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環境の変化とその世界での「当たり前」


個人の価値観はその人の育った環境に影響されていることが多い

と僕は考えている。これ自体を良いとか悪いとかは言いきれない。

ただ、考え方を固定化するのは自分にとっても、他の人にとってもあまり良いことは生まれないのでは?と思っている。柔軟でいられるように色んな場所へ行き、色んな人に出会い、色んな経験をすることが大切だとも思っている。(現在はそれができないのが辛い。)


さて、そんな中で今年ずっと考えていること。

コロナ渦で大学はオンライン授業となった。

オンライン授業を受けるときに、学生はそれぞれネット環境があること、一人で勉強できる空間があることを前提にすすめられた。

そんな時に僕は「いつのまにか違う世界に入ったな。」と思う。


僕はあまり裕福な地域ではないところで育った。地元の小中学校に進学したので同級生となる子の家庭状況は様々。

1年中半袖、短パンで過ごしている子。(小学生くらいなら好んでそういう恰好をする子もいるかもしれない。でもあの子は冬、とても寒がっていた。)

片親家庭で歳の離れた兄弟に面倒をみてもらっている子。

経済的理由から受験する高校を決められている子。

その他いろいろな子がいた。

最近「ヤングケアラー」という言葉が浸透してきているが、僕はずっと前からその存在はとても身近だったし、僕もその一人だ。



高校、大学と所属するコミュニティが変化するたびにその環境での「当たり前」も変わる。

僕はいつのまにか上述したような「当たり前」がある世界に身を置いていた。


自分の育った環境や子ども時代を一緒に過ごした彼ら(自分も含めて)をないものとされているのはモヤモヤする。よくセクマイ当事者はいないことが前提にされていると感じることがあるけれど、それと同じ。


各々が少し想像力を働かせれば、想定できるはず。


何が言いたいのか分からなくなってきたけど、とりあえず僕はもっと人と関わって色んなことを知りたい。様々な立場から社会を捉えられる人になりたい。

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