Article of the Day!【番外編】エスノセントリズム ethnocentrism
こんばんわ。米国から飛び火した人種差別への抗議と、警察による残忍行為への抗議は、フランス、イギリス、スウェーデンへ広がっています。心から心配です。
ここ日本では、抗議活動そのものはあまり起きていないものの、連日ニュースやソーシャルメディアで米国や世界の状況に心を痛めたる人も多いことでしょう。しかし同時に、多くに日本人(というかアジア人全般)は、この「肌の色」で起きる差別の問題について、意識したことも、考えたこともないのが現実なのではないでしょうか。
一方で、R&Bミュージックや、HipHopダンスなど、若者たちの多くの興味関心を惹きつけているアフリカ系の人たちが生み出すカルチャーに、日本人もすっかり馴染んでいる一方で、その歴史的背景を知らないばかりに、当事者であるアフリカ系米国人たちを知らずに傷つけている可能性があることを知っておくべきです。
そんな状況において、SpeakEasy TYOという東京でダンスイベントを開催している団体が、日本人向けに今のアフリカ系の人たちに対する差別と、その文化の背景に何があるのかを学ぶためのZoom・Facebook Live配信によるパネルディスカッションを開催しました。
私は以前取材をさせていただいた元GEISHA GIRLSの千野まやさん経由で、この配信について教えていただき、ライブは逃してしまったのですけれど、その後じっくりゆっくり拝聴しました。
ここで私がこのパネルディスカッションで聞いた中で、気になった言葉、重要だと思った点を、備忘録として列挙してみたいと思います。
根底にあるのは「白人至上主義」だ。
この言葉は、パネリストの一人で、ダンサーのブッダ・ストレッチさんの言葉です。そして彼は、この白人至上主義の背景にあるのは、アフリカ系に対する「嫉妬や恐怖心」に由来していると言っていました。
「文化盗用」の問題と、人種差別の問題は密接に関わっている。
アフリカ系として、経験しているリアリティを知って欲しい。そしてR&BやHipHopなど、日本人が好んで受け入れいているカルチャーの背景に、受け入れがたい差別という事実が存在していること。400年、500年という歴史の中で、積もってきた差別に対する思いが、ダンスや音楽のルーツにあることを知るべきと話します。
「Racism(差別)」とは何か。
シンガーのムームー・フレッシュさんは、「差別には<社会的システム上の差別>と、個人的な感情による差別が存在している。システマチックな差別は、他のグループと区別されることで、根が深くて面から見えづらい。警察による残忍行為(例えば、アフリカ系というだけで、職務質問したり、最初から疑ってかかるなどを含む)は、その社会的なシステム上における差別の一つだ」。
日本在住のジャーナリスト、バイエー・マクニールさん「さらにシステム的な差別は、根底に肌の色を含め、<ある人種が他の人より優れている>という考えを信じているところにある」と言っていました。
マクニールさんは、さらに差別をする人たちについて三つに区分していると説明しています。①Shit-Taker(多分これであっている?!):自ら望んで差別をし、それに見合った(ひどい)行動をとる人。②Poser:理屈では差別について悪いことだとわかっていながら、周りに洗脳されたり、社会的な圧力から差別をしてしまう人。③Oblivious People:差別に対して無頓着な人たち。何も考えていないために、自然に差別的な行動を取ってしまう人。
マクニールさん曰く、米国では①または②が多いが、日本では③が多いそうです。例えば、顔を黒塗りする人。意味を理解せずにNワードを連発する人たちなどです。(ちなみに、Nワードはアジア人は絶対に使ってはいけない言葉だそうです)
アジア人として何ができるのか。
実際に司会のテリーさんが、パネリストの一人、ダンスイベントのオーガナイザーのミシェル・バードさんに投げかけました。すると「差別を受けている当事者ではなく、第三者であるアジア人(日本人)が、積極的にこの問題に関わることはとても重要だ」と言っていました。
なお、ミシェルさんも、もう一人のパネリストのムームーさんも、ティーンエージャーの男の子のお母さんで、毎日家を出る息子に、「フードを被ったままうろつかない」と言ったような注意を話さなくてはいけないと悲しそうに語っていた彼女たちの言葉は、同じ母親としてかなり胸に突き刺さりました。
「Microaggression(マイクロアグレッション)」という言葉
ウィキペディアによると、
a term used for brief and commonplace daily verbal, behavioural, or environmental indignities, whether intentional or unintentional, that communicate hostile, derogatory, or negative prejudicial slights and insults toward any group, particularly culturally marginalized groups.
(訳してみます:日常で使う言葉や、態度、社会的軽蔑が、その自覚のあるなしに関わらず、ある特定のグループ(特に文化的にまとまったグループ)に対して、敵対心を宿わせてしまったり、傷つけたり、軽い差別をすることを指す言葉)
「自覚なき差別」と呼ばれるものです。これはまさにジャブのように「塵も積もれば山となる」で、心理的に差別が与えられていく状況です。先ほどのマクニールさんのカテゴリーにある③のタイプの人が、やってしまいがちですね。まさに「ステレオタイプ」というものが起こしがちな問題です。
アフリカ系は、アフリカ人ではない
パネリストの一人、DJのスキーム・リチャードさんは、「アフリカ系アメリカ人は孤独だ」といいます。それは、自身が初めてエチオピアに言った時、彼のパフォーマンスやHipHopという音楽そのものは、現地の人たちから広く受け入れられたが同時に「君たちは僕たちとは違うよね」と言われたからだそうです。
一方でアメリカ生まれのアフリカ系として、勤勉に学び、働き、仕事もステータスも手に入れ、図太くもなったが、今でもファーストクラスに乗る時、順番などで差別を受けることがあると話していました。またあの有名なセレブリティのオペラ・ウィンフリーは、実際に入ろうとした店で、彼女のことを知らなかった白人のオーナーに、入店を断れられたことがあったということで、お店を買い取れるだけのお金がある人でも、肌の色で差別を受けているというのです。
ここで文化を学ぶために私たちができること:
DJのリッチ・メディナさんが、アフリカ系人たちの文化や歴史を学ぶためにおすすめの2冊は、この本です
そして、「奴隷」という言葉は不正確で「奴隷として、アフリカから連れてこられた人たち」というのが正しい言い方だ、とパネリストたちが言っていたのが印象的でした。
エスノセントリズムという考え方。ウィキペディアによると
エスノセントリズム(英: ethnocentrism)とは、アメリカの社会進化論者ウィリアム・サムナーの造語で、自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族、人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のこと。自民族中心主義、自文化中心主義とも呼ばれる。
ベル・フックスの名言も響きます
ボブ・マーレーの名曲も響きます
最後に、アフリカ系から日本人である私たちへのメッセージとして「僕たちのカルチャーを、<コスチュームとして>着ないで欲しい」というメッセージ。これは私が、「着物や浴衣を着崩して着用する人に対して持つ違和感」に近い感覚なのかな、と思っています。真似ではだめ。
そして、ただ音楽を楽しむだけでなく、その音楽の背景にある歴史や文化もしっかりと知って欲しいと言っていました。
People ARE the music (人々こそが音楽なのだ)
まさに、この一言に尽きる。
そして、Empathy(思いやり、共感)の重要性も訴えれてました。
中でも、白人で反人種差別運動家であるジェーン・エリオットさんの話題が出たので、調べてみたところ非常に興味深い研究をされた活動家でいらっしゃいました。
エリオットさんの実験が記録されたビデオが残っていたので追加します。
2時間を超える長いパネルディスカッションでしたが、学びが多く、またこれをきっかけに自分の態度を考えるという点で、勉強になりました。昨年米国に帰国した時、初めて面食らうほど差別的な対応を受けたことがありました。2度とも、食事をしていたレストランでのこと。結局実際に嫌な言葉をかけられた訳ではありませんでしたが、いわゆる「Dirty Look」と言われる嫌な視線を浴びて、正直かなりショックでした。(一度は完全に無視されるという経験も)
改めて「そうだ、私はマイノリティーだったんだ」という事実を突きつけられた瞬間でした。ちなみに米国という社会はそんな人たちばかりではないことも知っているのですが、肌や出身国、人種という括り人をグループ化し、視線を投げかけるという点では、自分も無意識に加担していることがあるのかもしれないと思ってしまいます。
今できることは、この現実を受け止め、家族や友人たちと話しをし、そして一人のジャーナリストとしては、共有できる情報を多くの人に届けられたらと考えています。