不思議な昨日の、或ること
昨日は、久しぶりに暖かくて、気持ちが良い日和でした。夜に、大好きなヴァイオリニストのアテフ・ハリムさんのリサイタルがあったので出かけたのですが、少し速足で歩くと、汗ばむほどでした。
このアテフさんのリサイタルについては、別に記事にします。いろいろ感じること・思うことあった時間でした。
家を出るのが午後2時半ごろだったので、午前中に布団を干して、取り込んでから出かけました。ウォーミングアップ代わりですね!(^^)!
氏神様に、道中の安全と留守中のお守りをお願いして出かけました。
リサイタルは、午後7時でした。会場は、東京の荻窪にある杉並公会堂です。以前、クリスマスごろに出かけたことがありますが、4年前のことです。乗り換えなどすっかり忘れていたので、検索で調べると、大体電車で1時間半必要です。駅から少し歩くので、余裕を見込んでも、2時間あれば十分です。
なのに、こんなに早めに出たのは、ちょっと思うところがあったからです。この日、何故か、いろいろ予定が重なっていました。アテフさんのリサイタルに行くことを選んだのですが、ほかにも知人のライヴがあり、絵描きの友人の個展や作品展があったんです。
それで、或る友人の作品展(グループ展)が新橋のギャラリーで開催されていたので、道中でもあり、寄ろうと思ったのですね(もう一人の友人の個展には気がすすまなかったので、今回は失礼することにしていました)。友人も在廊らしかったので、挨拶しておきたかったのです。
久しぶりに、新橋駅で降りました。以前来た時は、駅の構内は工事中でしたが、それも終わって、すっきりしています。うろ覚えで、改札を通り、出口から外に出たのですが、記憶にある風景とどうも違います。駅近辺の案内板を観たのですが、よくわかりません。
「こっちだったよなぁ・・・・・」
いやはや、相変わらず良い加減なんですが、怪しい記憶を頼りに歩いてみました。
ほどなく「あ!」と叫んだ私は、そこで立ちすくんでしまいました。目指すギャラリーとは違うけれど、これまた見覚えがある風景に出会ったからです。日比谷神社への道筋でした。
6年ほど前だったように思うのですが、その年の夏、私は大好きなチェンバロ奏者の加久間朋子さんご出演のコンサートに出かけました。ところが、ホールが初めての場所だったうえ、私は新橋方面、本当に不案内なんです。それまで出かける用事がなかったからですが(新橋演舞場とか全然ご縁がない私です)、もともとの方向音痴も手伝って、さんざん迷いました。
「これは、ダメかも・・・・。遅れるなぁ・・・」
そんな絶望的な気分に陥っていたのですが、そこを手助けしてくださったのが、この「日比谷神社」だったのです。
何故か、何処から歩いても、この神社の近辺に来てしまいます。もう夕暮れ時で、参拝には似つかわしくないのですが、鳥居の前で簡単なご挨拶をして、お力添えをお願いしたのです。
そうしたら、ほどなくホールへの道が分かったのですね。なんと、日比谷神社の裏手が、目指すホールだったのです。おかげで、到着したらまだ開場前というタイミング。スタートから存分に楽しませていただきました。
帰り道、神社のそばを通りましたので、心の中で手を合わせて、「ありがとうございました! いずれ、お礼に伺います」とご挨拶して、帰宅したのです。私が、初めての場所では氏神様にご挨拶したほうが良い、ということを改めて痛感した経験でした。
ところがその後。何度か近くに行く用事があって、お礼参りに行こうとしたのですが、たどり着けません。もちろん私のことですから、出口を間違えた可能性もありますし、何処かで方向を誤ったのでしょう。気になっていたのですが、どうしようもありませんでした。
それが、まるで参拝が決まっていたかのように、日比谷神社への道がすっきり思い出されました。
「ああ、今日は、お礼参りをする日なんだ」と考えて、明るい夕暮れに、やっと長年の約束を果たせたのでした。
念願がかなったのち、改めて友人の作品展に向かおうとしたのですが、こちらは無理でした。友人は、今年まだいろいろ作品展をやる予定なので、そちらには必ず都合をつけることにして、少し早いのですが、リサイタル会場のある荻窪に向かうことにしたのでした(友人には、行くことを告げてなかったので、幸いでした。直前まで迷っていたので)。
なんでもないことかもしれません。けれど、なんだか、昨日お礼参りをしたことで、新しい展開があるように思っているという、おめでたい(≧◇≦)人のお話でしたm(__)m💕💛
大寒波が来ると、しきりにニュースになっています。お手柔らかに願いたいものです。皆様も、どうかくれぐれもご自愛くださいm(__)m💕💛