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パチンコの話 その1
時間は少し遡りますが、高校1年生の6月頃(だったと思う)の話
そう、じめじめ暑くなり始めた頃
クラスメイトで同じ区に住んでいた正(仮名)が、
「ぷくぷく、暑いからジュースでも飲みに行かない?」
と普段あまり喋らない正と帰る事に。
正は、背は高くて口数が少ない割と格好良いタイプのヤツだった。
この日は土曜日で部活は休みだったのもあり行くことにした。
喫茶店にでも行くのかと思ったが、到着したのは
パチンコ屋
駅に近いところの賑やかなところにあった店(2020年に閉店)
そこに正は堂々と入っていき、自販機の前へ
![](https://assets.st-note.com/img/1699945438036-lrxr611usZ.jpg)
「好きなの飲みなよ。ボタン押せば出るから」
と言われるがまま、ファンタオレンジの(だったと思う)ボタンを押した。
このパチンコ屋、特定期間は紙コップ自販機ジュースが無料だったのだ。
当然だが、高校生はパチンコ屋に出入りしてはいけません。
が、ジュース飲んでるワシ達に店員さん達はも何も言わず・・・
飲み終わると正が
「オレ、パチンコやっていくけどぷくぷくはどうする?」
と聞くので、ジュースタダで飲んだのもあって、少し遊ぶことにした。
この時、換金システムや1発いくらとかの知識はゼロであった。
ワシが選んだのは、当時ニュースでも話題になっていたデジパチ
という機種
![](https://assets.st-note.com/img/1699945742764-jau4kVA9hi.jpg?width=1200)
要は、777が揃えば当たりというヤツ。
実はこの時代、777が揃って興奮のあまり死亡するというニュースが
たびたび報道されていた。
デジパチで500円分玉を買って始めた。
この頃のパチンコは手打ちではなく、既に電動タイプだった。
ハンドル捻ると玉が飛ぶタイプ。
![](https://assets.st-note.com/img/1699946152507-Cus1hFnqOv.jpg?width=1200)
びゅんびゅんと玉が飛び、表示の数字が動き出す。
しばらくすると、なんと
777が揃ったのである!!
これぞまさしく、ビギナーズ・ラック!!
超驚くワシ
下の広い部分の扉が開いて、玉がどんどん入っていく。
パチンコ台がものすごく輝いて見えるのだ!!
興奮中のワシ、一瞬777が揃って死んだ人のニュースを思い出す!!
死ななかったけど。
後に知るのだが、この時代は30秒間ポケットが開いていて、
その間好きなだけ玉を入れられたのだ。
しばらくすると、玉が出なくなった。
![](https://assets.st-note.com/img/1699947034623-OfQmmAQHnv.jpg)
今のパチンコ台は、写真の青レバー引けば下に落ちる
受け皿が玉で一杯なため、玉が飛ばない状態だったのだ。
初めてのワシは、そんな事は知らんかったので、どうしやうかと思ってたら
正がたまたま見に来て、すぐに箱を持ってきて玉をかき出してくれた。
当時の台はレバーなどなく、手で受け皿から箱へ玉を移すのであった。
若干ロスが出たが、それでも大きい箱で2箱くらい出たと思う。
換金方法も知らないので、全て正に頼った。
そもそも換金なんて言葉すら知らなかったワシ。
結局、週末バイトの約2.5倍のお金を得る事が出来たので、正にお礼として
4,000円だったと思うが、要は1,000札だけ渡したのだ。
正は要らないと言ったが、連れてきてくれなければ無かった金だからと、
半ば強引に受け取ってもらった。
帰りに駅前の松屋で、牛丼と野菜サラダはご馳走になった。
正なりの気遣いだった。
そんな正の気持ちが嬉しかったのは覚えているが、
正と一緒にパチンコ屋に行くことは無く、これが最初で最後だった。
2年3年はクラスが別になり、学食で逢うとちょい話をする程度であった。
今思えば、なんでジュース飲みに行こうと誘ってくれたのかなぁ~
あの日の牛丼は美味しかった!!
ぷくぷく