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肩の荷が下りた気分♬

昨日、随分長く書けないでいた、先月前半の落ち込みの話を書いた。

「まぁ、書かなくったって、誰も、気にしないよねぇ・・・」などと、言い訳もしていたりしたのだけれど、やっぱり書いておくことにした。

そうしたら、何故か、すっきりしたのだった。書いたことで、改めて、視えてきたことも分かったこともある。

実は、少し前、私の大好きなつきよるほしこさんが、「なくしたくないものをなくしたい」というテーマで、書いておられて、それが、ずっと心に残っていた。

ほしこさんは、”なくしたくない”という執着を棄てたいのだ、と、おっしゃっていた。そのうえで、それでも、捨てたら寂しいだろうし、また、”なくしたくないもの”を見つけるのじゃないかな、と、真剣に悩んでいらっしゃったのだった(ほしこさぁ~ん、まとめ方悪かったら、ごめんなさい!!!!)。

その気持ち、よくわかった。私も昨日少し触れたのだけれど、一緒に生きているインコたちとの別れが続いて、めげていた時。

「もう、こんなにつらいなら、この子たちと暮らすことなんか(辞めたい)・・・・」

そうふうぅっと、思ったのだ。でも、はっと気づく。それが実現したとしたら、私は生きていない。生きていく甲斐がなくなるから。

かつて、進学のために上京し、一人暮らしを始めて8年ほど、私は初めて動物がそばにいない生活をした。上京前に愛鳥を事故で亡くし、しかも上京後、愛犬を死に追いやってしまった私は、「もう、自分には動物を飼う資格はない」と思い詰めた。極悪人のように自分を呪って、無意識に自滅に向かう生活を送っていたのだった。

この時、何故こんなに苦しんだか。今ならわかる。私は、自分を断罪しながら、その一方で、やはり、動物との生活を望んでいたからなのだ。

その経験があるから、つらいのも本当だったけれど、ピポナたちとの生活をやめるはずがないこともわかってはいたのだ。ただ、あまりにつらい別れが続き過ぎたので、気持ちが弱ってしまって、そんな弱音をはいちゃったのだろう。

それでも、今回noteにそういう自分をさらけ出せて、肩の荷が下りた気分でいる。

ハナが来て、35羽に戻った我が家の場合、少なくともあと35回の別れが待っている。年を取ってゆくから、回復力も落ちていくわけで、さらに堪えることも簡単に想像がつく。

それでも、彼らと暮らしてゆく生活は、捨てられない。日々の喜びが大きいから。別れのつらさを忘れていられるくらい、彼らとの生活は、忙しいのだから。

そんな決意めいた気持ちになっている土曜の夜です。明日も不安定なお天気とやら。皆様、どうぞ、良い夜を。おやすみなさい。

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