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夏の甲子園から野球の歴史を考えてみる

こんにちは。
まだまだ暑い日が続きます。
ただ、個人的には子供の頃から夏の甲子園が終わるとああ夏ももう終わりだなぁという寂しい気持ちになります。
毎日、暑い暑いと言い、早く涼しくならないかなぁと言いつつ、終わりが見えてくるととっても惜しく感じるのが夏、人間とはアンビバレンスを常に抱えた生き物だなと思います。

見どころ満載の夏の甲子園


さて、そんな中、先日夏の甲子園が終了しました。
結果的には、慶応高校が107年ぶりの優勝ということになりました。
準優勝となった仙台育英高校は、今年の甲子園では、浦和学院高校、聖光学院高校、履正社高校とベスト8に進むまでに全国屈指の強豪を破ってきており、その後も東北のライバル花巻東高校、強打の神村学園高校を破りました。
前評判では、仙台育英高校か?と言われていましたが、決勝は慶応高校の大応援もあり、思わぬ大差が付く結果となりました。

昨年、東北勢初の甲子園優勝を果たした仙台育英。
昨年時点でも2年生として、高橋投手、湯田投手、仁田投手、山田内野手、住石内野手、橋本外野手などがバチバチ活躍しており、来年も相当強いだろうなと言われていました。
また、下関国際高校に惜しくも敗れましたが、大阪桐蔭高校は、昨年春のチャンピオンであり、その投手陣を支えた前田投手も2年生であり、2023年は大阪桐蔭か仙台育英かといった予想がよくされていました。

蓋を開けてみると、春の甲子園は山梨県勢初の優勝を果たした山梨学院高校、夏は前述の通り慶応高校という形になりました。
また、春のベスト4である山梨学院高校、報徳学園高校、大阪桐蔭高校、広陵高校のうち3校が夏の甲子園出場を逃すという結果になりました。
改めて高校野球というのは予想が難しいスポーツであると感じました。

107年ぶりという快挙

さて、慶応高校は107年ぶりに優勝したわけですが、107年ぶりということが世間では話題になっています。
107年前から野球部が存続していることもそうですし、107年間どんな変遷があったのかということにスポットが当たっています。

みなさんご存知の通り、慶応高校の神奈川県は全国屈指の激戦区(慶應高校は当初東京代表でしたが途中で鞍替え)でありまして、なかなかに勝ち上がることが厳しいことで有名です。
横浜高校、東海大相模高校、桐蔭学園高校、桐光学園高校、横浜隼人高校、日大藤沢高校、平塚学園高校などなど挙げるとキリがないほどたくさんの強豪校があります。
それ以前は、Y校(横浜商業高校)や法政第二高校なども全国的な強豪校として名を馳せていました。

実際、慶応高校が直近で夏の甲子園に出場したのは、2018年と2008年ですがともに記念大会で神奈川県が2枠の時です。ともにもう片方の出場校は横浜高校でした。
1枠で神奈川を制したのは、1962年以来ということでこれでもものすごく長いブランクがあったことがわかります。

昔の野球

さて、慶応高校が前回優勝したのが1916年ということですが、ウィキペディアによると日本にはまだプロ野球は存在していません。
1920年に、合資会社日本運動協会というプロ野球球団が出来たのが始まりらしく、かの読売巨人軍は1934年に設立されています。
一方で、日本の野球の祖とも呼ばれる大学野球では、1903年には既に早慶戦が開催されていたようです。
日本においては、アマチュアスポーツとして発展した野球が、やがてONの登場などによってプロ全盛期を迎えていった軌跡がよくわかります。

アメリカでは

一方のアメリカでは、1916年時点ではベーブルースがボストンレッドソックスに在籍しておりまして、既に職業野球が大きく浸透してる様が伺えます。
その中で、米国の野球カードの世界では、ベーブルースやルーゲーリック、ミッキーマントル(少しあとの世代)のカードは当然ながら、現在非常に高価で売買されています。
実際には、その当時ではなく、だいぶ後に発売されているものが多いとは思いますが、1916年当時の選手カードが発売されていることもすごいわけです。

おそらく、1916年の日本では、野球人気はかなりあったと思いますが、その当時の超スタープレイヤーの物品が今出てきてどれくらいの価値が付くのだろうとふと思います。
大袈裟な言い方かもしれませんが、あるものが社会に浸透し、それを歴史に刻み、今もなおリスペクトするといった米国の姿勢がスポーツカード一つとっても垣間見れるような気がしてなりません。



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