日本人に馴染みのない、trial and errorという考え方を生活に取り入れてみよう
こんにちは!長年、海外に住み、日本に帰国後、英語を教える帰国子女の、スグリンガルです。
今日は、日本語にするのが難しい"trial and error"という言葉について解説したいと思います。
私は、これが文化に根付いているか根付いていないか、が西洋社会と日本社会に大きな違いをもたらしていると思っています。
trial and error = 試行錯誤
※trial = 試してみること、試行
※error = 間違い、錯誤
という意味が付されています。
「試行錯誤」と四文字熟語で言うと、試してエラーが出るというプロセスを繰り返すことなんだな、で終わってしまうのですが、
海外の辞書を見ると、このように定義されています:
a way of achieving an aim or solving a problem by trying a number of different methods and learning from the mistakes that you make(=多くの異なる方法を試み、犯した誤りから学ぶことによって、目的を達成したり問題を解決する方法)
(ケンブリッジ辞書)
つまり、この「試す→間違える」というプロセスは、あくまでも目的の達成や問題解決という最終的なゴールがあって初めてなし得るものであることが強調されています。
「単にやってみた」だけでは、trial and errorと言わないのです。
すべて、後の「成功」を思い描いて、それでも「失敗」はつきものという精神で挑んだことが強調されています:
例)
活字離れが進む社会でNew York Timesが行ったtrial and error:
新しい薬が開発されるまでのtrials and errors:
池上彰のYoutube学園でも、このtrial and errorについて説明されています(動画の7:40分あたりから、フィンランドの政治の話について説明する際、このコトバを説明しています):
日本にも、このtrial and errorという文化が根付くために、
池上氏:「もっとこうやってみよう、間違えるかもしれないから、そのときは教えてください」という態度が必要、と言っています。
増田氏:「コミュニケーション能力」を上げるべき、と言っています。
※失敗を許さない空気、
※間違えたときに白い目で見られる感覚、
※隣の芝生は青く見えやすい文化、
※なかなか自分のことを肯定的に見ない民族性、
これらの特色が、コロナ禍でさらに強まったように感じます。
私は、このtrial and errorという文化がたまらなく好きで、海外留学をした、と言っても過言ではありません。
「とりあえずやってみよう」「失敗してもいいからとりあえず喋ってみよう」という感覚に、日本で陥らないのはなぜなのでしょう。
そして、私は、このtrial and errorという文化がたまらなく好きで、海外に行ったと言っても過言ではありません。
過度に成功を称える文化も、結局は失敗を異常に貶める文化と表裏一体のような気がします。
こういったものが、すべてtrial and errorで物事を進めようという文化とは、相反しているのかもしれません。
でも、
の精神も持ち合わせています。もう少し、周りに寛容で、周りに優しく、周りと相談しながら、物事を進める感情も育ててほしいですね。
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