クレルヴォーのベルナルドゥス
中世のヒーローベルナルドゥスに自己の信念の鍛錬の方法を見ないことができようか。
ベルナルドゥスはロマネスク寺院を見、詳述し、唾棄する。グロテスク彫刻に対して同じことをしたのがゲーテだ。自らの信念・信仰と相反するものと出会った際のまず最初にすべきは詳述、ディスクリプションだ。相反するものに心を惹かれつつ認めないことが重要だ。
ベルナルドゥスとゲーテにはキリスト教と古典主義があった。絢爛を相手取り、簡潔な線の美学は狼狽える。何故ならば目を奪われ、信仰をも奪われようとしているからだ。故に詳述する。恰もそれがイニシエーションの儀式であるかのように。こうして、同時代の貴重な証言となりつつ敵対するテクストが出来上がる。
思うに、此処には弁証法の論理が働いている。瀆神へ可能な限り近づく限りに於いて信仰は担保される。瀆神を知らないのであれば信仰も知る由が無い。その姿は太古のヨブを想わせる。
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