ席、どれもが好みだった。通えば通うほど愛着も湧いた。

大森靖子を初めて見たのも新宿で、たしかJAMだったと思う。

色んなバンドやミュージシャンが出揃うオールナイト系のイベント。僕はひと回り上のライブハウスで仲良くなった友人に誘われてそこで初めて彼女を観た。タイムテーブルの途中だったか、転換の合間に黒髪の華奢な女の子が小柄な背中にギターケースを背負って入ってきた。

ライブ慣れして物怖じもしない友人は、バンドマンにも気軽に声をかけたり写真の依頼をしたりが自然と出来るタイプだった。

彼女が現れたときもすでに面識があったらしく迷うことなく声をかけ、一緒に写真撮影をお願いしていた。

僕はただ暗闇にまぎれて傍観するだけだった。
(その友人のおかげで銀杏BOYZの峯田和伸と出待ち後に握手してもらえたり、ミドリの後藤まりこからサインを貰えたりもできたので、感謝している)

初めての大森靖子のライブは、白い痩躯からは想像だにしなかった唸るような歌声で空気を一変させた。

JAM全体に新たな重力が加わったかのように力強く音を響かせた。その重力は僕を不動にさせた。曲が変われば一転してチャーミングでガーリーな雰囲気で愛らしかった。

ライブ終わり、しばらく鼓動が早くなっていた。

恐らく自分とほぼ年齢の変わらないはずの彼女の迫力と堂々たるパフォーマンスに衝撃を受けた。
当時は観客演者含め、自分がそのライブハウス内でおそらく最年少であることも珍しくなかったからだ。

翌日すぐに下北沢のディスクユニオンで『PINK』のCDを買った。

ライブで聴いたのと悪いギャップのない音源で嬉しくなった。同時にまた、彼女の覇気あるパフォーマンスはライブで体感してこそ完結するものだなとも感じた。

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2023年5月17日(水)

東急歌舞伎町タワーの地下に出来たZepp Sinjukuでの『歌舞伎町大森靖子祭』は僕にとって久々のライブだった。

体調を崩したり仕事に忙殺されたりコロナに罹患したりと、そもそもここ数年は他の誰のライブも行けていなかった。


その日の新宿は夏のはじまりを予感させる気温を用意し、夕暮れ時でなかったらすぐに汗が吹き出したそうな陽気だった。

新宿東口駅前広場、
クロス新宿ビジョンの錯視3Dを利用した三毛猫に見下ろされ、程なく歩いた先の東宝ビルからはゴジラから睨まれ、僕はトー横まで辿り着いた。

度々ネットで見聞きしていた「トー横キッズ」たちは実在し、地べたに腰を降ろして何やら群れていた。僕は先日1週間ほど滞在した台湾の路地裏に横たわる野良犬たちを思い出した。

何か期待や目的、将来像を持つわけではなさそうなあの子たちについて、だれか存在の証明をする人はいるのだろうか。群れてはいるのに彼ら彼女らの存在感はそれほど希薄で匿名性が強かった。ゴミの落ちたアスファルトを自分んちのソファみたいにして座っていた。

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Zepp Shinjukuは深かった。



ステージ内は思ったよりも快適だった。

お台場にあったZeppTokyoをひと回り小さくした印象。天井もステージも高く、前に人がいても見づらさはさほどない。音響や証明、プロジェクションマッピングの演出も目新しい。

目の前には3人組の小柄の子が立っていた。

途中からその前に帽子を被った男性がポジショニングした。「マスク取りなよ」ぐらいのカジュアルさで「帽子取ってくださいよ」と言ってあげたかったが、別に言う資格もないかと思ってやめた。
ライブハウスによっては、目の前に男性が立つとほとんど視界を塞がれるケースが女性には多々あるので、せめてライブ中くらいは後ろを気にしつつ、帽子だけでも取ってもいいんじゃないかな

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恥ずかしながらMETAMUSEもMAPAも、僕は今回初めて観た。事前に曲は聴いてきていた。


2組とも掴みどころのない魅力に溢れていた。

過去には色々アイドルのライブを観る機会はあったものの、これほどまで自分にとってアイドルが圧倒的な光を放つ瞬間は初めてだったかもしれない。アイドルの"推し"を作れそうで作れなかった自分の中に、なにか確かな兆しが殺到していくのを感じた。


MAPAは、初動はポップかつ親近感を覚えるパフォーマンスで瞬く間に会場を盛り上げた。

M-1芸人さんでいうなら最初の掴みが早い。後半は一転してムーディーで、しなやかにステージを動き、まぶしくも惑わしい笑顔を振りまいた。

とりわけビビっときたのが宇城茉世(ウシロマヨ)。

周知のファンからしたら当然のパフォーマンスだったのかもしれないが、初見の僕にはどうしたって視線を奪われた。

だって水滴のように小さな顔なのに、つららのように頑強で澄んだ声を出すんだもん。そのつららは間違いなくステージから客席まで刺さっていた。「うまっ」「やばっ」って気付いたら声に出していた。

コショージメグミはMaison book girl時代から知ってはいたものの、しっかりとパフォーマンスを見るのは初めてだった。キレの良い歌声と腹筋は要所でライブを締めていた。

メリハリあるMAPAのパフォーマンスは会場の熱気をたしかに高め上げた。予想以上に豊かな振り幅を魅せてくれた。

宣言通り、"祭り"部分を担ったのは間違いない。
また今度ライブに行ったらもうちょっと冷静に全体を見つめ、身体を揺らしたい。きっと次は今日以上に楽しめる。

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METAMUSEはZOC時代の曲やメンバーの変遷について多少知っていた程度で、ライブを観るのはやはり初めてだった。

MAPAもそうだったように、曲に合わせて変化に富んだパフォーマンスをするので見飽きない。かわいいもかっこいいも、愛しさも妖しさも艶かしさも、綺麗にブレンドしている。

世界観の構築も一瞬で、歌詞も、それに伴う振りの意義も、理解するのに時間を要しない。

振付を担当する雅雀り子の貢献度はえげつないと思う。
彼女自身の舞いはそれはもう芯の通った美しさ。それでいて満面の笑みを讃える時間も長く、あの邪気のない少女のような笑顔が目に止まるとこちらまで自然と微笑んでしまう(四天王バンドでピアノを担うsugarbeansさんも同じで、あの他意のない笑顔と楽しげな演奏にはこちらもつられて笑顔になる)

僕は役者でいえば門脇麦が大好きなんだけど、彼女も女優になる前まではバレエを幼少期からやっていた人で、やはり彼女の身体性にはハリボテじゃない積年の柔軟性があり、芝居にもフィジカルやバネを感じる。去年も門脇麦の舞台を観劇したときに、そのしなやかで美しいふくらはぎの筋肉、二の腕のインナーマッスルには見惚れた。

流れのついで語らせてもらえれば、僕は20代前半のときに数年ほど下北沢の劇場で働いていたことがあり、毎週2〜3本のペースで生の舞台を観ていた。

だからステージや映像の使い方、照明や演出の効果には自ずと感度が高くなる。

それをふまえてMETAMUSEのパフォーマンスには魅了された。

セットリストのスタートから終わりまで、振付も含めて物語性を感じたし、おそらくZepp shinjukuならではの映像技術や照明も効果的に使っていた。野外フェスなどで観るのとはまったく違う彼女たちの本質に見合ったステージだったはずで、常に次の1秒先にワクワクした。


僕個人は、西井万理那にもしばしば目を奪われ、レッスンや過程を良い意味で感じさせない開放感のあるパフォーマンスに映った。
それと顔立ち、特に鼻筋がすごく好き。

あとから数年前の豪の部屋(吉田豪の猫舌SHOWROOM)にて彼女と豪さんが喋ってるの観たことあったなと気付いた。その当時も彼女の鼻と奔放なトークには惹かれたことを思い出した。

藍染カレンは、オススメなのかフォロワーさんのRTなのか、Twitterのタイムラインでよく名前と顔を見ていた人で、本物も画像や動画と違わぬかっこよさがあった。とても華がある。そして誠実そう。

あの日観たなかで誰になら一番お金を貸せるかと考えたら、僕は藍染カレンを選ぶだろう。なんか血だらけ傷だらけになって修羅場をくぐっても、一切なんの苦労も語らず絶対に返済してくれそう。そんな誠実さをなぜだかライブで感じた。


てかMAPAもMETAMUSEもルックス良すぎ。顔良すぎ。衣装も可愛すぎ。客観的な対象としての「かわいいなー」を通り越して、もはや「あんなふうになりたい」って思っちゃった。それほどの魅力がある。

僕ですらそうなんだから、女の子からすればもっと切実に思うんじゃないかな。

いずれにしても初めてのMETAMUSEとMAPAが、このステージだったのは、ものすごく贅沢だったのはわかる。

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大森靖子+四天王バンドは圧巻だった。

数年ぶりに観たらさらにパワフルになっていた。彼女がギターを持って声を出した時点で僕の今日も、今日まで生きた過程もすべて報われた。
そう心から思えた。

ねじ伏せるような強さと、抱き締めて離さないような優しさを両立させた歌声は、耳に届くとか胸に響くとかそんなレベルじゃなくて、心臓を鷲掴んで直接語りかけるほどの迫力があった。

何より愛に満ちていた。慈しみというか、"誰ひとり取り残さない未来のために"は、SDGsではなく大森靖子が放つに相応しい言葉だろ。

パーティドレスやマジックミラー。新宿の地底で聴く『新宿』!
鳥肌はスタンディングオベーションし、立ったまま座らなかった。

ニューロティカが「花の都」と歌った新宿、東京事変が「豪雨」だと歌い出した新宿、僕が嫌いだった新宿。

そのどれもと違って、そのすべてを塗り替えて肯定してくれる"新宿"だった。

僕が心から愛している現在のパートナーと最初に出会ったのも新宿だったことを思い出した。アルタ裏の老舗洋食アカシアでロールキャベツを食べたのがその人との初デートだった。

大森靖子は僕のなかにある新宿をアップロードさせてくれたのだ。

アンコールの最後に聴いた生で聴きたくて仕方なかった『Rude』に僕は少しだけど涙が滲んだ。
すぐに泣いたとかいって感想も感情も秒速で片付ける人間が本来僕は嫌いだった。

「真剣なことを話す時に泣いてしまうような奴は嫌いだ。泣くのは自分に酔ってるからだ。何でも許されると甘えているからだ」
これは作家の村上龍の言葉だが、共感に値する。

それと劇作家の本谷有希子が昔ラジオにゲスト出演した際、そこのパーソナリティに「いやー小説読みました。泣きそうになりました!」と言われ、彼女はノータイムで「あ、泣いてはいないんですね」とマジトーンでカウンターかましていたのも好きなエピソード。


だから泣くことも泣きそうだと言うことも、人がどうするのかは構わないけれど、自分の中ではなるべく安易にしないと決めている。

そんな僕は泣いた。

涙ぐんだに近いけど、ほんのわずかにしずくが流れ、鼻腔を強く刺激した。歌詞を聴きながら思い出すことや思い当たることがたくさんあった。
それを本人の生声によって浴びられている感動もあいまって、感情は静かに、でも確かに揺さぶられながら眼球に水分を宿した。

大森靖子と僕は完全な同世代、タメである。

でも「靖子ちゃん」なんて気安く呼べるほどライブの数は行ってないし、彼女に心から救われ続けているファンの人たちのことを思うと、常に敬称略の大森靖子としか言えなかった。

別に年齢がたいした意味を持つとは思わないけど、それによって僅かに親近感は湧くし、刺激と勇気をもらえるし、何より畏敬の念を抱く。

同世代でこんなにも嘘のない表現で自分の大好きな音楽を貫き続けることに。

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ライブ終わり、地上に出ると夜風が心地よかった。

歌舞伎町一番街を歩いていると「インターネットで女性と出会い、女性の薦める居酒屋に一緒に行き、その女性が会計前に姿を消し、お店から高額請求をされるケースが横行しています」といった内容の注意喚起のアナウンスが流れていた。

外国人観光客は歌舞伎町のネオンを撮影し、ナンパ目的のハイエナは行きの時と変わらずセカンドバック片手に女の子を品定めしていた。

どうか今日のライブの素晴らしい余韻を、下心だけで出来たコンドーム並みに薄っぺらい言葉でライブに行った女の子たちに声をかけないでくれ。彼女たちの余韻を邪魔しないでくれと僕は心から願った。


大森靖子も、推しになりうるアイドルも、実在した。虚像でも偶像でもなく実像でだ。

僕らはあの日、彼女たちが新宿の地底でステージで輝きを放ったことを証明する。きっとステージの上に立った彼女たちも僕らの存在を証明してくれる。

相互の証明は共有され、未来に時が流れ続けても決して失われない強度で思い出に残る。


報われない欲や欺瞞が渦まく新宿で、あの日のZepp Shinjukuの、あの空間だけが唯一無二の真実で、救いであるような気がしたよ。


僕は靖子ちゃんのおかげで、新宿が少しだけ好きになれた。

次は山梨でのLIVEチケットを取った。山梨は僕の地元だ。


サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います