見出し画像

デジタルの時代でも、命と暮らすことはアナログです。

最近、頭の中によみがえって、こだまする言葉があります。

「フラーノさん、簡単に飼える鳥って、なんですかね?」

これは、もう15年以上前、私が夢の国の住人だった頃、所属するグループの同僚からの質問でした。

私は、そのころ職場での自分と、それ以外の自分とを区別していました。いうなれば、”公私の別”って感じですけれど、職場で自分のプライベートは明かさない人だったんです。

それでも、何かの折に上司にたくさんの鳥と暮らしていることを話したことがきっかけで、同僚たちにも私が鳥好きだということは知られていたのです。

上記の質問をしたのは、私よりも若い男の人でした。彼はその少し前、お付き合いしていた女性と結婚したばかりだという噂を聴いていました。眼鏡を作る職人さんの資格を取り、就職先も決まって、数か月後には退職することも決まっていました。
ただ、結婚したあたりから、欠勤が増えて、上司や先輩たちから白い目で見られるようになり、次第に孤立していたのでした。

加えて、彼がかなりの映画好きで毎日のように映画館で映画を観ているという話も聞いていましたし、旅も好きらしいんですね。つまりは、家にいることが少ない生活のようです。

この彼が、何故鳥を飼おうと思ったのかは、私には知る由もありません。今の私ならば、彼への対応も違っているでしょうが、当時はかたくなな部分が強かった(今以上にね(^^;)。しかも、自分が大切にしている鳥のことに踏み込んできた挙句、さらに私をむっとさせる表現をしたんですよね。

「簡単に飼える鳥」

鳥は命です。生き物です。それを”簡単に”飼えるって、何それ?! 

私は怒りを抑えて、彼に、”簡単に”飼える鳥などいないこと、家にいないことが多いし、鳥が来たらいろいろ制限もかかるようになるから、辞めたほうがいいという趣旨のことを話したように記憶しています。

彼が、鳥を軽く考えているらしいことがうかがえたからでした。おそらくですが、かごに入っているような小さい鳥なら、散歩も要らないし、食事も大したことないだろう。ストレス解消にはいいんじゃないか。その程度の気持ちだったように私は感じたんですね。

本当のことはわかりません。そのころ、職場で気まずい思いをしていた彼は、鳥のことを話題にして私の気を引いて、何かの相談をしたかったのかもしれません。愚痴をこぼしたかったのかもしれませんね。

けれど当時の私は、自分を閉ざしていましたし、ましてや大切な存在を軽く扱っている雰囲気に腹が立ってしまったのでした。彼の気持ちに寄り添う余裕は、少しもありませんでした。

ここまでお読みくださった方で、「あんた、何そんなに怒ってたのよ?」と、呆れた方いらっしゃるかもしれませんね。ただ、そういう方に考えていただきたいんです。

「簡単に飼える鳥」と、「飼うのが簡単な鳥」のニュアンスの違いを分かってほしいんですよね。ここでの”簡単”には違いがあるんです。この言葉を「易しい」に置き換えられるかどうか。私が感じた怒りの原因もそこにあるんです。

人と暮らす鳥さんにもいろんな種族がいます。その中には、鳥さんと初めて暮らす人には難しい、あるいは危険ですらある種族もいます。

飼育書には「初心者向きの鳥」という表現もあります。先にあげた言葉の後者は、こちらの意味を含みます。つまり、鳥さんの食事がお店で入手しやすいし、日本での飼育歴が長いので、この国の気候に順化しているので丈夫。性格も穏やかだったり陽気だったりして、人に慣れやすい。繁殖もよくされているので、お迎えもしやすくて価格も手ごろ。つまり「鳥さんが欲しい!」と思ったら、割にすんなり同居生活をスタートさせられるということなんですね。

ですが、前者の場合。私には”お手軽に”飼えるという態度を感じるんです。服やバッグのように、気にいったから買う。鳥を命ではなくものとして扱っている気がするんですね。
実際、ここ3年間のコロナ騒動では、巣ごもりを強いられて、家にいる時間が増えたから、と、安易に鳥をはじめとした動物たちを迎えて、世話ができなくなったからと簡単に捨てるという行為が増えていると聴きます。命を軽視しているこの国の世情の現れかもしれませんが、私はそうした話を聴くたびに、胸がつぶれる思いがします。捨てられた子たちの不安や悲しみは如何ばかりかと。

もうひとつ申し上げさせてください。

鳥さんを棄てる場合、時々鳥さんをかごから出して、外に放す方々がいらっしゃいます。自由になって、生きて行けということらしいです。外には野鳥もいるし、食べ物もあるから大丈夫だろうという考え方のようです。

そんなことをされて、生きてゆけるのは、おそらく幸運な1%未満です。
野鳥たちは、自然界で生きていて、親たちからそこで生きてゆく知恵を教わります。だからこそ、生きてゆけます。食べ物に対する知恵があるからです。外敵についても危険な存在の基礎も教わっています。

けれど、人と暮らしている鳥さんたちにはそうしたものは一切ありません。本能で何とかなるのでは? と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、本能で生きてゆく力をつける前に、ほとんどが体力を失って、あるいは大きな鳥や動物たちに襲われて、命を落とします。
食べられるものもわからないし、そもそもそうしたものを得る方法も知りません。鳥さんは、飛ぶために身体から無駄をなくしているのだそうです。食べたものを瞬時にエネルギーに変えて、素早く飛べるようになっているそうです。だから、食事ができなくなれば、あっという間に体温が下がり、体力がなくなるんです。動けなくなった鳥さんを待つものは、衰弱死か外敵による捕食です。

うっかり家から逃げ出した子たちも、そうです。伝書バトが有名なので帰巣本能で帰れると思ってらっしゃる方も少なくないようです。ですが、あれは、訓練の賜物です。私は伝書バトと暮らしたり、鳩のレースに参加したこともないので、詳細は存じません。ですが、迷子になった鳥さんたちが無事におうちに戻れるのは、彼らの帰巣本能のおかげでないことは確かです。優しい心あるかたに保護されている場合がほとんどです。そして、そうしたことはSNSが発達した現在、昔よりは増えたようですが、やはり、奇跡に近いと申し上げたいです。

子どものころから人との居住空間の中にいて、野外の地理が一瞬で頭に入るはずがないでしょう。家出をした子は何かの拍子に驚いて、一目散に飛んでゆくことがほとんどです。私も何度か家出させてしまったことがありますが、かごの鳥とは思えないほど素早いスピードで外に飛び出し、しかも高く舞い上がってしまうんです。帰巣本能があったとしても、発揮できないでしょうね。

命と命との共同生活は、根本的にアナログだと私は想います。作業の簡便さは実現したとしても、やはり、肝心なところは観察であり、日々の注意であり、覚悟です。”簡単に”飼える命など一つもないのだと、自戒も込めて申し上げたいと思うのです。

お天気が回復するようです。寒暖差の大きな週末ですね。皆様、くれぐれもご自愛くださいませm(__)m💕💛

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?