命のバトン ~杉原千畝から根井三郎へ~

根井三郎を知っていますか?

根井三郎? WHO? いう感じだと思います。


根井三郎。昭和前期の外交官です。

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ソ連在ウラジオストク日本総領事館総領事代理を務め、杉原千畝がカウナスで書いた数千人のユダヤ人に出した「命のビザ」をウラジオストクで受け取って、日本への乗船許可を出した人です。

命のビザ

1940年7月19日から8月31日までリトアニア総領事(といっても、外務省からの職員は杉原だけ)の杉原千畝は、毎日毎日腕が上がらなくなるまで、カウナスを発つ列車が出発する直前まで日本行のビザを書き続けました。

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時代背景を説明しますと、ときは第二次世界大戦がはじまったばかり。「バスに乗り遅れるな」を合言葉に9月27日には日独伊三国同盟が結ばれました。

同盟が結ばれるかの交渉中の時期に、相手国政府、ナチスの国是ともいうべき反ユダヤ人政策に反する形で、国を追われた難民たちに数千枚のビザを書きました。

本国の命令からはこんな通達が出ています。

「貴殿第三九號ニ關シ、陸海軍及内務各省ト協議ノ結果、獨逸及伊太利ニ於テ排斥ヲ受ケ外國ニ避難スル者ヲ我國ニ許容スルコトハ、大局上面白カラサルノミナラス現在事變下ノ我國ニ於テハ是等避難民ヲ收容スルノ餘地ナキ實情ナルニ付、今後ハ此ノ種避難民(外部ニ對シテハ單ニ『避難民』ノ名義トスルコト、實際ハ猶太人避難民ヲ意味ス)ノ本邦内地竝ニ各殖民地ヘノ入國ハ好マシカラス(但シ、通過ハ此ノ限ニ在ラス)トノコトニ意見ノ一致ヲ見タ」
【現代語訳=貴殿(山路総領事)が発信した第39号(請訓電報)に関し、陸海軍及び内務各省と協議の結果、「ドイツおよびイタリアにおいて排斥を受け、外国に避難する者をわが国に受け入れることは、大局上よろしくないのみならず、現在事変(日中戦争)下にあるわが国では、これらの避難民を収容する余地はないのが実情なので、今後はこの種の避難民(外部に対しては単に『避難民』の名義とすること。実際はユダヤ人避難民を意味する。)のわが国内地(本土)ならびに各植民地への入国は好ましくない。(ただし、通過はこの限りでない[注釈 18]。)」とすることで意見が一致した。】
— 近衛外務大臣から在外公館長への訓令「猶太避難民ノ入國ニ關スル件」(昭和13年10月7日付)(杉原千畝wikiより)

本省はユダヤ難民を入国させないようにと言っています。

杉原は手を変え、品を変え、本省と折衝し、裏をかく形でビザを発給しました。

ウラジオストクにて

ちなみに杉原千畝が出したビザについて、ウラジオストクの領事館へは、外務省からはこんな通達がでています。

「本邦在外官憲カ歐洲避難民ニ與ヘタル通過査證ハ全部貴館又ハ在蘇大使館ニ於テ再檢討ノ上行先國ノ入國手續ノ完全ナル事ノ確認ヲ提出セシメ右完全ナル者ニ檢印ヲ施ス事」
【口語訳=大日本帝国の官憲がヨーロッパから避難してくる人々に与えた通過許可証は、あなたのところやソ連の大使館でもう一度調べて、行先国に入る手続きが終わっていることを証明する書類を提出させてから、船に乗る許可を与えること】(杉原千畝wikiより)

杉原が書いたビザは要件を満たしていないものがほとんどでしたから、要は書類の不備を理由に日本に入国させるな、という内容です。

これに対して、ミスター・ネイこと根井三郎は、ドイツにおいては、強制収容所行、やっと入国したソ連においてもNKVD(秘密警察KGBの前身)に金品を巻き上げられたり、シベリアでの強制労働に連れ去られたりとユダヤ人難民の窮状に心を痛めていました。

根井三郎は、ハルピンの語学学校で杉原千畝の後輩でもありました。

「避難民ハ一旦當地ニ到着セル上ハ、事實上再ヒ引返スヲ得サル實情アル爲(・・・)帝國領事ノ査證ヲ有スル者ニテ遙々當地ニ辿リ着キ、單に第三國ノ査證カ中南米行トナル居ルトノ理由ニテ、一率檢印ヲ拒否スルハ帝國在外公館査證ノ威信ヨリ見ルモ面白カラス」
【口語訳=逃げてきた人たちがここにまでやって来たからには、もう引き返すことができないというやむを得ない事情があります。(…)日本の領事が出した通行許可書を持ってやっとの思いでたどりついたというのに、行先国が中南米になっているというだけの理由で一律に船に乗る許可を与えないのは、大日本帝国の外交機関が発給した公文書の威信を損なうことになるのでまずいと思います】
— 1941年3月30日付の根井三郎による本省への抗議の電信

1回発行されたビザを明確な理由もなく無効にするのは、曲がりなりにも国際連盟(1933年に脱退していましたが)で五大国の位置を占めていた帝国の信用にかかわる問題だ、という論法で本省に抗議しています。

本省とのやり取りは五回に及びました。

結局、根井は、本来漁業関係者にしか出せない日本行きの乗船許可証を発給します。

ビザを持たずにウラジオストクにまでたどり着いた一家には、根井の名で査証を書いています。

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「杉原さんがビザを出したというのに、私たちが駄目という理由はありませんよ」

根井は後年こう語っています。

根井はユダヤ人を助けた理由、助けたこと自体も生前、ほとんど何も語っていません。

語らなかった理由はわかりません。

ただ、根井も杉原と同じ、自分の職を懸けて、己の正しいと信じる道を為した人物。

もっと知ってもらえたらいいな、と思います。

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