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骨格診断やカラー診断で似合うモノを知ることと、お洒落になれるかどうかはまた別の話
これだからアパレルの人は…なんて言われそうだけど、あえて書きます。なんやかんや20年はファッション業界にいるので、ちょっと書かせてください。
似合うということは、着る人に自信を持たせてくれるし、とても良いことだと思います。販売員の私自身、似合うものに出会ったときのお客様が見せる、戸惑いと嬉しさの入り混じった表情が大好きです。
「診断系」が浸透することで服装に悩む人が減るのはとても良いことだし、お金を払ってでも自分のモヤモヤを解決したいという行動力には熱意を感じ敬意も抱きます。
しかし「診断系」は、ファッションを知るのではなくどちらかというと自分を知って納得するためのものです。持って生まれた自分の身体に何が似合うか、何が向いているかを知って無駄に苦労しないでいいようにするためのものです。ファッションができるようになるものではありません。
適職診断などもそうですが、「なんとなくそんな気はしていたけど、そういうことか!」と性格の特徴などを整理して言われるとスッキリしたり、理由に納得度が高いとその後の人生をかけた選択の参考にしたりしますよね。
でもその診断結果で向いているとされた職業に就けば成功が約束されているわけではなく、結局は自分がどれだけ取り組むかが肝心です。
診断は、きっかけでしかないのです。
「そんなこともちろんわかってますよ。そのきっかけが欲しくて/提供したくて、診断するんです」という声が聞こえてきそうです。
でも、診断すればオシャレになれるとか、オシャレが分かるとか、そういう触れ込みが多くないですか?
オシャレが分かるんじゃなくて、自分が分かるだけですよね。
じゃあ誰がオシャレにしてくれるのでしょうか?
ファッションとしての「お洒落」は、着る人と、ファッションを分かって売る人・提供する人の成果物だと私は思います。
パーソナルスタイリストを名乗る人の中には、ご自身のコンプレックスをウリにしている人がけっこう多くて、「こんな私だからこそお客様に身近なご提案ができます」というフレーズが本当によく出てきます。
贔屓目かもしれませんが、もともとアパレル販売員をある程度の年数やっていた方のスタイリングは、時代の流れも取り入れつつ、ファッションとして評価できると思うのですが、そうでなくて資格だけ取った人のスタイリングは割とひどいです(我こそは、という方お待ちしてます)。
色は確かに顔に似合ってるし、確かに前より着やせして見える、…でも、なんで今の時代に?と突っ込みたくなるコーディネートや着こなしが散見されて、どうしたってなんちゃって感が否めません。
それでも、そういう方たちは「身近な存在で相談しやすい!」などの評価をもらって商売にされています。お客様あっての商売ですので、お客様が満足してお金を払われているのでしたらそれはそれでよいとは思います。
ただ、ファッションの人ではないので、そこだけは一括りにされたくないし、とっつきにくいファッション業界に風穴を開けた功労者のような言い分やポジショニングもちょっと違うと思ってしまいます。
さらには、アパレル販売員が「自分たちよりパーソナルスタイリストや診断士のほうがお客様にニーズがあるのかも」なんて思いはじめたらおしまいだと思っています。仕事で目的としていることは別々のはずなので。
私たちファッション業界の販売員が提供しているものは、「似合う+イケてる」ことです。
アパレル販売員が診断系の知識を身に付けたらそれはそれはファッション業界にとって大変頼もしいと思います。
ファッションは自由でみんなのものだけど、他者の介入でファッションのレベルを落としたり自律できないのは何か違うし、そんなことで余計にファッションがよく分からなくなる前に私たちがしっかりしないとなぁと思います。
おわり
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