ルドン
ルドンの象徴主義は「眼を閉じて」いる。この限りに於いてナビ派の見立て絵的な似非象徴主義とは一線を画す芸術作品だと言える。
ルドンもナビ派と同じくブルターニュへ赴いた。然しルドンはナビ派がしたように神話世界をブルターニュの住人に見立てることは断じて無い。ルドンのイメージとは、見立てて重ねるものではなく、記憶されたイメージを頭の中で融合させるものだ。これはフロイトの論じる夢と同じ作用だ。
理性は様々な外部の対象を要素へと分割することで明晰に把握する。しかし、理性が眠ると分割は無効となり、五感や記憶が混在する合成物となる。思うに、分割を無効として無意識たる外部刺激の直撃を受ける主体こそがシュレーバーなのだ。
ルドンはシュレーバー的だ。ルドンの見る世界は対象の分割を否定し、形の上で統合する。ルドンの夢の画家と呼ばれるは此処に有り。対するナビ派は、祝祭を日常に引き摺り出すナチに他ならない。
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