"デート"の定義
Aロマである私が、少し前に友人と話していて「あれ」と思ったのが"デート"の定義。
仲良くなり始めの友人たちと会話をしていて、トピックが恋愛になりそうな時
色々と面倒な質問を避けるために「私、恋愛に興味ないんだよね」と先回りしていうことが多い。
そこで「そうなんだ」と納得して会話を別のトピックに移してくれる人もいれば、
突っ込んで聞いてくる人もいる。
友人・知り合いの中にはマジョリティにどっぷり、という環境で過ごしている人もいるので、色々聞かれる分にはある程度は耐性はある。
定型文のように「付き合ったこともないし好きな人もできたことない」というような内容を追加で伝えると「デートもしないの?」という質問をされることがある。
私の"デート"の認識は、「付き合っている or 特別な関係であるとお互い認識している2人の人間(ポリアモリの場合など2人に限定しない状況もある)が時間を決めて一緒に過ごすこと」だと思っている。
文章にすると結構回りくどいかも。
(「時間を決めて一緒に過ごすこと」という書き方をしたのには理由があるので、今回のトピックとはあまり関係ないが最後に説明する)
なので、「デートもしないの?」の質問に対しての答えは「付き合ったことがないのに、デートができるわけない」である。
体操服に着替えてもないやつは、体育の授業は受けられない。
私の周りにいる「デートもしないの?」と聞いてくる人の話をよく聞いていると
多くの場合、下記のようなことを前提に"デート"と口にしているように感じる。
・私は「女性」であるので、"相手"は「男性」
・その「男性」が私にとってどんな存在であるかは重要じゃない
・その「男性」がどんな人なのかも重要じゃない
・「女性」と「男性」が、ご飯を食べたり美術館に行ったりするのはデートである
・つまり、私が女友達とお出かけしてもそれはデートではない
まず、性別を勝手に限定してしまっている点がよくないという事は明白である。
質問者たちの発言を聞いていると、どうやら私が女友達とお出かけしてもそれを"デート"とはカウントしていない。
一方、男友達や仲のいい男性の先輩とご飯に行ったりすると無条件に"デート"とカウントしている。
彼らが私に、そして私が彼らに対してどんな感情を持っているか考えもせずに。
その篩の掛け方はいろんな可能性を排除しまくっている。
仮に、お出かけした女友達がレズビアンだったら?
仮に、ご飯に行った男友達がゲイだったら?
当の本人たちのことをよく知りもせずに、単なる性別(それも、男に"見える"・女に"見える"というだけで判断した性別)だけを理由にしてデートかどうかの振り分けをするなんて、暴力的にも程がある。
次に、良い悪いの話ではなく、私と彼らで大きく認識の差があるなと思うのは「どんな関係性の人を"デート"相手と呼ぶか」。
付き合っていなくても、お互いのことをもっと知りたい!と恋めいている2人がお出かけをしたりどちらかの家でまったり過ごしたり…双方ともにはっきりと"デート"宣言したわけではなくとも「私たちが今過ごしてる時間って、デートだよね?」と考える人がいることは理解できる。
ただめんどくさいのが、"デート"の定義がそのように曖昧だと
私みたいな人間が誰かと一緒の時間を過ごした場合、特に、その相手が若干でも私に恋めいている場合、「これは"デート"である」と相手・周囲に勘違いされる可能性があるということ。
いやいや待って、私そういうつもりで今日来てないんだけど…となるパターン。
友達として仲良くなりたい・人生の先輩としてもっと話を聞きたい、と思って私は時間を作ったけれど、相手と認識の差があるとわかって、ぎこちなくなって、疎遠になって、関わらなくなってしまった人たちがたくさんいる。
別に人として嫌いなわけではないのに、お互いが「そういうつもりじゃなかった」というだけでよじれてしまう。
まあ人間関係ってそんなもんなんだろうけど、なんかもったいないなあと思う。
こういう経験から、私は【お互いに「これはデートだよね」と確信を持って言える仲】でないとデートとは呼ばんぞ、というスタンスでいる。
ちなみに、Wikipediaにも似たようなことが書かれていた。なんかホッとした。
最後に、今回私が言いたかったこととはあまり関係ないが、
「時間を決めて一緒に過ごすこと」と書いた理由について。
これは、デートには外に行くデートもあれば家で過ごすデートもあり
同棲しているカップルなどの場合、時間を決めないと日常生活とデートの境界が曖昧になってしまいそう?と予想したから。
同棲したことも、誰かとカップルになったりしたこともないので知らんけど。