【Y2K】ファッション工科大学FIDMがくれたのは、人脈だった
私が留学先に選んだFashion Institute of Design and Merchandising、通称FIDMは、ロサンゼルスのファッション業界で幅を利かせている大学の一つだ。ファッションデザインならOtis、グラフィックデザインならArt Schoolと言った学校があるが、MerchandisingやMarketingという視点で言うと、私はやはりFIDMは最強なのではないかと今でも思っている。
そもそもFIDMをどこで知ったかということ自体すっかり忘れてしまったのだが、元々日本の学生時代ファッション業界を夢見ていた時に、学校の存在を何かの雑誌の記事で知って、実際に大学4年の時に就職先が決まっいたにもかかわらず、留学への未練から卒業旅行で訪れたことがきっかけだ。当時ウェブサイトにリクエストをして、一緒に旅した帰国子女のBFFに付き合ってもらい、参加したスクールツアーでの経験が、頭の片隅に常に選択肢に入っていた学校だったことは大きい。
ちなみにその時にすぐ留学をしなかった理由は、学校の説明を受け、勉強する内容を聞いても全くピンとこなかっただけでなく、そのタイミングで留学をして自分が何をしたいか、何者になりたいのか全然想像できなかったからだ。
この記事にも書かれているが、FIDMの講師たちは、業界のど真ん中にいる人たばかり。私の先生たちの中には、つい最近まで「Targetで部長をしていた」という人や、「GAPのバイヤーだった」という人たちが、業界の経験値をガンガン共有してくれながら、授業をしてくれた。
そのため学んだ手法や考え方がまるっとそのまま卒業後の仕事に生かせるが魅力だ。かくいう私も、FIDMで学んだことの多くは、その後の仕事でいかせたことも多く、さらに前職に戻れたらこんな風に活かせるのに! と思うことばかりだった。
逆にいうと、ファッション業界での経験が乏しいと、全てを想像で行わなくてはならないわけで、授業はおそらくちんぷんかんぷんなのだろう。途中から学校に来なくなったうら若い10代の学生たちが、学校を辞めてしまう理由も分からなくもない。
当時のブログが今の残っている:
学校の様子がだいぶ変わってしまったので(2年制大学から、卒業した直後に4年制のプログラムも始まった!)内容的にはちょっと今の学生たちと違うことも多いかもしれないが、このブログを書いてから、本当にたくさん留学を考えている方から相談のメールを受け取った。
留学当時は、自作ブログを作っていたのだが、途中でメールサーバーを変えるタイミングで色々変更する必要が出て、当時書きやすかったブロガーに移行させた。
FIDM生活を振り返ると、本当に人に恵まれた9ヶ月間だったと思う。
講師たちも、みんなユニークで私がその瞬間瞬間で必要なことを教えてくれたし、講師との人間関係においては、今でも付き合いの続いている先生さえいる。
そして、同級生たちだ。残念ながら今も「親しい友人」と言えるほどの距離でいる友人は日本人しかいないのだが、学校前のバス停で仲良くなったブラジル人の友人や、授業のほとんども一緒で、プロジェクトも2人で頑張った台湾人の友人とは今も交流がある。
当時から「靴売り場といえば」と言われていたノードストロームのシューズコーナーで、成績を上げていた米国人の男友達もいたし、ダンサーで、今では不動産業界で活躍している女友達は、元々同じ授業を取っていた子だ。
さらに在学時代ファッションデザイナーのアシスタントとして奔走しながら授業に出ていたクラスメイトのおかげで、LAファッションウィークの際に、ファッションショーの「フィッター」という仕事をさせてもらった。
まさにファッション業界に裏の仕事。現場だ。
1回目は、ウエストハリウッドの「The Grove」で開かれたイタリア人デザイナーのファッションショー。ステージは屋外型モールの中庭だったので、控室からモデルが出るまでの服や小物の確認と、それを身につけてチェックする作業を手伝った。
2回目はダウンタウンのとあるビルの屋上で開かれたファッションショー。そこはランウェイが用意されていた会場の裏手で、やはり靴を並べたり、順番に渡して履いてもらったりとした動きを担った。
私は他の同級生に比べると年齢的に上だったので、留学生だったけれど、声をかけてくれたクラスメイトは、私を信頼してくれていて、割と重要なポジションに配置してくれた気がする。私にとっては、なんでも現場で働けるならよかったので、もちろん無給だったが最高にいい経験となった。
さらに、大学では有名人の講演会は、ガラパーティーといったイベントも頻繁に開かれていた。成績が良かったおかげで、3ターム目には、学部の成績優秀者が参加できる「Premier Marketing Group」という会に参加できるようになった。
月1だったか、週1だったか記憶が怪しいが、業界のゲストを呼んで、一緒にランチをしながら色々話しができる場だ。多くの米国人はその時に自分を売り込み、ある意味リクルーティングの一環で仕事探しをしていた。
ここで留学生のマイナス点があった。というか当時はあると思っていた。ちなみに、今なら全くそうは思わない。「欲しい」と思われる人材になれれば、あとかでステータスはどうにでもなると思っているから。
でも当時20代の私は怯んだ。ランチオンではほぼ「聞き専」。挨拶はするものの、自己P Rはそこそこしかできていなかった。それでも、大学内のイベントのボランティア仕事など、先生が先に回してくれるわけで、ある意味特権をもらったようなものだった。
今はこの制度が存在しているのか分からないけれど、この20年で自分の態度も、考えもずいぶん「図太く」なったし、そして経験の厚みが自信に繋がるようになったのだなぁ思う。
人脈の流れで言うと、忘れてはいけないのだ、大切な「日本人のFIDM仲間たち」だ。そのうち1人あやちゃんは、卒業後に私が独立して、グラフィックデザイナーとして仕事をお願いして以来、たびたび一緒のプロジェクトをやってきて、今も仲良しの1人。
同じ時代に同じ場所で生活をしていたことで、共通言語があると思うだけで、精神的に安心感が生まれるのはなんなのだろう。
FIDMは卒業してからもたっくさん私を支えてきてくれた。フリーランスジャーナリストになってからは、さらに色濃いのだが、その話はまた別の時に。
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